繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  073 逞しい腕に抱き込められて  


 手を握られる。
 そこまではいい、のかもしれない。突然口付けられるよりかはずっとマシだ。
「う、浮竹隊長、」
 手を握られて、そして次には撫でられる。いやらしいと思えないのはきっと浮竹の表情が穏やかで心底幸せだと言わんばかりに緩んでいるからだ。一護が少し手を引いても引っぱり返される。強引でもなんでもないそのやんわりとした力に一護は何も言えなくなった。
「この傷は?」
 右の手の甲についた傷。塞がってはいるが、少し盛り上がった傷痕は見ていて痛々しい。
「三日前の、討伐で、」
 浮竹の指が傷の上をそっと辿った。痛くはないがこそばゆい。それと恥ずかしくて一護はもう一度手を引いたが、やはり引っぱり返された。
 一護が届けにきた書類はまだ一枚も処理されていない。手を握られて、ただ世間話をしているだけだ。お茶を、と言いかけていらないとすぐに断られた。逃げる算段はあっけなく看破されて一護は居心地悪く身を捩った。
 未遂に終わったものの一度は襲われた。それなのに再びこの男と二人きりになってしまったのは海燕が手を回したからだ。普段は海燕自らが持っていく書類を半ば強引に一護に押し付けて、しっかりやれよと言付けられる。しっかりやるとは一体どういうことだ、逃げるな、ということだろうか。
「一護、好きだ」
「はぁ、どうも」
 一護の薄い反応に、浮竹は不満そうに眉間に皺を寄せた。何度も受けた愛の告白に慣れたとまでは言わないけれど、毎回毎回顔を赤らめるほど一護は初心には出来ていない。
 見下ろせば一護の手を握る浮竹の無骨な大きな手、女の手と男の手。しかし透き通るように白いのは浮竹の肌のほうだった。外よりも内に籠り、床に入っている時間のほうが長いのだ。一護のほうは健康的に焼けていて血色も良い。その上に重なる浮竹の手が病的に見えるほどだった。
「ちゃんと、食べてますか」
 つい心配になってそう聞けば、浮竹は一体何が嬉しかったのか口元を綻ばせて頷いた。
「人一倍、いや二倍は食べてるな」
 握る形を変えて、浮竹は指同士を絡ませるように繋いできた。いわゆる恋人繋だが一護にはまったくそんな気は無い。子供同士の戯れのようにして握り返せば浮竹の表情が一層緩んだ。
「お前の作った料理が食べてみたい」
「期待するほど美味いものは作れませんよ。人並みです」
 それでも食べたいと言う浮竹の為に、一護は明日弁当を作ることになってしまった。付き合い初めの恋人達でもあるまいし、もしかして流されてないかと思ったが承諾してしまったものは仕方ない。
「浮竹隊長、そろそろ仕事に取りかかりませんか」
 放置したままの書類を指差して促してみたが、浮竹は見ようともしない。それどころか布団の中から出る意志も見せない上司に一護は素気なく手を振り払った。
「仕事をしない隊長に用はありません」
 そのまま部屋を出ようとすれば待ったの声が掛かる。ようやく布団の中から這い出してきた浮竹だったが、乱れた寝間着姿はとてもじゃないが一隊を預かる人間には見えなかった。
 だらしない、という言葉が出かかったが一護は溜息をつきながらも衿を正してやった。
「一護、」
 何故そこで顔を赤らめるのか分からないがとりあえず腰から手を離して欲しい。下から睨み上げてやれば、真剣な顔の浮竹と目が合って一護は呑まれてしまう。死神になって間もない一護が百戦錬磨の浮竹に適うはずがない。動けない一護はそのまま抱きしめられた。
「隊長っ、」
 汗の匂いに戸惑った。剣稽古をした後の恋次や修兵にじゃれて抱えられたことなど何度もあったが、そのとき感じた汗の匂いとどこか違うそれに一護の顔に血が上る。
「もうしないって、」
「約束したがな、すまん」
 手を握るだけでは我慢できない。低く押し殺したような声でそう言われて一護を抱きしめる腕の力が増した。
 はぁ、と溜息のようなものが首筋に落ちてきて一護の肌が粟立った。体を引けば引っ張られるのは手と同じだったが、そこには容赦ない意志を感じる。周囲は静かで、集中すれば相手の吐息が聞こえるほどだ。それはきっと浮竹も同じで、自分の吐息が相手に聞こえているのだと思うだけで一護は居たたまれなくなった。
 二人きりになるということはこういうことなのだ。自分の甘さと海燕の手回しに腹が立った。
「海燕さん、」
「どうしてここで海燕が出てくるんだ」
 恨みを込めて呼んだだけなのだが、浮竹は不機嫌そうな顔で一護を見下ろすとすばやく顔を近づけてきた。
 この人はちっとも懲りていないんだ、所詮タラシ、最低、弁当なんか作ってやるかと色々浮かんで、絶対後で殴ってやると決心した一護だったが、予想と反して浮竹の動きは途中で失速していった。最後は一護の肩に顔を埋め、唸るような声を発している。
「浮竹隊長?」
「‥‥‥‥口付けなかったから、明日は弁当を作ってきてくれ」
 頼むと肩口に響いた声がくすぐったかったせいかもしれない。
 一護は許し、いいですよと背中を叩いてやった。












「海燕、海燕!」
 このパターン。
 振り返りたくないなと思うものの、相手のほうが海燕の目前へと回ってきた。満面の笑みを称える上司の手には小さな包みが。
「一護が作ってくれたんだ」
「弁当ですか。付き合い初めの恋人同士じゃよくあることですよ」
「っそ、そうか!」
 そのはしゃぎように海燕は苦笑する。巨乳の恋人達だって弁当くらいは作ってきただろうに。
 さて、という感じで浮竹が包みの中を披露する。自室でこっそり堪能すればいいのに、喜びをお裾分けしてくれるとでもいうのだろうか。
 しかし正体を現した一護が作った弁当に海燕はうっと身を引いた。
「‥‥‥‥‥浮竹隊長、やっぱり嫌われてるんじゃないんスか」
 妻の都が自分に初めて作ってくれた弁当にはそれはもう見栄と根性が詰められていた。凝った惣菜は愛情を表していると言ってもいい。
 握り飯と漬け物だけが添えられた目の前の弁当に愛情などという最高の味付けが施してあるとは海燕には思えなかった。
 浮竹はさぞ落ち込んでいるだろう。慰めの言葉をかけようと口を開きかけて海燕はやめた。
「一護の手が握った米‥‥」
 浮竹的にはどうやら問題無いらしい。
 それにしても弁当だけ渡して一緒に食べてくれない一護の厳しさを海燕は指摘したかったが、幸せそうな浮竹を前にして結局は何も言うことが出来なかった。

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