繋がっているようで繋がっていない100のお題

戻る

  051 柔らかな猫っ毛を撫でて  


 ぴくぴく動く耳が好きだった。一護が言うには、聴力は人並みらしい。だからあっても無駄なだけ、何度切り落としてしまおうかと考えたという。
 けれどそうしなかった一護に、真子は感謝した。だってこんなにも可愛い耳を切り落とされたら、自分はおそらく人生の半分以上の楽しみを失っていた筈だ。大げさな、と言われたが、事実は事実。
「お、キノコ発見」
「どれ? ‥‥‥ってバカ、それ毒のあるやつだろ」
 一護に奪い取られ、遠くにぽいと投げられる。山奥での山菜採りは、もうかれこれ一時間。真子の駕篭の中には大した収穫物は無かったが、一護の駕篭は木の実やら何やらで溢れそうになっていた。一人でも大丈夫。常々言っている一護の言葉に嘘は無かった。
「霊術院、楽しいか?」
「‥‥‥‥‥まあまあ」
「何だよ、その間」
「毎日、俺をどついてくる女がおる」
「ふーん‥‥‥っふ、ふっふっふっ」
「何がおかしいねん」
 別に、とだけ言って、一護は茂みを掻き分けていく。その口元はにやにやと緩められていて、真子は面白くないと思いながらも一護の後を追った。
 数日は困らないであろう量をとると、二人はさらに山奥にある住処へと戻った。木々に隠れるようにして立てられた粗末な家。中は小綺麗に片付けられており、真ん中には囲炉裏があった。それを間に二人は向かい合って座り、他愛のない話をした。
「いつ卒業?」
「んーもうすぐ」
「格好良い人いる?」
「俺が一番格好良い」
「言ってろ。あ、これもう焼けてるぞ」
 こんがり焼けた川魚を受け取り、頭からばりばりと食べた。霊術院で出されるような上品な食べ物とは大違いだが、懐かしい味に真子は満足した。見ると、一護も美味そうに食べている。耳がまたぴくぴくと動いていて、その動き方は嬉しいときの動きだと真子は知っている。
「なあ、一護」
「んー?」
「俺な、護廷入隊が決まったんや。出世したら家も構えられる。そしたら一護、俺と一緒に瀞霊廷で暮らそう」
 ぴくぴく動いていた一護の耳がぴんと張り詰め、へなりと落ちた。一護は変わらぬ表情で食事を続けていたが、耳が雄弁にその心境を語っていた。
「嫌か?」
「‥‥‥ん。んー、ううん」
「どっちや」
「‥‥‥いや、よく分かんねえ」
 二人はもう子供ではない。十年に近い年月を一緒に過ごし、支え合って生きてきた。一護の外見には幼さが残るが、真子よりも年上であるのは間違いない。結婚していてもおかしくはない年齢に二人は達しているのだ。
「卒業したら、返事聞きにくるからな。それまでに考えといてや」
「‥‥‥ん。‥‥んー、ううん」
「だからどっちやねん」
 身を乗り出して耳をつんと引っ張った。可愛い猫耳。誰にも見られたくないのは、知っていたけれど。











「平子隊長」
 右腕を枕にうたた寝していた真子を起こしにきたのは副官だった。目覚めて最初に見るのが野郎の顔か、今日これからの仕事に対する意欲がどっと落ちた。
「惣右介、今日はアカン。やる気が出ん」
「それはいつものことでしょう。何も考えずにここに判を押してくださればそれで結構ですよ」
「お前がやっといて」
 と、隊長印を放り出せば、部下は何食わぬ顔でそれを使い、判を押した。コイツほんまにやりよった、とは思ったものの、起き上がる気力さえ無い。
「散歩にでも行ってはいかがです。目も覚めますよ」
「めんどくさー」
 ごろんと寝返りを打ち、部屋の隅に放置していた煎餅袋を漁った。食べカスが畳に落ちるのも構わず食べていると、ぱーんと音を立てて目の前の障子が開け放たれた。
「くぉら真子! お前んところでまた書類が止まっとるやろーが!!」
「あらぁ、ひよ里ちゃんやん。相変わらずカワユイのー」
「ななななんやねんそれ! 騙されへんど!」
 充分騙されてる、顔が赤い。
 どすどすと足音荒く隊首室に入ってきたひよ里に、部下の藍染が先ほどの書類を渡した。
「あるんやったらさっさと出しい! ほんまにお前は昔から」
「惣右介、ほな散歩に行ってくるわ」
「待たんかいっ、まだ話は終わってへん!」
 慌ただしく出ていく二人を、藍染は溜息で見送った。


 卒業式の日、真子は山の中を走っていた。
 一護がいない。二人で暮らしていた小屋はもぬけの殻で、ただ自分を迎えようとしていたのか二人分の食器が用意されていた。しかしそれらは割られ、原型を留めてはいなかった。室内は嵐にでもあったかのように荒らされていて、床や壁には血が飛び散っていた。
 裏口から森へと続く血痕を辿りながら、真子は走った。最悪な想像が頭の中を掠め、そのたびに打ち消した。
 まだ答えを聞いていない、聞いていないというのに。
『一護!!』
 血痕は、崖で途切れていた。眼下には濁流。
 真子は呆然と座り込み、しばらく嗚咽した。
 それからは、何度か死神を辞めようと思ったけれど、つまらない男のプライドが邪魔して今もこうして死神を続けている。というのも、血眼になって探しても見つからなかった一護がある日突然姿を現すかもしれない、そのとき無一文でいたら情けないではないか、と自分は半ば本気で考えているのだ。
 今ならもういつ現れてくれてもいい。隊長になって、立派な屋敷も持っている。だから一護、隠れてないで出ておいで、と両手を広げてスタンバイしているのだが。
「おい、何歩きながら寝とるんじゃ」
 後頭部を殴られ、真子は目を開けた。見ると、ひよ里が半眼で睨みつけている。
「‥‥‥お前はほんまにカワイクないなあ」
「なっ、さっきはカワイイ言うてたやろ!」
 きゃんきゃん吼えるひよ里を見ていると、子犬を連想する。よしよしと頭を撫でてやったら、途端に大人しくなった。
「あらまあ、仲良しさん」
 かけられた軽口に真子は顔を向け、一瞬警戒心を宿すも目元を和らげる。
 浦原喜助。廊下の先に立っている同僚を、真子は貼付けたような笑みで迎えた。
「副官とられて寂しいんか。なんならうちのと交換しよか」
「っげ、やですよぅ。藍染君、容赦無さそうですもの」
 相手の心理を伺うだけの中身の無い会話を繰り返す。真子はこの男がどうにも好きになれないでいた。
 浦原が設立した技術開発局というのも胡散臭い。ひよ里からそれとなく聞き出してはみても、今のところ怪しいことはしていないようだが。
 そのとき、浦原の背後からひょこりと顔を出す人物がいた。それもかなり怪しい風体の。
「黒崎君、何か御用?」
 頭からすっぽりと被った頭巾。顔はまったく確認できない。技術開発局特有の白い装束を纏っていた。
 彼、もしくは彼女は、無言でひよ里へと書類を差し出した。距離が近くなった一瞬、頭巾の人物は真子を仰ぎ見る。
 ‥‥‥笑った?
 顔は見えない。けれど今、そんな気がした。
 頭巾の人物は用が済むと頭を下げ、てててと小走りに去っていった。
「お知り合いですか」
「はァ? 知り合いも何も、顔分からんやろ」
「そうですか。でもなんだかなあ、愛想が良かった気がする‥‥」
 ボクにはいっつも冷たいんですよ。
 唇を尖らせて言う浦原に、お前に優しくできる人間がこの世にいるのかと、真子は口には出さずに目だけで言った。
「黒崎か。下の名前は?」
 少しだけ心に引っ掛かった。真子が何気なく聞いたこの後、人生が一変するとはこのとき思いもしていなかった。

戻る

-Powered by HTML DWARF-