繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  069 蕩けるような君の笑み  


「バレンタインって知ってます?」
 ついにきたか。
 今日の日付は二月十四日。現世で言うバレンタイン。
 一護は無表情に浦原を見返して、知っていると返事した。
「愛を告げる日だなんて素敵じゃないですか」
 浦原はしなやかな動作で一護に擦り寄ると期待の籠った眼差しを向けてきた。
「アタシ、チョコはいりませんよ」
 誰もやるとは言っていないのだが。
 この男は過程というものを大事にしないから困る。さっさと結論に持っていこうとする浦原を心底呆れたように見つめ、一護はとりあえず次の言葉を聞いてやることにした。
「チョコはいらないんですけど、欲しいものがあるんです」
「何だよ」
 薄らと笑んでいた浦原がここで真剣な表情になった。
「一護サンが、欲しい」
「‥‥‥‥‥‥」
 一護と浦原の関係は実に清いものだった。実はまだ手を握っただけという、現世の小学生も真っ青な程の健全なお付き合いをしていた。
 もちろん浦原のほうから何かと仕掛けてくることは頻繁にあったがそれを一護が許さず、いまだにキスひとつしていない。
 バレンタインを期に二人の関係を深くしたいのだろう。しかしこの男とキス‥‥‥‥駄目だ、想像できない。
「あー無理、かなり無理」
「無理とか言わないでください、無理じゃありません、無理だと端から決めてかかるから無理だと思い込むんです、人間その気になれば無理なことなんて一つもありはしないんですから」
「お前だって言ってんじゃんか」
 手を握る、これだけでこの先十年は粘ろうと一護は思っていた。キスやらその先の行為やら、考えるだけでも鳥肌が立つ。
「アタシ達付き合ってますよね!? お付き合いしてる男女がお手々繋いでハイおしまいだなんてなんたる不健全! 尸魂界の未来は真っ暗ですよ!?」
「お前は男というよりかは、オカマ?」
「オカマじゃありません! ちゃんと一護サンという性別メスが大好きですよ!!」
 そしてヒドいヒドいと嘆きながらもちゃっかり一護の肩を抱き寄せて浦原は唇を寄せてくる。しかしこのままキスさせるほど一護は甘くない。
「別れる」
「う」
「キスしたら別れるからな」
 そう告げて一護は目を瞑った。このままキスされたら即、別れる。
 数えること十秒。そっと目を開ければ今にも泣き出しそうな浦原がいた。
「泣くなよ、気持ち悪いな」
「泣いてません、泣きそうですけどっ」
 その表情はどこか色っぽい。顔だけは無駄に整っているのだ。本当に無駄なことに。
 そして自分はこの男の顔が嫌いじゃない。破綻した性格を補って余りある程のこの美貌と才能。浦原が変態として瀞霊廷を追い出されないのはその為だ。
「そんなに俺が欲しいのかよ」
「欲しいです」
 例えば唇とか。
 そう言って熱の籠った視線が一護の唇に集中する。普段は無機質で冷たいとさえ感じる浦原の目が今はとても情熱的だ。一護が無意識に乾いた唇を舐めただけで、浦原の尖った喉仏がゴクリと動く。
「一護サン」
 この男は無理強いはしない。本当はちょっとくらい強引にしても一護は怒らないし別れたりもしないのだが。
「駄目ですか?」
 駄目だと言えば引き下がってくれる。一護にはとことん甘い男だった。
「ねえ、ちょっとでいいんですよ?」
 欲しいものがあれば手段を選んでいられない。目の前にあるのだから手を伸ばして掴めばいい、簡単だ。
 付き合う前に言っていた浦原の言葉。それを思い出した。
 自分は目の前にいるのに、どうして手を伸ばして引き寄せて、思うままにキスしてしまわないのだろう。
「お前ってなんでいちいち俺の言うこと聞くわけ? したいようにすりゃいいじゃねえか」
 一護自身がまさにしたいようにしているというのに。技局の鬼は一護に対してそれをしない。
「そんなぁ、できませんよ」
「なんで」
「嫌われたくないですし、それに」
 浦原は言い辛そうに口を噤んだ。そのどこか恥じる態度が激しく似合わない。
「それに、一護サンの初めての男がアタシでしょう? そりゃもう思い切り幸せにしてやりたいんです」
「‥‥‥‥‥‥」
 一護は寝そべった状態で頬図絵を付いていたのだが、その言葉を聞いた瞬間にずるっと手が滑り床に突っ伏した。
 なんなんだこの男は。こっちが恥ずかしい。
「イヤーもう何言わせるんですかぁ!」
 扇子で顔を隠して盛大に恥ずかしがる男に一護はもう言葉も出ない。逆じゃないのかこれは。
 男の方が乙女思考でいてどうする。
「お前はほんとにもう、もう‥‥」
 その先が続かない。何て言えばいい?
 生まれてくる性別を間違えのだ、互いに。
 しばらく恥ずかしがっていた浦原がふいに扇子を下ろして真剣な顔つきになった。
「バレンタインなんて単なるきっかけです。アタシ達、もう少し親しくなりません?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥分かった」
 その真剣な態度に一護はついに折れた。
 そして徐に胸元へと手を突っ込んだ。
「うわぁ一護サンそんなイキナリ!? アタシは一応段階踏んでいこうと思ってというか脱がすなら是非アタシが」
「ほら、やる」
 浦原の眼前に拳を突き出した。そして手を出せと促す。
「‥‥‥‥‥これは」
「チョコだ」
 ころりと浦原の掌に落ちたのは小さなチョコだった。
「やろうかどうか迷ってた。やったら煩そうだし」
「一護サン‥‥‥‥」
 胸元にこっそりしまっておいた一粒のチョコ。体温で溶けかかっていた。
 それを見下ろし、浦原の表情は次第に緩んでいく。
「嬉しい。しかもピンクの心臓型」
「ハート型と言え」
「食べても?」
 一護が頷けば浦原はそれを一口で食べた。チョコのように、蕩けるような笑みになる。
「美味しいです。一護サンの胸で温められたこの絶妙な溶け加減がまた何とも言えません」
 何とも言えない感想を頂いた一護はそれでも不器用に笑い返した。
 柄じゃない。チョコなんてやるつもりは本当は無かったけれど、浦原のこちらが恥ずかしくなるような本心を聞いて考えを変えた。
 やってよかった。一口で食べられてしまうチョコ一つでこの男がこんなに喜んでいるのだから。
「ということで、一護サン」
「ん?」
 再び寝そべって頬杖を付いていた一護に浦原がすばやく顔を近づける。触れこそしなかったが目と鼻の先でぴたりと止まった。
「ホワイトデー。楽しみにしていてくださいね」
 そしてコツリと額同士が触れ合った。間近で目が合い淡く微笑まれる。
 甘い香りがふわりと漂い、それに一護は目を閉じた。
「一護サン?」
 けれどもいつまで待ってもその瞬間はやってこない。
 目を開ければ浦原は不思議そうに一護の顔を覗き込んでいた。
「‥‥‥‥お前は今最高のタイミングを逃したんだ」
「へ?」
 今なら何をされてもよかったのに。
 心の中で呟いて、一護はきゅっと浦原の手を握った。

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