繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  055 微笑む君の髪が揺れ  


「こっち来いよ」
 一護は誰かの部下でもなんでもない。
 ただの破面。それもそこらへんに転がっているような弱っちい破面。厳密に言えばそこらへんに転がっている破面の中でも更に弱っちい破面。
 特技は唾液で傷を治すこと。
 そしてどこにも穴が無い。
「来いって」
 目の前にそびえ立つ、そう表現するのが相応しい破面は十刃の一人。
 細く凶悪な目は恐ろしくて一護は視線を合わせられない。眼帯に隠された鋭い眼がもう一つあるのだと、想像するだけでも震え上がってしまう。
 名前は知っている。
 ノイトラ。
 けれども呼んだことは無い。
「一護」
 ノイトラの一歩に一護も一歩、後ろに下がる。
 それでも二人の距離は縮まった。足の長さが違うのだ、一護は慌てて二歩下がる。
「来いって言ってんだろ」
 腕が伸びる。後ろに下がろうとしたが駄目だった。背中に感じる壁の感触に追いつめられたのだと知った。
「っあ、」
 引き寄せられた。ノイトラの剥き出しの胸板に鼻をぶつけた一護は咄嗟に腕を突っ張ろうとする。しかしそれより強く背中に回ったノイトラの腕が一護の体を閉じ込めた。
「わ、は、離せっ」
「喋んな。くすぐってえよ」
 頬に当たるノイトラの素肌に、一護の顔が熱くなる。くっついた肌同士から伝わる彼の体温は熱い、いやそれは自分の頬の熱か、本当は冷たいのか、分からない。恥ずかしくて、息苦しい。
「おい、ちゃんと息しろよ」
「っは‥‥‥はぁ、はぁっ‥‥」
 無意識に止めていた呼吸を再開したが、自分の息がノイトラの胸にどうしても当たってしまう。やはり息を止めるしか無いじゃないかと考えたところで一護はぶはっと吹き出した。
「っあ、ははっ、ん、くすぐってえっ、んわっ、ちょ、そこ駄目だってっ、」
「ここ、弱いのか」
 けらけら笑って身を捩る一護の背中や腰を長い指でくすぐって、ノイトラはうっそりと笑みを浮かべた。そして大きな掌が一護の背中を下から上へと撫で上げる。
「‥‥‥‥あ」
 そのまま後頭部を固定されて一護は見上げる格好をとらされた。ノイトラが真っすぐに見下ろしてくる。大きく欠けた月のように鋭く弧を描くノイトラの目が段々と近づいてきても、一護にはどうすることもできなかった。ちら、と扉に目だけを向けるが気配は無い。いつもいいところでテスラが邪魔してくれていたが、それも今日は無いようだ。
 ゴクリと唾を呑み込めばノイトラの動きが一度止まる。
「嫌なら逃げろだなんて言わねえからな。お前、本当に逃げやがるし」
 ノイトラも扉へと目を向けた。早くしないとテスラが来る、そう呟いて一護を見下ろした。
「俺の名前、呼んでみろ」
「え、」
「いいから呼べ。呼ばねーと泣かす。泣き顔も拝んでやるからな」
 それは嫌だ。誰かに泣かされることよりも泣いているところを見られることが嫌な一護はおずおずと口を動かした。
「‥‥‥‥ノイトラ様」
 ギロ、と睨まれた。どうして睨むんだと一護の体が震え上がった。
「様付けなんざテスラのバカで十分だ。お前は俺の部下じゃねえんだから様付けなんてすんな」
「でも、」
 いくら部下ではないとはいえ十刃を呼び捨てに出来る筈が無い。そう伝えてもノイトラの機嫌は傾いていくばかりで、ついには。
「泣け」
 言った唇が吊り上がる。とてつもなく凶悪な笑みに一護は仰け反りたかったがそれもできなかった。近くにあったソファにぽーんと放り投げられて、その柔らかさに手足を捕られていると上からのしっと押し付けられる。恐る恐る振り返れば視界一杯にノイトラの凶悪面が。
「ん」
 視覚の暴力だと思ったところで鼻の頭に湿った感触。舐められたんだ。そう理解した途端、じわ、と涙が出た。
「これくらいで泣くな」
「っん、あ」
 今度は唇を舐められた。やめろ、と口を開いたところで一護の舌先に生暖かい感触が触れた。ぬるりと絡みついてきて、ついには唇同士が重なり合った。
「ん、んーっ、んーっ」
 なんじゃこりゃ!
 正直な感想はこうだ。想像していたのと全然違う。以前、偶然見てしまった他人同士のキスはこんなことはしていなかった。ちょっと重ね合うだけの筈だ。そのとき一緒にいたテスラは見ちゃ駄目と言いながらも真っ赤な顔をして一護をその場から連れ出してくれたからその後は知らないが。
 そうだ、テスラ。
「っテ、テスラっ、」
 あいつどこ行ったんだ。空気も読まずに笑顔で部屋に突入してきてノイトラに殴られるのがお前の役目だろ。
「黙れ。今度俺以外の名前呼んだら裸にひん剥くからな」
 一度離してそう脅すと、ノイトラは再び一護の唇に吸いついてきた。一護が舌の感触に慣れないと分かると唇だけを合わせてくる。ときどき一護が息をする為に離してくれて、そしてまた塞ぐ。そんなことを繰り返していると、一護のほうも余裕なのか諦めなのか、体の緊張が徐々に解けていった。
「お前の唇、たまんねえよ‥‥」
 それは唾液のせいかもしれない。治癒の効果があるそれに、ノイトラは気持ち良くなってそんな声を出しているのだと一護は思うことにした。
 そうでないと恥ずかしい。いつもは戦いのことばかりを口にするノイトラが、自分の唇がどうとか言う。一護にとっては顔を覆いたくなるほどの恥ずかしさだ。
「‥‥‥‥ノイトラ、」
 キスの合間に名前を呼べば、ノイトラの動きが一瞬止まる。
 そして一拍後、心底嬉しそうな笑みを向けてきた。
「‥‥‥‥‥‥ひぃっ」
 ものスゴく怖かった。一護が思わず引き攣った悲鳴を上げてしまうほど。
 テスラ曰く、ノイトラ様の本当の笑顔はきっと優しいものなんだ云々、は間違いだったと一護は知った。優しいどころか邪悪な笑みじゃねーか、夢見過ぎなんだよこのノイトラバカめ!
「おい、なにボロボロ泣いてんだよ」
 だって怖い。
 ちょっといい雰囲気が一瞬にして恐怖に変わる。それに情けないほど泣いていれば上から溜息が落ちてきた。そして視界がぐるりと反転して、今度は下から溜息が聞こえた。
「なんで泣き出したかは知らねえが、」
 その理由を一護は決して言わないでおこうと思った。無理矢理吐かされたとしても、どうにかしてテスラのせいにしてしまおうとも思った。
「今日はもう何もしねえ。だからもう行け」
 一護が何を考えているかも知らずに、ノイトラにしては珍しく労るような口調だった。一護は呆気にとられ、まるで珍しいものでも見るかのように目を見開いた。
『あの方は本当は優しい方なんだ』
 夢見るテスラがいつか言っていた言葉を思い出した。そのときのテスラはノイトラにぶっ飛ばされた直後だったので一護は微塵も信じはしなかった。だがノイトラは今こうして一護に逃げ道を示してくれている。
「行かねえのか」
 動こうとしない一護の背中をノイトラの手がふいに撫で下ろす。ぴくっと体を捩るも逃げる気にはなれなかった。顔へと熱が集中するのが嫌でも分かる。愛撫する手が一護の体を行き来して、その手に反応するたび声を我慢するのに苦労した。
「行かねえんなら、」
 ふと気がつけば一護の体は再びソファへと沈み込んでいた。探るように細められたノイトラの眼が見下ろしてくる。
『優しい方なんだよ』 
 恐怖ではなく極自然に、一護は眼を閉じていた。


















「あの人、優しい、かもな。‥‥‥‥たぶん、だけど」
 一護から目を離すなと厳命されている。今日も一護の傍でさりげなく守っていたテスラはその台詞に一瞬返事を忘れてしまった。一護は耳だけを赤く染め、自分が言った台詞に恥ずかしがっているようだった。
「‥‥‥‥っも、もしかして、ノイトラ様と?」
 何かあったのかと妙にこちらがドキドキしながら聞いてみれば、一護は小さな声でキスされたと呟いた。
 ‥‥‥‥なんだ、キスか。
 悪いが拍子抜けだ。ノイトラ様のことだ、一気に最後までやってしまったんじゃないかと思ったのに。
 すると隣にいた破面がぷっと吹き出した。
「なんだよ、キス程度でモジモジしてんのか」
「リリネット!!」
「つーかノイトラ様のブツがお前に入るかが疑問だな。痛かったら唾付けとけよ?」
「やめなさいっ」
「ブツって何?」
「真ん中にぶらさがってるあの」
「シャラップ!!」
 一護の耳を塞ぐとテスラはできうる限りリリネットから遠ざけた。暴力を振るう輩だけでなく、ものを知らない一護に変なこと吹き込む輩からも守らなければならないのだ。
 付き合う破面は選べと言っているのに一護はときどき変なものを釣り上げてくる。その一人に敬愛するノイトラがいることも忘れ、テスラはこれからも一護を守っていこうと決意したのだった。

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