繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  066 貴方のお腹で十月十日生きたかった  


「っわ、っわ、‥‥‥別れて、くださいっ!!」
 一護の顔ときたら、それはもう可哀想なくらい真っ赤になっていた。言葉を発するだけで精一杯という感じで、今にも死にそうなほどだ。
 付き合いは、短くはない。自分の人生の長さにおいて考えれば微々たるものに過ぎないが、これからも、と考えられるのはこの子が初めてだった。
「あのっ、」
「あぁ、すまない。もう一度言ってくれないか」
「‥‥‥‥別れて、ほしいんです、」
 先ほどよりもずっと小さな声だった。それでも充分、藍染の耳に届く。言われた言葉の意味を咀嚼して、目の前で不安げな視線を向けてくる一護を見下ろした。
 以前よりも少し、頬がまろやかになっただろうか。体の線も随分と柔らかくなって、よく見れば女の子らしいと言える。出会ったばかりのあの薄くて頼り無さげな体は、今では健康的になったと思う。
 そうなるように自分が徹底的に指導した、と言ったらおかしいだろうか。己の体には無頓着な一護は、不健康に痩せた体をずっとそのままにしていた。もう飢えることはないのに、死神になった今でも大した量の食事をとろうとしない。できるだけ二人一緒に食事をとるようにした。自分がいれば、一護はちゃんと食事をとる。
 そうやって自分の手の中で、成長していくこの子の姿を見るのが何よりの楽しみだった。
「そう、僕と、別れたいのか」
 一護の希望を反芻する。自分の口で言葉にしてみたが、どうにも現実感が伴わない。
 愛しいと思う子供から別れを告げられたというのに、ちっとも悲しみが襲ってこなかった。
「一護。それよりも、もう帰ろうか」
「え」
「今日は夕方から雨が降ると言っていたから、その前に、帰ろう」
 二人の家に。
 正確には藍染の所有する屋敷だが、最近では一護と供に暮らす場所だ。帰ろうとする一護を帰さなくなって、一月が過ぎた二人の家。
「帰ろう。ほら、黒い雲がもうそこにある」
「‥‥‥‥藍染隊長、」
「そう呼ばれるのは久し振りだ」
 頬に触れる。一護がびくりと震え、後じさる。
 拒否された自分の手を藍染は見下ろして、それから今度は少し強引に一護に触れた。
「帰ろう」
「‥‥っ、い、たっ、」
 一護の細い手首を掴んで引っ張った。簡単に胸へと吸い込まれる一護を抱きしめて、もう一度帰ろうと言った。
「いや、だっ、帰らない!」
「どうして?」
 穏やかな声で聞き返す。それに反比例して、抱きしめる腕の力は増していった。それでも身を捩る一護に、藍染は仕方ないと息を吐くと、軽く鬼道をかけて気絶させた。











 あの子をどうするつもりなのかと、かつての部下に聞かれたことがある。
 どうするも何も、愛するだけだ。そう返せば、彼は笑って「愛でるの間違いでしょう」と言った。動物を愛でる、人形を愛でる、その種の類いの愛でるだと分かったものの、藍染は何も言い返しはしなかった。
「一護」
「‥‥ん、」
 屋敷に戻り、気を失った一護を布団の上に寝かせてやった。そして先ほど満足に触れられなかった頬に指を這わし、形を確かめる。やはり前よりも柔らかな稜線を描いている。太ったと言ったら一護は怒るだろうが、本当はもっと太ってほしい。
「一護、起きて」
 前髪を後ろに梳かし、生え際に唇を押し当てた。一護の瞼がぴくりと震える。同時に藍染の首に一護が腕を回して抱きついてきた。
 軽く唇を啄むと、もっとというように一護が唇を尖らせる。その可愛らしい誘いに応えてやって、藍染は口付けを深めていった。
「は‥‥はぁ、」
 吐息も呑み込んで、一護の舌を吸う。ぴたりとくっついた体から、一護の暖かな体温が伝わってくる。それをじかに知りたくて、腰紐を解いて前をはだけさせ、薄い胸元に唇を寄せた。一護はまだ目覚めない。それでも体は男を覚えていて、与えられる刺激には素直に反応する。
 閉め切った部屋に熱気がこもる。意識の無い一護の肌を唇で辿り、しるしを付けていった。そしてちょうど臍辺りに唇を寄せたとき、違和感を感じた。
「‥‥‥一護?」
 一護の目尻から頬へと涙が伝う。それと同時に瞼が開き、ようやく一護が目覚める。
 しばらくぼうっと天井を見つめていた一護は、やがて己の体の火照りに気がつくと苦し気に呻く。次いで覆い被さる藍染と目が合って小さく悲鳴を上げた。
「どうしてっ、」
「どうして? 僕達がこうすることに、何かおかしなことでも?」
「別れるって‥‥‥言った、」
「そうだね」
 一護が息を呑む。今、自分はどんな顔をしているのだろう。たぶん、笑っている。可笑しくてたまらない。
 別れるなんて、言うから。
「惣右介さん、」
 呆然とした表情と、そして涙。
 ああ、恐いのか。すまないと謝って笑みを浮かべてみたが、取り繕った偽りの表情になる。一護を安心させられるような、優しい笑みがどうしてもできない。
 それどころか残虐な気持ちが沸き起こって、目の前で震える一護をひどい方法で犯してしまいたいとさえ。
「‥‥っ、やだっ」
 触れようと伸ばした手を弾かれた。
 一度めは許すが、二度めは。
「悪い、子だ」
 薄暗い部屋に頬を張る音が響く。一護は何をされたのか、しばらく頬を逸らしたまま動かなかった。やがて、張られた頬を手で押さえ、震え出す。初めて殴られた衝撃に、声も出せないようだった。
 そんな一護の姿に藍染は笑みを浮かべた。心からの笑み。暗い心が満足した。
「一護、泣かないでくれ」
 ひどく、したい。
 いや、駄目だ。そう思うのに、止められない。
 腰紐を拾う。これでどうしようか。殺さない程度に首でも絞めようか。駄目だ、いけない。絞めたい。駄目だ。だったらせめて、暴れられないように拘束を。
「惣右介さん、惣右介っ、いやだっ、やめて」
「暴れないでくれ。痛いのは、嫌だろう?」
 思ったよりも力が入る。きつく両手を拘束されて、一護が苦痛の声を上げる。涙に濡れる一護の目が信じられないというふうに見上げてきて、こんなことはしたくはないのに、気分が高揚してたまらない。
「別れる、別れる、か。あぁ、そういえばどうしていきなりそんなことを?」
 昨日までは普通だった。愛し合っていた。二人の愛は、一日で冷めてしまった?
「他に男ができたわけでもなさそうだ。君が、そんなに移り気だとは思えない」
 浅い呼吸を繰り返す一護に問うてみても、答えは無い。こうなったらてこでも動かない意志の強さを知っていたから、ここはやはり。
「君が悪いんだ。優しくしたいのに、君はいつだってそうさせてくれない。君が、悪い」
 しつけが必要だ。
 そのとき、部下の言葉を思い出す。愛でる、か。確かにそうだ。愛でもするが気に食わないことがあれば厳しい仕置きも辞さない。人間に対するそれではない。
 こんな自分が、誰かを愛するなんて。
「っあ、なに、なにするんだ、あ、あ」
「大丈夫。すぐに、よくなる」
 足の間に体を割り込ませる。一護の膝裏に手をかけて、胸につくほど折り曲げてやった。そこでようやく一護も事態を悟る。血の気が引いた唇は戦慄いていた。
 可哀想に。だが止められない。抵抗してくる様でさえ、藍染の欲望を煽る。
「終わったら、きっと優しくなれるから、だから今は」
 勝手な言い分だ。けれどこの澱みをどうにかしなければ、一護、君を。
「殺してしまいそうだっ」
 別れるなんて許さない。離れるなんて許せるものか。
 ようやく怒りが表に出る。破裂しそうなそれを抑え、発散するならせめて一護の体内に。無理矢理に開いたそこへと藍染は強引に押し入ろうとした。
「うぁあっ、‥‥っあ、だめ、だめっ、赤ちゃんが」
 嗚咽に混じった最後の言葉に、藍染は動きを止めた。一護は泣きじゃくっていた。
「どういう、ことだ、」
 先ほど感じた違和感を思い出す。臍の下、そこに息づく霊圧。現れて、すぐに消えた。一護であるような、しかしそうではないような、今になって思えばあれは。
「俺っ、迷惑かけないよ、だからお願い、」
「一護‥‥?」
 君しかいらないと、以前言ったことがある。言葉にしてみると陳腐な言葉だった。
 子供は正直に言えば、欲しくはなかった。自分の血が繋がった子供だ、きっとろくな人間にはならないだろう。愛せない自信があった。一護はそれを聞いて、寂しそうに眼を伏せていた。
「僕よりも、それを選ぶのか」
「‥‥‥俺がいないと、生きていけない、」
「僕だってそうだっ!!」
 激昂して、一護の頬を再度打つ。選ばれなかったことがこんなにも悔しい。憎くてたまらない。
 一護を見つけたのは自分だ。自分を見つけてくれたのは。
「一護‥‥‥‥駄目だ、堕ろしなさい」
「いやだっ、いやっ!」
 聞き分けの無い一護を、乱暴に組み伏せる。腹に手を置いて、力を込めた。
 あと少し、少しだけ力を込めてやれば。





















「惣‥‥」
 溜息のように名前を呼ばれ、そこに混じる紛れもない愛情に藍染は満足した。
 襦袢一枚の一護が、藍染の体の上で腹這いになっていた。一護の髪を梳かしながら、甘い会話をする。
 しかしそんな時間はすぐに打ち破られた。隣の部屋から猫のような激しい鳴き声が。藍染ははっきりと不快を顔に乗せるが、一護はそれを気にも留めずに飛び出していった。
 開いた襖から隣の様子が見える。一護が赤ん坊を抱いて、あやしていた。
「惣右介さん。今日はもう帰って」
 この素っ気なさ。先ほどまではあんなに愛おしく呼んでくれていたというのに。
 仕方なく着流しを纏い、刀を差す。一護の傍まで近づいて、後ろから抱きしめた。
「ついでにこの子も」
「結構」
「‥‥ケチ」
 一度も抱いたことはない。我が子だとは思っていない。
「ひどい人。こんな男に、なっちゃ駄目だぞ」
 一護の唇が、赤子に触れる。
 その前に。
「‥‥‥‥ん」
 顎を捕らえて引き寄せる。重ねるだけでなく口内を探ろうとしたが、それは一護が許してはくれなかった。
「さよなら。‥‥‥またな」
 藍染は帰る。
 一人きりの屋敷に。

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