繋がっているようで繋がっていない100のお題
075 心地よさに安住する愚かさ
十三番隊の修練場で、一護を見つけた。
「おーい」
と、掛けた声は結構大きかったものの、一護はちらとも振り向かない。恋次と修兵は互いに顔を見合わせ、そして同時にまた一護を見た。
修練場の小さな窓から中を覗き込んでいる一護は一人ではなかった。その隣には恋次の幼馴染、ルキアもいた。二人して肩をくっつけ合い、熱心な視線を向けるその先には。
「志波、さん」
だったのである。
男二人は同時にあぁ、と声を漏らし、やはり顔を見合わせ、そして一護を見た。
一護の目はまさに恋する乙女だった。本人は憧れだと主張しているが、第三者からみれば非常に微妙な域でもある。たぶんちょっと想いが増えただけで、簡単にあちら側に傾いてしまうに違いない。
「馬っ鹿みてぇ。行くぞ、阿散井」
「はぁ、」
不機嫌も露に先に踵を返したのは修兵だった。恋次もそれに追従するが、背後で湧き上がった歓声に思わず足を止め、後ろを振り返る。
一護が笑っていた。海燕の隣で。
何がそんなに嬉しいんだ、馬鹿。先ほどの修兵と同じように、恋次は苛々とした表情を隠しもせずに体の向きを元へと戻した。と、修兵と目が合う。互いに見つめ合い、同時に。
「っけ!」
負け犬みたいに悪態をついた。
一護は男みたいだ。男みたいだ。男みたいだ。
でも、可愛い。
「‥‥‥‥え」
「可愛い、っつったんだよ、」
叩き付けるように置かれた猪口が、ガンっ、と音を立てた。同時に恋次の頭の中でも、ガンっ、と音が鳴った気がした。
修練場での一件の後、なぜか二人で飲みに行く運びとなった現在亥の刻つまりは深夜。周りでは酔っぱらい達が騒いでいたが、恋次と修兵の一角だけはしんと静まり返っていた。
「‥‥‥酔ってます?」
「おーよ」
「は、はは‥‥‥なんだ、びっくりした」
酔っぱらいの戯言か。安心したのもつかの間。
「酔ってねーと言えねーよこんなこたーよぉ!!」
本音かよ!
また、ガン、と音が鳴る。恋次の頭の中、ではなく、修兵が無意味に猪口で卓を叩いたのだ。それからぎゅうっと握った拳を額に擦り付け、修兵は唸るように言った。
「俺は、おかしくなったのかもしれねぇ‥‥」
懊悩する修兵を前に、恋次は嫌な汗がこめかみを伝っているのを感じていた。
つい先ほどまでは気持ち良く酔っていたというのに、今はもう酔いが醒めたどころか感覚すべてが冴えてしまっている。すべてこの男の爆弾発言のせいで。
「最近よぉ、なぁんか一護見てるとよぉ、むらむらすんだ‥‥‥」
「むらむらって、」
「突っこみてぇ、みたいな」
「‥‥‥っ、下品っスよ、」
「ンだよ、引くなよ、傷つくぞ俺」
もう傷ついてろボロボロになってろよ、と心の内で罵った。たぶん自分は今もの凄く動揺している。修兵が言うことは欲求不満とかそういうのではなく、もしかしたら彼は一護のことを。
「‥‥‥一護はそういうの、望んでねえと思いますよ」
恋次は鼓動を速める心臓辺りに手を置いて、そうとは分からぬように奥歯を軋った。
「俺ら、ダチでしょう。俺と先輩じゃあちょっと違うけど、でも、俺ら三人が揃っちまうとダチになるんだ」
「そう思うか」
「先輩は違うんスか!?」
「前はそうだったけど今は違う」
酔っているくせにきっぱりはっきり言う修兵が腹立たしい。酔っているふうに見せかけて、実はまったくの素面じゃないのか。
「違うだろうよ、阿散井。ダチに突っこみてえと思うか普通?」
「だから下品な言い方やめろ!」
あぁ嫌になる。この人はどうしてこうも即物的なんだ。
次第に怒りが湧いてきて、それを沈める為に酒を煽ったが駄目だった。不味い。酒はただ苦いだけの水に様変わりしていた。
顔を顰める恋次の隣で、修兵がくくっと笑う。潤んだ切れ長の目がそっと伏せられ、表情を穏やかにする。しかしそれはほんの一時。次にはもう、修兵の眉間には盛大な皺が寄り、吐き出すように言っていた。
「あいつが志波さん志波さんって言ってるの見ると腹が立つ‥‥!」
怒気の籠った声に、恋次は思わず肩を揺らした。同時に、この男の本気を読み取った。
けれど矛盾にも気がついた。一護を小突いたりからかったり手加減無しに稽古を付けてやったりと。そう、一護を男に仕立てているのはこの人なのだ。
今さら掌返したように一護に欲情しやがって都合が良すぎるんだよ。
「‥‥‥てめえ、今何つった」
知らず声に出していたらしい。目を鋭くした修兵と視線がかち合った。素直に謝ろうと開いた唇は、しかし煽る言葉を吐き出していた。
「女にさせたくないんでしょ」
「あぁ?」
「一護は男だって安心して大事にしたいんだろっ、自分で手ぇ付けて汚すのが嫌なんだろっ、だったら嫉妬して一護に色気出してんじゃねえよ!!」
言った後に、しまったと思った。瞠目している修兵もそうだが、今や酒場の視線と言う視線が自分たちに向いている。
中には死神もいるだろう。一護の名を出してしまったことに後悔した。
「おう阿散井、表出ろ」
「はい‥‥‥‥」
俺は殺されるかもしれない。
恋次と修兵の顔を見た途端、一護は「うおぅ」と声を上げて仰け反った。
なにせ二人揃って、口元や目元に青痣を作り、頬には湿布。女の子達からきゃーきゃー言われる顔が、無惨なことになっているのだから。
「喧嘩、したのか‥‥?」
恐る恐る聞いてくる一護が面白かった。そんなに不安な顔をしなくても大丈夫だと二人で笑うと、一護もほっとしたように表情を和らげる。男二人の口元が微妙に引き攣っていることには気付いていないようだった。
じゃあ約束通り今日も修練場で稽古をと、先んじて駆け出していった一護の背中を恋次と修兵は見送った。残された男二人の間に流れる空気は、一護がいない今、妙に冷えていた。
「阿散井」
「なんスか」
「お前も素直になれよ」
一瞬見せた先輩の顔。しかし次にはもう敵意すら含んだ男の顔に戻っていた。
一護に続いて修練場に向かった修兵を、今度は恋次が一人で見送った。足下が覚束ない。一歩足を踏み出せば、案の定ふらりと傾いだ。鼓動がうるさい、まるで図星を指されたみたいで嫌になる。
「恋次ー!!」
遠くのほうで、一護がこちらに向かって大きく手を振っていた。早く来いと催促している。
一護はダチだ。恋愛感情? あるかそんなもの。
それなのに。
下がった死覇装から覗く一護の二の腕をこれでもかと凝視している先輩が、心底憎らしいと恋次は思った。