繋がっているようで繋がっていない100のお題
057 微笑み合って広がる甘さ
「やっぱ朽木って阿散井副隊長と付き合ってんのかなぁ‥‥」
酔っぱらった同僚のその発言に、一護は枝豆を食べる手を止めた。一護だけでなく、一緒に飲んでいた同じ隊の同僚達も視線を向け、そしてにやにやと笑い出した。
「なんだお前、朽木が好きなのか」
「お高く止まってるって、嫌ってたんじゃねえのかよ」
「あんだけの美少女だ、気持ちは分かるぞ」
酒の勢いもあってか口が軽くなっているらしい。うっかり漏らした本心に、当人はバツの悪い顔をした。
「黒崎、どうなんだ?」
「なんで俺に振るんだよ」
「朽木と仲良いだろう」
「そうでもねえよ。会ったら話をするだけだ」
実際そうなのだが、端から見れば仲良く見えるものなのだろうか。朽木ルキアは一護と同じ席次を持たない平隊員であるが、そんじょそこらの平隊員と同じではない。四大貴族の養子とはいえ、放つ雰囲気が凡人とはまるで違う。加えて可憐な容姿が他隊の男性死神からも人気である。極めつけに実力、どうして彼女が未だに平隊員をやっているのか一護には理解できなかった。
「阿散井副隊長とは幼馴染だって聞いたけど、よく一緒にいるのはそれじゃねえのか」
「良かったな、フォローが入ったぞ」
「いや、別に俺は朽木のことなんて‥‥っ」
赤い顔で否定されてもなあ、と全員からツッコミを入れられ、想いを吐露した本人はそれからむっつり黙ってしまった。明日どんな顔で出勤してくるか見物だ。
「というか俺は、浮竹隊長とできてんじゃねえかと思ってたけどな」
「朽木が?」
「あり得る。よく薬届けにいったり、散歩するの手伝ったりしてるし」
そういえばそうかとも一護は思ったが、薬はともかく、浮竹隊長を支えながら庭を歩くルキアは、甲斐甲斐しいというよりは介護しているというのがしっくりくるような‥‥言わないでおこう、さすがに隊長に失礼だ。
「いーや、俺は志波副隊長とできてると思う!」
「バカ、志波副隊長は既婚者だろ」
「朽木ほどの美少女なら俺は今の妻を捨ててもいい!」
「お前と一緒にするな」
方々から叩かれて撃沈した同僚を横目に、一護は酒を呑み進める。入隊した直後に誘われて飲みに行ったときはお猪口一杯が限界だったが、今では普通に飲めるまでになった。
「黒崎、お前はどう思う?」
「はぁ、何が?」
「朽木が誰とできてんのか。賭けるぞ」
「はぁ?」
居並ぶのはほぼ同期の同僚達。多少羽目を外すこともある。けれどさすがに度が過ぎてやしないか。
「アホくさ。やめろ、暇人共」
「イイコぶるな! こん中で一番悪いことしてそうな顔してるくせに!」
言うな、人が何気に気にしていることを。
一護は無視して酒を呑み続けた。嗜めるにしても酒の入ったこいつらが聞くとは思えない。それにどうせ誰も賭けに勝ちやしない。おそらく朽木ルキアは誰とも付き合っていないのだから。
「俺は大穴で京楽隊長に賭ける!」
「大穴か、それ」
「阿散井副隊長だ、絶対そうだ」
「檜佐木副隊長だろ、こないだ一緒に歩いてるの見た」
一緒に歩いているだけで付き合ってることになるのか、この酔っぱらい。
ここにいる誰もが見た目以上に歳をとっているくせにまるで子供だ。だからお前らいつまでたっても平隊員なんだよ、という言葉は呑み込んでやった。
「ほら、黒崎、お前の番」
「あぁ? やらねーよ」
「いいからいいから」
「いくねえよ。こんなことして、明日どんな顔して朽木に会うつもりだお前ら」
一瞬、場がしんと静まる。それからわっと湧き起こり、一護はなぜか指を差されて笑われた。
その顔で真面目なこと言われても、ということらしい。
あぁ分かってるとも、この鋭い目つきに派手なオレンジ頭。どこのヤンキーかと聞かれれば空座町のヤンキーだと答えられる。そうさ生きてる頃は世間様から不良と言われてたさ。ちなみに死んでからも流魂街で悪さした。
死神になってからは更正しようと思っていたが、我慢の糸が保ってくれそうにない。たぶん酒のせいだ。怒りやすくなっている。仕方ない、酒のせいなんだ。
「てめえら表出ろ!!」
決めた、明日から禁酒しよう。
「ありがとう、黒崎殿」
「ンぁ?」
同僚達を路地裏に引きずり込み二、三発ずつ殴った後、一護は暗い夜道を歩いていた。途中気持ち悪くなって吐いていると、背後から聞き慣れた声がした。
「朽木、か‥‥? なんでいんだ?」
「これを」
差し出されたのはハンカチだった。見るからに高そうなそれを受け取ると、やはり手触りが違った。こんな高級品でゲロを拭き取れというのか。一護はもったいなさに、どうしていいものかと考え込む。
「貸せ」
動こうとしない一護に焦れたのか、ルキアが強引にハンカチをひったくった。そしてきょとんとしている一護の口元を乱暴に拭ってしまう。再び自分の懐に仕舞い込もうとしていたので、今度は一護が慌てて奪い返した。
「洗って返す!」
「気にするな」
「いや、気にするだろ普通」
とにかく洗ってから返すと約束して、一護はハンカチを手に礼を述べるとその場を去ろうとした。
「待ってくれ」
「なんだ? まだ用か?」
「‥‥‥す、少し、歩かないか」
「歩かん。俺は帰る」
「っま、待てと言うのに!!」
お嬢様のくせにけっこう力が強かった。一護は腕を引っ張られ、夜の散歩をする羽目になった。
抉れた月が丁度真上に来ていた。
「斬月‥‥」
丸いのよりも、こういうほうが好きだと思う。一護は夜空を見上げ、うっとりと呟いた。
「ざんげつ、とは?」
「俺の斬魄刀」
「あぁ、なるほど。美しい名前だな」
褒められて悪い気はしない。残った酒のせいもあって、一護は上機嫌に笑いながら礼を言った。すると驚いたような顔で見上げられたので、なにか変だったろうかと首を傾げる。
「‥‥‥いや、そういう顔でも笑うのだな」
「そういう顔って?」
「屈託が無いというか‥‥‥いや、すまない、貶しているのではないぞ?」
「悪そうな顔とはよく言われる。気にすんな」
「いやっ、そんなことはないぞ! 黒崎殿の顔は悪そうなのではなく生意気そうというのだっ、そもそも女子に対して悪そうな顔とは失礼にも程がある!」
力説されても困る。生意気もどうかと思うし。
それにしてもこちらの性別を正確に理解している人間に会うのは久し振りだ。特に隠しているわけではないが、一護を男だと思っている同僚の多いこと。今日だって一緒に飲んでいたメンバーは全員男だった。彼らも間違いなく気付いていないのだろう。
「と、ところで黒崎殿は、どうして死神になったのだ?」
「ん、いきなりだな」
「いや、その、話題としては無難かと思ったんだが‥‥」
焦ったような言い方ともじもじしている仕草が一護には不思議だったが、そのとき特には気にしなかった。それにしても死神になった理由を聞くのが無難とは、もしドス黒い過去があったらどうするつもりだったんだ、コイツ。
「別に大した理由なんて無いけど、聞きたいか?」
「う、うむっ、聞きたい!」
こうも期待されると逆に言いにくい。本当に大したこと無いのだが、まあいいか。
「俺さ、更木にいたんだけどさ、」
「ず、随分とハードなところにいたのだな‥‥」
「つってもそんな長い間じゃないぞ。それに運良くでかめの破落戸集団に入れてだな、」
「う、うむ‥‥」
徐々に引き始めているルキアには気付かずに、一護は過去を語った。
女だと気付かれなかったので仲間に入れてもらえ、良心の呵責に耐えながらも毎日荒稼ぎしたこと等々。血腥い話はぼかしたり割愛したりして、一護はついに核心に触れた。
「そんである日、虚に襲われたんだ。仲間はほとんど殺されるか逃げちまって、俺は運の悪いことに逃げ遅れてな、」
「うむ‥‥っ」
ルキアの喉がごくりと鳴った。
「そのときだ、あの人が現れたんだ」
目の前で斬り伏せられる虚。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。虚の返り血を浴びた一護の背後で、男の低い声がした。
『邪魔だ、ガキ』
声と同時に襟首を掴まれ、一護は後ろに投げ捨てられた。見上げるとそびえ立つようにして立っていた、あの人。
「後で知った。更木隊長だ」
部下の死神達と競うようにしてあっという間に虚の群れを討伐し終えると、腰を抜かして座り込む一護に、あの人はまた声を掛けてくれた。
「どけ、クソガキってな。どうだ、いい話だろ」
「‥‥‥‥‥そ、そうだな、」
「あの人を目指して死神になったんだ。でも十三番隊に配属されるとは思わなかったぜ。鬼道まったく駄目なのに、なんでだ?」
霊術院の教師からも「お前は十一番隊しかない」と言われていたのに。
けれども今の職場に不満は特にない。実際の十一番隊は汗臭そうだったので、十三番隊から更木隊長をお慕いしようと一護は思っている。体育会系は鬱陶しいので御免だった。
「あ、俺こっちだから。じゃあな、朽木」
話しながら歩いていると、突き当たりに差し掛かった。左は一護の住む平隊員御用達の長屋街。右は貴族御用達の高級住宅街だ。
じゃあ、と手を上げて去ろうとしたら、またもや腕を引っ張られて一護は後ろに仰け反った。
「まだ話は終わってない!」
「終わっただろ」
「いいやっ、まだだ! まだ黒崎殿の誕生日とか趣味とか好きな食べ物とか聞いていないぞ!!」
「‥‥‥‥は?」
理解するのに十秒はかかった。一護はぽかんとした顔で、低い位置にある同僚の頭を見下ろした。自分と違って綺麗な黒髪、烏の濡れ羽色というのか、とにかく綺麗だ。その天辺をぼけっと見つめていると、唐突に顔を上げた彼女と目が合った。
「っわ、私と‥‥っ」
「あぁ?」
「私とお友達になってくれないか!!」
お辞儀して片手をびしっと突き出して。
あぁ、こういう番組現世でやってたなあ、と一護が思っていると、何の反応も無い一護に焦ったのか、再び顔を上げたルキアが詰め寄ってきた。
「嫌か? 私のような者とは友達にはなりたくないか?」
「あ、え、いや、」
「私は友達になりたいっ、先ほど居酒屋で庇ってもらったとき、私は嬉しかったのだ‥‥っ」
「えっ、なに、お前あそこにいたのかよ、」
聞いていたのだ、一護たちの会話を。悪趣味な賭けの内容まで知って、彼女はどう思ったことだろう。
「悪ぃ‥‥」
「黒崎殿が謝ることではない。彼らを嗜めてくれただろう?」
「いや、っつうかあれは、お前の為というかただ俺がムカついただけで」
「理由などいいのだ。あのくだらない賭けを辞めさせてくれた、それだけで私は黒崎殿に感謝したい」
それ以上は一護は何も言えなくなった。ルキアが十三番隊に馴染めていないこと、際立った容姿と四大貴族という肩書のせいで周囲から浮き、謂れの無い中傷を受けていることを一護は知っていた。話してみたら意外と普通の人間であるのに、知らない者は色々と妄想しては彼女を傷つけている。
誰かに庇ってもらったのは初めてなのだと、ルキアは小さな声で言った。
「私が話しかけても態度が変わらないのは、黒崎殿だけだよ」
「んなことねえって。買い被り過ぎだ」
「いいや、『朽木家』の私に普通に接してくれて、どれほど嬉しかったか、どれほど救われたか。黒崎殿が入隊してから、私は死神の仕事が好きになった。護廷に行くのが、楽しみになった。黒崎殿と交わす普通の会話が唯一私を幸福にしてくれた。だから、その、‥‥‥できれば、ただの朽木ルキアの友達になってほしい」
暗がりの下でも恥じらっているのが分かる。もしかしたら顔は真っ赤かもしれない。
ルキアは震える指先を伸ばし、一護に差し出した。握手したら、お友達。
「た、頼む‥‥っ」
声まで震えて、まるで小動物かそれに近い。どうか拒まないでと悲愴に顔を歪めて見上げてくる。あーとか、えーとか、うーとか、まるで言葉にならない声を上げて煮え切らない態度の一護に、ルキアがますます顔を歪めてずずいと身を乗り出してきた。
「都合が悪いというのなら皆の前では話しかけない、だから」
先ほどまで困り顔だった一護はがらりと表情を変えた。
「おい、なんだそりゃ」
「は?」
「見てないところで? 俺のことナメてんじゃねえぞ」
「ひぃっ」
低い位置にあるルキアの胸ぐらを掴み、一護は強引に引き寄せた。
「コソコソ仲良くしろだぁ? それじゃあさっきの連中と同じじゃねえか、堂々としてんならまだしも陰でぐちゃぐちゃ言ってんのが俺ぁ一等ムカつくんだよっ」
「黒崎殿、酔ってるのか‥‥?」
「おーよ。けど腹立つ。俺はそんな小せえ男じゃねーぞコルぁ」
遅れて酔いに襲われるタイプの一護は巻き舌で威嚇した。
「お友達になりてえなんて言われたの初めてだから驚いてただけだ、つかお前、本当に俺なんかと友達になりてーのか、お前こそ酔ってねえか、ん?」
「よ、酔ってなどおらぬ!」
「正気か。ならやめとけ」
「なっ、なぜだっ!」
手を離すとまたずいずい詰め寄ってくるルキアに、一護は眠たくなった目を向けた。いつもの儚気なイメージが欠片もない今はどこかギラギラとしたルキアを見て、いつもこうなら皆の対応も少しは違うのに、と取留めのない感想を抱く。
「お前、せっかく流魂街から抜け出せたんだろ。なのにわざわざ俺みたいな流魂街出身の悪い典型と付き合ってどうすんだよ。前よりひどく言われるんだぞ」
「‥‥‥‥なんだそれは。黒崎殿こそ、私を、なっ、ナメている!!」
汚い言葉を大音量で吐き出した直後、今度は一護が胸ぐらを掴まれていた。しかし身長差によって、苦しい体勢であるのはルキアのほうだ。それでも必死になって威嚇するルキアの姿は、見たことがないほど力強かった。
「前々から思っていたが、黒崎殿は己を卑下し過ぎなのだ! 努力して昇ってきたのだろう? なのにどうして己を貶めるっ、他の誰かがそうするのも許せんが、黒崎殿が一番己を蔑んではいけないのに! 私のほうがずっと、ずーーーっと黒崎殿の素晴らしいところを知っているとは何事だ!?」
「おおぅ、ちょ、朽木、落ち着け?」
「落ち着かぬ!! 私はっ、今っ、猛烈に怒っているのだ!! 私とて元は流魂街の出だ、汚らしい犬同然の暮らしをしていた。黒崎殿は、きっと、もっと辛い、‥‥‥いいや、比べるなど愚の骨頂、私が言いたいのはだな、我々は何一つ恥じることなどないということだっ、なにが貴族か、あんなものただの時の運っ、生まれ落ちた場所が違うだけで髪の先から爪の先まで何一つ変わらぬ生き物だ!!」
凄いこと言っちゃってるんですけど、この子。
護廷は実力主義とはいえ、貴族が絶対の権力を持つこの世界において、今のルキアの発言は問題だ。聞かれやしなかったかと一護は思わず周囲を見渡した。
「聞いておるのか!?」
「はいっ、」
「黒崎殿は、笑って過去を話していたが、み、見ていて辛かった、あんなに悲しい目をして‥‥‥、なのに笑って言わないでくれ、私に気を遣う必要などないっ」
「あー、うん、分かった、悪かったな」
「謝らないでくれっ、話題を振った私が悪いのだ、‥‥‥す、すまなかった、」
「お前こそ謝るなよ! ってえ、泣くな! おい、どうすりゃいいんだ俺、」
ゲロを拭ったハンカチを使える筈もなく、一護は困り果てた末に死覇装の袖で彼女の涙を拭ってやった。されるがままのルキアは中々泣き止まなかったので、ようやく目処がついたころには一護の死覇装はぐっしょり濡れていた。
「やっぱり、黒崎殿は優しい、」
可憐に笑ったルキアの手を、一護はいつの間にか握りしめていた。
「おっ、おはようっ、黒崎殿!」
高く澄んだ声が、朝の護廷に響き渡った。十三番隊隊員の視線が集中する先は、何かと話題の朽木ルキア。
白い頬を今は赤くして、彼女はただ一人を見つめていた。
「おう、おはよう」
相手が挨拶を返すと、ルキアは輝かんばかりの笑みを浮かべた。小さな体を喜びに震わせるその姿は、常に見るような凛としたものとはまるで違った。隊員達が驚く最中、ルキアは挨拶を交わした隊員と並び立ち、隊舎の中へと消えていった。
「やっとくっつきやがったか、あいつら」
出勤してきた十三番隊副隊長、海燕の言葉に誰もが度肝を抜かれた。
「つっ、付き合ってんですかあの二人!?」
このとき海燕が違うとも、一護の性別を口にしなかったのもあって、しばらく二人の交際が十三番隊で取りざたされたという。