繋がっているようで繋がっていない100のお題

モドル

  052 膝の上で眠る貴方だけに優しくしたい  


 深夜、伝霊神機が鳴る音で目が覚めた。
 俺は眠い目をこすりながら、枕元にある固い感触を探した。欠伸を押し殺し、ようやく探り当てたそれを耳に押し当てる。
「俺だ」
『誰だ貴様は』
「はぁ?」
 そっちこそ誰だ。
 口の利き方がなってねえ部下に、寝起きの機嫌の悪さも相まって怒鳴り返そうとしたとき、暗闇でごそりと影が動く。胸の上にあった重みが消え、同時に慌てた声がした。
「それ、俺のっ」
「ーーーあぁ、悪ぃ。間違えた」
 伝霊神機を渡すと、相手は起き上がってこっちに背を向けた。声を抑えてぼそぼそと喋ってるけど、あいつの声はよく通るので会話は筒抜けだ。
『どういうことだ一護! 今のは誰だ!!』
「えっと、あの、えっと‥‥‥‥通りすがりのおじさん」
『嘘をつくな!! ん、待て、さきほどの声‥‥‥‥もしや』
「ルルルルキア! 用はなんだよ!」
『大量の虚が出現した。手が足りんから出てこいとの命令だ。座標は表示してある』
「分かった、すぐ行く」
『あぁ、すぐに来い。‥‥‥‥‥ちなみに檜佐木殿との交際は認めんからな』
「何のことだかさっぱり分かんねえじゃあな切るぞ!!」
 通話終了。しばらく頭を抱え込んでいた一護は、申し訳無さそうに振り返る。
「あの‥‥」
「聞こえてた。気ぃつけて行けよ」
 緊急の呼び出しは死神であれば避けられないものだ。俺のように副隊長ともなると早々出番は回ってこねえけど、一護みたいな新人は真っ先に駆り出される。
 時計を見ると、眠りに落ちてから然程時が経ってはいないことが分かった。大急ぎで着物を着ている一護は愚痴一つ零さない。俺がまだ新人のときはふざけんなって悪態をついていたものなのに。
「あの、修兵さん」
「なんだ」
「俺のさらし‥‥」
 控えめに指差された先は、俺の下半身。夜目を凝らして見てみると、白い布がくしゃくしゃになって尻に敷かれていた。
 胸を押さえるためには必要だと言うそれが、俺にはまったく理解できなかった。それは何も一護の胸が小さいというわけでもなく、同僚の乱菊さんという例があるためだ。彼女曰く、さらしをつけると胸の形が崩れるから嫌なの、だとか。ちなみにブラなるものが現世にあると聞くが、慣れなければもの凄い違和感であるらしい。旧世の時代を色濃く残す尸魂界には、当然そんなものは存在しなかった。
「修兵さん」
 焦れた声で催促され、渋々差し出した。
 一護は受け取ったさらしの端を口で噛むと、一人で器用に巻き付けていった。その様子を寝転びながら、じぃっと観察した。
 具合を確かめるようにときどきさらしを締めたり緩めたり、そのたびに一護は眉をしかめては吐息を零し、身を捩る。さらしはまったく理解できねえけど、装着しているのを見るのはかなり好きだ。食い入るように見つめていると、一護が不意に手を止め、やりにくいと言わんばかりの視線を向けてきた。
「あんまり見るなよ」
「なんで」
「恥ずかしいし、そんな見ても面白いもんじゃないだろ」
「いや、むしろそそる。でもそんなに締め付けて苦しくねえのか?」
 端と端を結び終わると、一護は何度か深呼吸をした。どうやら大丈夫らしい。
 ふたつの膨らみは、今や布の下で大人しくしていた。これに死覇装を着込んでしまえばあるのかないのか分からなくなる。男共の間では『さらしマジック』と呼ばれ、無いように見えるのに限ってけっこう膨らんでいるという定説まであるくらいだ。
 一護はまさにそれで、実際脱いでしまうと思い掛けず女らしい体つきをしていた。出るところはしっかり出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。あどけない顔立ちと男勝りな性格をしているから、体もそうなんだろうと思っていたらまんまと騙された。さらしマジック、恐るべし。
「行ってきます」
 悶々と考え込んでいる間に、一護は着付けを済ませて早々に部屋を出て行った。後を追って玄関まで見送りに行くと、突然胸元を引っ張られる。
「‥‥‥‥‥じゃ」
 掠めるようにして唇を奪うと、一護はじりじりと玄関の外まで後ずさりして、すぐに瞬歩で消えた。
 積極的なのか消極的なのかいまいち分からない一護の行動に、俺は無意識に手で顔を覆った。冷たい夜風が気持ちいいってことは、俺の顔は真っ赤ということだ。
 付き合い始めて約半年。一護からの初めてのキスだった。









 一護を好きだと自覚したのは、今から遡ること三年前。
 当時、死神になりたてだった一護を紹介してくれたのは、後輩の阿散井。奴の幼馴染、朽木妹と仲の良かったのが一護だった。
 初対面の一護は、相手が副隊長ということで、とにかく緊張していたらしい。けれど傍から見ているとものすごく無愛想で、態度悪いなコイツ、と第一印象はあまりよろしくなかったのを覚えている。
 同じ副隊長の阿散井に対しては、朽木妹が遠慮なくどついていたからか、すぐに懐いたそうだが、俺に対しては警戒心というか、立場を考慮しての固い態度を中々崩してはくれなかった。
 そんなぎこちない関係に終止符を打ったのは、今でも思い出すと恥ずかしい、一護が大人になった瞬間に俺が立ち会ってしまったことがきっかけだった。大人といっても誤解しないでほしい。俺が一護に手を出したとか、そんなんじゃない。
 ここで説明しておくが、一護は十五のときに死んで、尸魂界に来た。流魂街で四年を過ごし、霊術院に入学して六年。護廷に入隊したときには既に二十代も半ばだった。しかし肉体に変化はなく、十五歳の瑞々しい姿をしていた。実年齢と見た目はまったく比例しない世界なので、俺は初めて会ったときから一護を大人扱いしていた。
 ある日のことだった。
 現世の任務から帰還し九番隊に戻る途中、知ったオレンジ頭を見つけた。それもなぜか植え込みの向こう側に。本人は隠れているつもりだったのだろうが、派手な頭髪は通りに立つ俺からはバレバレだった。
「黒崎、何してんだ」
 驚かしてやろうと気配と足音を消して近づき、後ろから頭をがしりと掴んでやった。仏頂面が常である一護の狼狽える顔が見たかった。
 それなのに、肩をびくつかせて振り向いた一護の顔は、期待していたものとはまるでかけ離れていた。
「ひ、ひさぎ、ふくたいちょ」
 ぐすっ、と鼻水を啜ると同時、一護の目からはぽろぽろと涙が零れ出た。濡れた頬を乱暴に袖で拭うものだから、痛々しいほどに赤くなっている。
 呆気にとられた。何がなんだか分からなくてぼけっと突っ立っていると、真っ赤な顔を袖で隠した一護が、上擦った声で言った。
「す、すいませ、ひと、ひとりに、じでぐだざい‥‥っ」
 ぐずぐず泣いて、一護は小さく蹲る。本人がこう言うのだから、放っておこうとこのときは思った。だが一応は部下の模範となるべき副隊長であった俺は、義務的に声をかけた。
「具合が悪いんなら、四番隊に行くか? 肩くらい貸してやるよ」
「け、けっこうです、」
「いつまでそこにいる気だよ。昼休み、とっくに終わってるだろ」
「あんたには、かんけーないっ、」
 うわー、ムカつくわー。
 俺は『お前には関係ない』って言葉がすげえ嫌いだった。こういう言葉を使う奴は総じてガキであるからだ。自分じゃ何にもできねえくせに、偉そうに。これ言ってりゃ格好良いと思ってやがる。俺も若い頃は散々使ったがな!
 関係ないんなら、見つかるところで泣いてんじゃねえよ。関係されねえようなもっとひっそりしたところで泣いてろボケが。
 とことん愛想尽きて、九番隊に戻ることにした。阿散井の奴なら面倒見てやるんだろうけど、生憎男と可愛げのない女にはまったく興味がない。一護が女というカテゴリーに入るかどうかは甚だ疑問だったし。
「早く隊舎に戻れよ。じゃあ俺、行くからな」
 歩き出してから数秒後、後ろから風が吹いた。一護のほうから、俺のほうへと。その瞬間、俺はダッシュで来た路を引き返していた。
「馬鹿野郎っ、やっぱ怪我してんじゃねえかよ!!」
 風に運ばれ鼻孔を刺激したのは、紛れもない血の匂いだった。植え込みを飛び越え一護の目の前に立つと、やはり独特の匂いが鼻を突いた。
「どこ怪我してんだ、立てねえほどひでえのか!?」
「ち、ちが」
「意地張ってる場合かっ!」
 抱き上げるにも一護は体を丸めて固くなっているので、一旦立たせてから抱き上げようとした。泣いて嫌がる一護の両肩を掴んで引っ張り上げた、その直後。
「う、あ、」
 一護が青ざめた顔で足下を見た。つられて俺も足下を見る。ぎょっとした。
 一護の足袋が、どす黒く染まっていたのだ。足首を伝って染めているのは、血液であるのは間違いない。けれど俺は、ここでようやく己の勘違いと失態を悟った。
「だ、だから、かんけーないって、言ったのに‥‥っ」
「え、あのっ、黒崎、」
「‥‥‥俺っ、初めてで、どうしていーのか、分かんなくて、」
「ごめっ」
「なのに、こんなっ、ひでえよっ、‥‥‥ぅく、うぅ」
 恥ずかしいと呟いて、一護は崩れるようにして蹲った。声を上げる体力もないのか、体を小刻みに震わせて泣く一護を見下ろし、俺は首まで真っ赤になっていた。
 恥ずかしいのは俺のほうだ。俺、俺は、なんということを!
 それから数分後、帰ってこない一護を心配した朽木妹がやってきた。植え込みの向こうで馬鹿丸出しで突っ立っている俺を発見すると、「一護を見ませんでしたか」と尋ねてくる。
 後はご想像の通り、血濡れで泣きじゃくる一護を見つけた朽木妹が、女子特有の事情を察して四番隊に連れていってめでたしめでたし。
 ‥‥‥‥ではなく、この朽木アホ妹はあらぬ誤解をしやがった。
「一護に何をしたのだこのケダモノがぁあああ!!!」
 こいつが普段、俺をどういう目で見ていたのか、実によく分かる反応だった。



 死後、尸魂界にて初潮を迎えた一護は、その後一週間ほど隊務を休んだらしい。生理休暇と言うやつだ。普通なら一日か二日程度らしいが、一護の場合は初めてということもあり、心落ち着くまではと四番隊の卯ノ花隊長が取り計らってくれたのだとか。
 護廷に復帰した一護が最初にやってきたのは俺のところだった。ひどく恥ずかし気に頬を染め、俯き加減に近づいてくると、
「ご迷惑、おかけしました」
 頭を下げてきた。そしてすぐに踵を返し、駆け足で去っていった。
 不思議なもので、俺の中にあった一護への印象が、あの日を境にぐるり百八十度変わっていた。
 いくら見た目が若くてもあいつは大人なんだと思っていたのに、まだ生理すら始まっていない、一護は正真正銘の子供だったのだ。そんな子供に対して、自分のとった態度のなんと大人げなかったことか。あれもこれもと上げればキリが無くて、後悔の渦に叩き込まれてしまった。
 その胸の内を何日かして一護本人に明かすと、やはり恥ずかしそうに顔を俯けて、こう言った。
「いいんです、気にしないでください。それに俺、もう大人だから」
 その瞬間、横面を張られたような衝撃を受けた。
 一護は、そう、大人になったのだ。俺の目の前で。
 血の匂いと、鮮血に染まった足袋、泣いて蹲る黒崎一護。次々と情景が脳裏に浮かび上がり、心臓が激しく鼓動を打った。目の前に立つこいつは、もう子供じゃない。
 今までに味わったことのないような感情が、湧き上がった。
 それは、甘やかで心躍るものではなく、どろりとした、黒く重いものだった。











 一護が深夜に呼び出された翌朝、出勤した俺を待ち構えていたのは朽木妹と阿散井だった。阿散井のほうは無理矢理連れてこられましたと言わんばかりのうんざり顔。だってそうだ、こいつは俺と一護のことをもうとっくの昔に知っていたのだから。
「どういうことか説明してもらいましょう」
「説明って‥‥‥‥おい、阿散井」
「俺はちゃんと懇切丁寧に説明したっスよ。なのにこいつときたら、先輩の口から本心を聞くんだって」
「一体どんな汚い手段を使って一護を騙くらかしたのか教えていただきたい!」
「阿散井」
「だから俺のせいじゃねえって!」
 いや、お前のせいだ。幼馴染にどういう教育してんだ。
 思い込みの激しい朽木妹をじろりと睨み下す。あっちもあっちで大きな目を精一杯怖く見せて睨み上げてきたが、怖いどころか小動物程度の眼光に過ぎず、俺はふんと鼻で笑ってやった。
「もっと頭冷やしてから出直してきな、お嬢ちゃん」
「なんだと!?」
「ルキア、やめとけって」
「ええい恋次っ、なにをぼさっと突っ立っておる! とっとと檜佐木殿を羽交い締めにしろ!」
「何する気だよ」
「簀巻きにして兄様に突き出してやるのだ! もしくは恋次っ、お前がやれ!」
「他力本願だなっ」
 ぎゃーすか言い合う幼馴染コンビは置いて歩き去ろうとしたが、ふと思い直して足を止めた。
「一護は? 今日はもう来てんのか?」
「誰が教えてやるものか!」
「先輩、もう行ってください。じゃねーとこいつが落ち着かね‥‥‥イてえな!! 噛み付くやつがあるか!!」
 今度こそ俺は歩き出し、九番隊へと向かった。
 ちなみにしばらく六番隊には近づかないでおこうと決めた。朽木妹など怖くもなんともないが、兄のほうはそうもいかない。細切れにされぬよう、せいぜい夜道は気をつけようと思う。
 それから午前の隊務を終え、十三番隊に向かった。もちろん朽木妹に会いに行ったわけではない。目当ては一護だった。
 深夜の招集に応じて、そのまま自宅に帰るとは考えにくい。俺の経験から推察するに、一護は仮眠室で睡眠を取って午後から隊務に当たっている筈だ。
 隊舎の構造などどこも似たようなものなので、仮眠室はすぐに見つかった。途中、十三番隊の隊員達に顔を見られたが、愛想よく挨拶しておいたので問題は無いだろう。
 奥まったところにある仮眠室の扉に手をかけようとして、俺は直前で動きを止めた。
「もう少し寝てていいんだぞ」
「大丈夫です、海燕さん」
 ーーー志波さん!
 腹の底がぐつりと煮立つ。凶暴な感情が湧いたのを自覚した。
「顔色、あんまよくねえぞ。ふらふらするんだろ?」
「いえ、大したことないです」
「いいから寝てろ。無理すんな」
「でもっ」
「副隊長命令だ。寝ろ! それとも何だ、添い寝がねえと寝れねえのか?」
 扉の向こうにいる一護がどんな表情をしているのか、俺には簡単に想像できた。
 一護にとって志波さんは憧れの対象だ。構われて優しくされて、嬉しくない筈がない。そこに男女の情があるとは疑ってはいないが、分かっていても面白くなかった。
 押し入ろうかと思ったとき、扉の中で気配が動いた。俺は慌てて近くの部屋に滑り込むと、息を殺して外の様子を伺った。
「いいか、大人しくしとけよ。もし出てきたら今度は隊首室に放り込むからな。浮竹隊長なら喜んで添い寝してくれるだろうからよ」
 軽口を叩いて、志波さんは去っていった。気配が完全に遠のくと、部屋から出る。わずかに開いた仮眠室の扉を、今度こそ開け放った。
「修兵さん?」
 仮眠用の寝台から飛び起きた一護へと真っすぐ向かう。自分でも何を言うつもりなのかは分からなかったが、何か言ってやらないと気が済まない状態だった。たぶんひどく罵っていただろう。けれど口を開く前に、目の前の一護はふらふらと寝台に突っ伏してしまった。
「一護!!」
 走り寄って仰向けにすると、一護は焦点の合っていない目でぼんやりと俺を見た。志波さんの言ってた通り、顔色が悪い。
「どうした? 具合悪いのになんで四番隊に行かねえんだ!」
「あの、」
「行くぞ。しっかり掴まってろよ」
「あのっ、修兵さん!」
 なんだよ。
 苛々して見下ろすと、おや、一護の顔が青から赤に。逡巡する素振りを見せつつ、一護は絞り出すような声で告げた。
「えと、今アレなんだ‥‥‥」
 ‥‥‥‥あーあーあーあー、そうか、そういうことか。俺はまた同じ過ちをっ。
 一護がいなければ壁に頭を打ちつけたい。俺はどうしてこう馬鹿なんだ。
「薬、飲んだし、寝てれば大丈夫、だから、その」
「悪い‥‥」
「ううん。あの、あと、むこう向いててくれると助かる」
 どういうことだと訝しむと、一護は胸の前で手を組みながら、目を逸らして恥ずかしそうに言った。
 さらしを外したい、と。
「俺がやるっ!!」
「な、なんで」
「俺がやるったらやる! 志波さんにはできねえからな」
「なんでここで海燕さんの名前が出るんだよっ」
 お前には分かんねえだろうよ。男心はときに女のそれより繊細で複雑になるんだよ。
 戸惑う一護の腰紐を解き、前を開く。さらしで締められ窮屈そうにしている胸元へと手を伸ばそうとすると、一護が慌てて遮ってきた。
「自分でやるってっ」
「遠慮するな」
「してねえ! わ、待てって修兵さん、駄目だって、言ってんのに」
 後半声が小さくなって最後は消えた。そうだ、観念しろ。
 結び目を解いても、さらしはすぐには緩まなかった。それだけきつく締めているからだ。こんなんじゃ気分が悪くなるのも当然だ。
 一護は大人しくなって、一言も喋らなかった。嬉々として解く俺から目を逸らし、何も無い空間を見つめて恥ずかしさを誤摩化そうとしていた。悪戯心を刺激され、我慢できずに手が動く。
「修兵さん!」
「し! 声がでけえよ」
 解いたさらしを床に落とし、裸の胸に顔を埋めた。一護のそこはハリがあるというよりもどこまでも柔らかい。それでいて質量もあるから、俺にとってはまさに理想的だった。
 頬ずりすると、びくりと体全体が震えた。これから何をされるのだろうと不安になっているのが分かる。柔らかいぬくもりの向こうで、心臓が鼓動を速くしていた。
「何もしねえよ。こうしてるだけだから」
 抱き寄せ、一護の匂いを吸い込んだ。あれから風呂に入ったのだろう、石鹸の香りがした。
 頭の上で溜息が聞こえた。それから髪を撫でる掌の感触。
「海燕さんのことまだ疑ってんの?」
「‥‥‥‥そうじゃねえよ。そうじゃねえけど、なんていうか、ときどき負けたなあって思うんだ」
 今日のことだってそうだ。志波さんはたぶん、一護がどういう状態なのか気付いていた。それに比べて俺は三年前から何も進歩してねー。
「そりゃそうだろ。海燕さんは修兵さんより年上だし、副隊長やってる期間だってずっと長いんだから」
「肯定すんなよ。そこは彼女として『そんなことないよ、修兵さんのほうがずっと素敵!』て言うところだろうが」
「海燕さんのほうが素敵だけど」
「なに!?」
「でも恥ずかしいところは見せられない人。修兵さんだけだよ、こうやって恥ずかしい姿見せられるの」
 今の俺は、きっと途方もなくだらしのない顔をしているのだろう。子供だと思っていた一護が花開くように大人になって俺を慰めている。俺の目の前で大人になった一護が。
 あのとき感じたどろりとした感覚が甦る。この感覚を知ったときから、俺は一護を自分のものにしたくて仕方が無かったんだ。
「一護‥‥」
 こいつは俺がどんなに汚い思いで触れているか、知らないんだ。
 後ろめたい気持ちを打ち消すように、目の前の裸の胸を食む。一護が驚いた声を上げたが、すぐに大人しくなった。俺がこれ以上手を出さないことを分かっている。黙って髪を撫で続けてくれた。



 ぴたりとくっつく俺達だけの空間に、突如として邪魔が入ったのは、昼過ぎの蒸し暑くなった頃だった。
「一護、大丈夫か? 軽いものなら食べられるだろうと色々持ってきたんだがーーー」
 小さな親切大きなお世話。朽木妹、参上。
「ーーーむしろ食べられていたか、そうか」
「ち、違う!!」
「まだ食ってねーよ」
 パッケージ開いてちょっとつまんだ程度だ。
 堂々と言いきる俺に、朽木妹はふっと笑った。そして次にはもう美少女を捨て去り顔を般若のように歪ませて、持っていた食いものを投げつけてきやがった。
「一護の上からどけぇええこのケダモノがぁあああ!!!」
 俺もそうだが朽木妹もまったく進歩していない。
 その日以降、俺と一護、朽木妹の三角関係疑惑が噂されるようになったが、まったくの誤解だと瀞霊廷通信に記載しておく。
モドル

-Powered by 小説HTMLの小人さん-