繋がっているようで繋がっていない100のお題
060 西側が紅く染まり東から闇がやってくる
『人』は悲しいとき、苦しいとき、痛いとき、嬉しいときに泣くのだという。
もっと正確に言えば寂しいとき、惨めなとき、目にゴミが入ったときにも泣くそうだ。
それを聞いたとき、『人』という奴はとにかく泣いてばかりの生き物なのだと俺は思った。いつも目から水を垂れ流す、不思議な生き物。藍染様がそうなっているところは見たことがない。というよりも見たくない。
あの人が泣くということがあっていい筈が無いからだ。あの人は、『人』、ではないのだから。俺達と近くて、けど決して重なり合うことはない。きっと『人』と『破面』の中間に位置する、世界でたった一人の『何か』なのだと思う。
だったら一護は何なのだろうか。市丸達と同じ『人』を裏切った『人』だろうか。それは違う。一護が他の何かと一緒だなんて、それはとても嫌だ。不愉快だ。
だから一護もまた、世界でたった一人の『何か』なのだと、俺はそう思っていた。
その日、現世の空は青だった。俺の髪と同じ青。一護はその青を仰いで目を細めていた。その目は気に入ったものを見据えるときの目で、俺はそのせいでこの頭上に広がる青がいたく気に入らない。
ふらりと姿を消してはふらりと帰ってくる一護。その行き先は誰にも告げない。
今日こそ連れていけと俺はしつこくせがんだ。そして連れてこられた場所は訳の分からない場所だった。一護はこんなところで一体何をしてるんだ。
一護の視線が青から目の前にある灰色の四角い石に移った。周りには同じような石がずらずらと並んでいた。何だココは、辛気クセえ。そう言って石の一つを蹴ってやったら一護にぶん殴られた。死ねって言われた。死なねえよ。
一護は数ある石の中から一つだけを選び出すと足を止めた。漢字の読めない俺にはその石に何が書いてあるかなんて分かりやしなかった。
それから一護は俺に一つの命令を下した。
花を探して摘んでこい、だと。
「どこにあんだよ、そんなもん」
知るか、探せと言われた。
一護は横暴だ。そして凶暴でもある。以前一護に面と向かって解剖してみたいと言ったピンクの科学オタクを八つ裂きにしていた。変態は嫌いなんだそうだ。
いつまで経っても探しに行かない俺に一護の機嫌がみるみるうちに傾いていくのが分かった。一護は短気だった。
とっとと行けこのボンクラ、見つけるまで帰ってくるんじゃねえぞ。
そう言い放った一護は俺の胸ぐらを掴むと引き寄せてキスしてくれた。身長差から、一護の足がつま先立つ。一護は飴と鞭を使い分けるのではなく同時に使う奴なので俺は狼狽えずに一護の唇に集中した。腰を捉えてもっとと強請ったとき、ふいに一護が俺を突き飛ばした。
いけねえ、こんな場所でと一護は何やら石なんかを気にしてそんなことを言った。意味が分からなかった。いつもだったら舌を絡めてうんと深くしてくれるのに、何なんだ石の分際で。
早く行けと促されて俺は渋々ながらも地を蹴った。花を摘んで帰ってきたら一護はたぶん褒美に俺を可愛がってくれるだろう。俺を下僕と笑う奴がいるが、そいつらが羨ましがっているのを俺は知っている。
ザマーミロ、下僕にもなれないカス共め。
花なんて無かった。
当然だ、冬なのだから。そこらに咲いている訳が無い。
浮遊していた魂魄を取っ捕まえて聞き出した情報に俺は愕然とした。これでは帰れない。そして一護は俺に褒美をくれない。
言い訳を考えながらも俺は石の並んだ場所へと戻る。まずは謝ろう。謝れば一護はほんの少し、優しくなる。謝って、拝み倒して、捨てないでくれと言ったなら、一護は許してくれるかもしれない。
「いち、」
そこで俺は見てしまった。
目から水を垂れ流す、一護の姿を。
三つの名前らしきものを延々と繰り返して叫ぶ一護はまるで『人』のようだった。この世界に虫みたいに溢れかえっている『人』と同じように、一護は泣いていた。
それを見て吐き気がした。
なんで、なんでだよ。あれは誰だ。一護はたった一人でなくてはならないのに、なんで他と同じように泣いてやがるんだ。石にしがみついて、小娘みたいに泣くんじゃねえよ。
このとき沸き上がったのは消し去りたいと思った衝動。殺意、なのかもしれなかった。
手に力が集中する。あの石ごと、一護を吹っ飛ばしてしまおう。
一護は俺に気がつかない。ただゆっくりと石を撫で。
あいしてる。
そう言って石に口付けた。そのときの一護の顔を、俺は知っていた。
あいしてる、グリムジョー。
めったに聞けない愛の囁き、それを紡ぐときの一護の顔は今と同じ。
「‥‥‥‥‥一護」
びくりと震えた一護はしばらく動かなかった。ただ石に向かったまま。
花はどうした。
いつも通りの突き放した声。探したけど無かったのだと素直に言えば、当たり前だと返ってきた。俺は聞きたくて仕方のなかったことを聞こうと口を開く。けれどその前に、一護が言った。
この石だ。お前に覚えていてほしい。
そうして振り返った一護の目はもう水を垂れ流すようなシロモノではなくなっていた。茶色の賢そうな目が俺のことを見て、それから空を見上げた。侵すように紅が青を塗りつぶしてく最中だった。
綺麗だと呟いて、一護は俺に駆け寄り頬を包む。
いつか。
お前だけに頼むのだと特別扱いを強調して、そして一護はつま先立った。