繋がっているようで繋がっていない100のお題
070 酔ったように唇を重ねた
「いいですか、浮竹隊長。いくら想いが通じ合ったとはいえ、いきなり手を出しちゃいけませんからね」
「っな、何故だ!?」
驚愕も露にする浮竹を見て、海燕は重い溜息をついた。
つい先日、念願かなって一護と付き合えるようになった浮竹だが、どうにも一般人と感覚がズレている。
段階無しに女と付き合ってきたためか、恋愛、という醍醐味をどうやら分かっていないようなのだ。
「本当なら、いきなり押し倒して接吻かました時点でお終いなんですよ。一護だったから、許してくれたようなもんなんです」
「う、うむ、それは、」
「ただでさえ相手は初心者なんだから。ガンガン攻めても嫌がられるのがオチです。落ち着いて、はしゃがず、しつこくしない。そうだな、‥‥‥”おはし”、と覚えときゃいいでしょう」
「おはし‥‥‥」
海燕の恋愛指南はまだまだ続く。
「接吻はいきなりしないことです。するならまず一護の了解を得ること」
「‥‥‥‥分かった」
まだ好きとも言わないうちに押し倒して唇を奪った男は反省したように項垂れていた。
「一護のことだから、最初は恥ずかしくて拒否するでしょう。無理強いせずに、そこは大人の男の余裕を見せつけてやるんです」
そう言ってはみたものの、浮竹の本性は天然物のタラシなのだ。自分がどうこう言っても結局は意味は無いのかもしれない。
おはしおはしと繰り返す浮竹を見て、海燕は再び重い溜息をついた。
「いいか、一護。いくら恋人だとはいえ、ほいほい体を差し出しては駄目だからな」
「バカ! そんなんしねえよ!」
押されて押されて、押されまくった結果、一護は浮竹と付き合うことを了承した。
一番始めに報告されたルキアはこうなることは何となく分かっていたので、それほど驚くことはしなかった。一護のほうも、徐々に浮竹に対して心を傾けていたようだし、なるようになっただけだ。
「浮竹隊長は積極的に迫ってくる筈だ。押しに弱いお前のことだから、押し負けて頷いたりせぬように」
「わぁってるっつーの!」
「甘いな。相手は百戦錬磨のタラシだぞ。うっかり小銭を落としてしまうように、うっかり貫通されていてもおかしくはない!」
「俺の処女を落とし物みたいに言うな」
「いいか、財布の口は固く締めておくのだぞ」
「なんか卑猥なんだけど」
顔を真っ赤にさせて、一護は暑い暑いと団扇を扇ぐ。これだけ危機意識を持たせておけば、即食われるということは無いだろう。
「まあ浮竹隊長のこれまでの努力は認めて、接吻くらいはさせてやれ」
「‥‥‥お、おう、」
一護は途端に挙動不審になった。口元が引き攣っている。
「接吻の際には目を瞑るのだぞ。力を抜いて、浮竹隊長に身を任せるのが良い」
「そういう、もんなのか?」
「そうだ。まあ浮竹隊長のことだ、泣いて嫌がるお前の姿にも興奮するとは思うがな」
「へえ‥‥、」
一護は遠い目をして窓の外を見た。ルキアにしてみればなんと隙の多いことだろう。
残暑と羞恥で頬を熱くさせている一護の手をとると、ルキアは心配だと言わんばかりに強く握った。
雨乾堂の空気は、その日、とても張り詰めていた。
一護は先ほどから一言も口を利いていない。緊張しているのが傍目にもよく分かる。浮竹はどうしようかと手を浮かせ、一護に触れようとしたが。
「‥‥‥いやっ、」
嫌がられてしまった。それにショックを受けて固まっていると、一護はしまったという顔をして、中途半端に浮いている浮竹の手をじっと見つめた。
そして無言で浮竹の人差し指をきゅっと握ってきた。
「ぅぉおっ」
「えぇ!?」
「いやっ、ちがう、今のは、違う!」
「なにが!?」
二人して混乱に陥り、しばらくはまともな会話が出来なかった。なんとか呼吸を落ち着けた頃には、浮竹はしっかりと一護の手を握っていたから不思議だ。
「‥‥‥‥一護」
「っは、はい、」
一護の肌には汗が浮かんでいた。それが流れ落ち、首筋を伝う。その一連の様子が妙に色っぽくて、手を握る浮竹の力が強くなる。引き寄せて、極自然に唇を奪おうとして、浮竹は直後に硬直した。
「‥‥‥‥いや、すまん、」
危ない危ない。海燕の言っていた”おはし”を思い出す。
落ち着け、はしゃぐな、しつこくするな。
こちらをじっと見つめてくる一護にぎこちない笑みを向け、浮竹は思い切って言った。
「一護、その、いいだろうか‥‥?」
目的語の抜けた台詞に一護はきょとんとしていた。
しまった、ちっとも落ち着いていない。今度は言うべき言葉を頭の中で復唱して、今度こそ言った。
「お前に口付けたい」
「いいですよ」
「いやっ、いいんだ、お前がしたくないのなら俺はそれを尊重するっ、」
「だから、いいですよ」
「こうして手を握っているだけで、俺は満足なんだ‥‥‥‥‥なんだって?」
「‥‥‥もう言いません」
一護は怒ったようにそう言って、顔を背けてしまった。
なにか、重大な失敗を犯した気がする。
「い、一護? 今、まさか、」
「何も言ってません」
「いやっ、言った! してもいいと言ったな!?」
勢いづいて、そのまま一護を引き寄せる。しかしその先へは進めなかった。てっきり抵抗されると思っていた浮竹は、目の前で身を震わせながら目を瞑る一護に声を失った。
「浮竹、隊長‥‥‥」
緊張で震える声が、浮竹を正気に戻す。火照った一護の頬をするりと撫でると、頤に指を添えた。少し上向けて、徐々に顔を近づける。
「‥‥っ、ん」
重なった唇は柔らかくて、稚い子供の唇だった。
初めは固く閉ざされていたが、優しく包み込んでは刺激を与え、ついには開かせることに成功する。舌を差し入れたときには一護の体は大きく揺れて、引こうとする体を浮竹は捉えて離さない。
息苦しさから一護が顔を逸らそうとするが、浮竹はそれを許さなかった。後頭部に手を回して床に押し倒し、そしてじっくりと一護を味わい尽くした。
「ぬるっというか、にゅるっというか‥‥‥‥なんか気持ち悪かった」
「っフ。まだ子供だな」
「アァ!? お前したことあんのかよ!?」
馬鹿にしたような笑いに一護は憤慨してルキアに掴み掛かろうとするが、ふと見えた己の指先に途端に頬を赤くして身を引いた。経験は無いが情報だけは豊かなルキアは、一護のその反応に食らいつく。
「まさか体を許してはおらぬだろうな」
「んな、っなわけねーだろ!」
「その取り乱しよう‥‥‥怪しいな」
一護は心を読まれぬよう、ぱっと顔を背ける。そして指先に力を入れて、昨日のことを思い出した。
『早く、お前を抱きたい』
口付けの後そう言って、浮竹は一護の指先を口に含み舌で愛撫してきた。それだけでもう一護は腰砕けになり、起き上がるのに結構な時間を要したほどだ。
タラシと言ってどこか軽く見ていたからか、その威力は絶大で、思い出すだけで耳の先まで熱くなる。
「知らなかった。あの人、格好良かったんだ‥‥」
肩から流れ落ちる白髪だとか、きりりとした眉だとか、男らしい大きな手に、自分を呼ぶ低い声。
それらを思い出しながらぼけっと座っていると、ルキアが小さな何かを手渡してきた。
「今の自分の顔を見てみろ」
掌にちょうど収まる手鏡に、一護はなにごとかとそれを開く。
そこには一護の知らない一護が、今にも泣き出しそうなほどに目を潤ませて、浮竹が好きだと言っていた。