繋がっているようで繋がっていない100のお題
064 重なる鼓動が合図
「一護! お前っ、四番隊のもやしと付き合ってるってほんとか!?」
冬にしては温かい昼下がり。
十三番隊の隊舎の縁側で、一護はのんびりとした時間を過ごしていた。今は休憩時間。ちょうど陽射しが注ぎ込むこの縁側は、一護のお気に入りの場所だった。しかし静寂のときをぶち壊す輩が突如として現れた。
恋次と修兵の登場に、庭で遊んでいた雀達がいっせいに逃げていった。短い休憩時間を邪魔された挙げ句の意味不明な問いに、一護は眉間に皺を寄せた。
「どうなんだよっ、もやしと!」
「‥‥‥いきなり何だよ。俺はもやしと付き合った覚えなんかねえよ」
「もやしみてえな野郎とだよ!」
二人同時に詰め寄った。
そのとき、か細い声がした。
「あのー‥‥、それってもしや僕のことですか‥‥?」
いたのかよっ、と二人につっこまれた人物の名前を山田花太郎といった。
四番隊のもやしとは、正に彼のことだった。
それは数日前まで遡る。
『夕日が山際に沈む頃、四番隊の第二出口でお待ちしております。 山田花太郎』
時刻は、夕日が山際に沈む頃。
一護は四番隊の第二出口付近に立っていた。空は晴れていたが、遠くの雲から風に運ばれた雪が先ほどからちらちらと降っている。時刻が経つに連れて気温も下がってきており、一護は寒さに身を震わせた。
呼び出した張本人はいまだ姿を見せない。しかし気配はする。それも複数。
壁の後ろや木の陰、気配がばればれだった。戦闘に長けていない者達だと一護には分かる。ここは四番隊の敷地内だから、隠れているのは四番隊の隊員だと考えるのが自然だ。
そのとき辺りが不意に暗くなった。夕日が沈んだのだ。待ち人現れず。
帰ろうかなぁ、と一護が踵を返したところ、背後で人の声がした。
「やばいっ、帰っちまう!」
「行けっ、山田!」
「男を見せろ!」
曲がり角の向こうが騒がしい。一護が見に行こうとする前に、複数の声に押されるようにして小柄な影が飛び出してきた。
「うわぁあああっ! っお、押さないで下さいよぅ!」
その影はたたらを踏むと、そのまま一護に突っ込んできた。体格で言えば一護のほうが逞しい。飛び出してきた華奢な体を、一護はなんなく受けとめた。
「あ、どうもすいません」
律儀に謝った後、顔を上げたその人物はきゃあっ、となんとも可愛らしい悲鳴を上げた。
「いいいっ、一護さんっ! っあ、そのっ、う、わあっ、」
「落ち着け、花太郎」
脳天に軽くチョップを入れてやると、花太郎はとりあえずは大人しくなった。しかし視線はうろうろしていて、動揺しているのが丸分かりだ。暗くて見えなかったが、このときの花太郎の顔は真っ赤だった。
「で、なんか用?」
「あああああっ、あのっ、‥‥‥‥‥‥なんでもありません!!」
それだけ言うと、花太郎は出てきた角を曲がって消えた。
一体なんだったんだ。一護が呆気にとられていると、また騒々しい会話が聞こえてきた。
「逃げてきてどうする!」
「ぶちゅっとやっちまえ!」
「諦めんな! 成功するほうに全財産ぶっ込んでんだぞ俺は!」
蹴り出されるようにして、花太郎が再び角から登場した。べちゃっと転ぶ姿が憐憫を誘う。
「大丈夫か?」
「‥‥は、はい、あの、一護さん、僕、」
「まずは立てって。顔打たなかったか?」
幼い子供を助け起こすように、一護は花太郎の脇の下に両手を入れて立たせてやった。そのあまりの軽さに少し驚いていると、なぜか花太郎が泣き出してしまった。
「っす、すいません、僕っ、僕って情けない男ですよねっ」
「いや、今さらだし」
「わぁああああっ」
「泣くなよ!」
呼び出した挙げ句に逃げるわ泣くわ、こいつは一体何がしたいんだ。
盛大に泣き始める花太郎を目の前に、一護は途方に暮れた。周りにある気配も気になるし、これはまったく普通の事態ではない。
「ごめっ、ごめんなさぃいいっ、‥‥‥情けないけど僕っ、僕はっ!」
顔を伏せて泣いていた花太郎が、突然顔を上げて一護を見据えた。その真剣な目に一護は息を呑む。しかし泣いたせいで鼻は真っ赤で鼻水も垂れている花太郎の顔に、一護は不謹慎にも吹き出しそうになった。
「一護さんが好きなんです!」
笑えなかった。
「大好きなんです!!」
笑える筈がなかった。
一護はあんぐりと口を開けて、花太郎のぐちゃぐちゃになった顔を凝視した。
「阿散井副隊長や、檜佐木副隊長に比べるとっ、僕なんかチビで弱くて虫けらみたいな奴だとは分かってますっ、でもっ、それでも僕はっ、一護さんのことが好きですっ、好きなんですー!!」
「うわっ、ちょっ、そんな大声で」
「志波副隊長みたいにはなれませんけどっ、一護さんっ、僕とお付き合いしてくださぁい!!」
さぁいさぁいさぁい‥‥。
花太郎の叫びが、一見人気の無い通路に木霊していった。
決して男らしいとは言えない告白に、一護は二の句が継げなかった。
いつの間にか雪がやんでいた。一護は告白の衝撃に、白い吐息すら吐き出せない。
緊迫感が、通りの静けさをいっそう引き立てていた。しかしその緊迫感は、一護と花太郎以外の人物達から発せられるものだった。その場に隠れていた誰もが、一護の答えに全神経を集中させていた。
「‥‥‥‥えっと、」
ごくり。
唾を呑む音があちこちから聞こえた。
握った拳がじっとりと汗を掻いているのに一護は気が付いた。一度開く。指先が震えていた。その震えた指先を、泣きじゃくる花太郎へと伸ばした。
「‥‥‥‥よろしく」
きゅっと握った花太郎の指先もまた震えていた。不安は同じだったんだ。そう思うと、ほっとした。
「一護さん?」
「おう」
「っも、もしかして、今の」
泣いた顔がみるみるうちに輝いていく。一護は照れくさそうに笑いながら、花太郎の涙を拭い、鼻水を懐紙でちーんしてやった。
そして改めて、言った。
「‥‥‥‥俺も、好き」
「いっ、一護さ」
「よくやったぞ山田ぁあああ!!」
二人の距離が縮もうとした瞬間、周囲からどどどっと人波が押し寄せてきた。辺りに複数の人間が潜んでいたのにはとっくに気付いていた一護だったが、実際出てこられるとその数の多さにぎょっとした。
予想通り、潜んでいたのは四番隊の面々だった。
「奇跡! マジ奇跡!」
「海老で鯛を釣ったなオイ!」
「やべーっ、俺ちょっと泣いちまった!」
二人はあっという間に引き離された。
花太郎は四番隊の男性隊士に取り囲まれ、ついには胴上げまでされていた。やめてくださいと花太郎がどんなに叫んでも、その小さな体は宙を舞い続けている。
それを呆然と見上げる一護は、四番隊の女性隊士に囲まれていた。
「もうどうなることかと思ったわー!」
「第七席ってば泣いちゃうんだもの、こりゃ駄目だと思ったのに!」
「よくぞあそこで受け入れてくれたわっ、さすが黒崎君、男らしい!」
何度か見たことのある面々から祝福されるも、一護はまったく状況についていけなかった。
一体これは何の祭だ。もしかして俺は四番隊総出で騙されているのか。
花太郎の告白さえ疑わしくなった頃、一護の肩にそっと繊手が触れた。
「黒崎君」
「うわあああっ! ‥‥‥‥っう、卯ノ花隊長!? いたんですかっ」
「貴方のすぐ後ろでずっと隠れていましたよ」
まったく気付かなかった。
思わぬ人物の出歯亀に驚くも、これは何事かと一護は問いつめようとした。しかし少しも悪びれていない笑みを向けられてしまい、一護は反論のしようも無かった。卯ノ花の後ろで、勇音がぺこぺこと謝っていたのがせめてもの救いか。
「彼の恋の行方を、私達も気にかけていたのです。なにせ、まっ‥‥‥‥‥ったく、進展しないのですもの」
「溜め過ぎです、卯ノ花隊長」
「あまりの焦れったさにちょっか‥‥いえ、助け舟を出してやろうと、今日貴方を呼び出した次第です」
今絶対ちょっかいって言おうとした。
しかし口に出そうとすれば、すかさず卯ノ花がにこりと笑う。この笑みにはどうしても逆らえなくて、一護は口を噤んだ。
「まあ、助けを施すまでもありませんでしたね。彼はよくやってくれました」
満足したような笑みは、心底部下の幸福を喜んでいた。一護はなんだか気恥ずかしくて、耳の先が熱くなるのを感じた。
「彼の気持ちを知っていましたね?」
「‥‥‥‥はい」
ばれている。この人はなんでも知っているのだと思うと、凄いというよりもなんだか恐ろしい。
身を小さくさせた一護を見て、卯ノ花はなんとも柔らかい笑みを浮かべた。
「彼のほうから言わせたかった? あぁ、そんなに赤くならなくてもよいのですよ。意中の相手からアタックされたい思うのは自然なことですもの」
「アタックは古いです、卯ノ花隊長」
「勇音、ちょっと黙ってなさい」
貝のように口を閉ざした勇音を一瞥すると、卯ノ花は一護に向き直った。
「黒崎君。うちの第七席を、よろしく頼みますね」
「あ、はいっ! それは、もちろん」
なんだか花太郎の母親みたいだ。一護は畏まって、腰を九十度に折り曲げた。
四番隊。花太郎は良い同僚に恵まれた。それを一護は己のことのように嬉しく思えた。呼び出したのが花太郎の意志ではないにしろ、この人達のお陰で万事うまくいったのは事実だ。
しかしこの後巻き起こった接吻コールに、そんな感謝は吹き飛んだと一護はのちに語っている。