繋がっているようで繋がっていない100のお題
078 容易く冷める恋ならば足掻くことなどない
「こんなところにいた」
草の上に寝転ぶ幼馴染の頭上から声をかける。眠るように細められていた眼が薄らと開きこちらを見上げたが起きるつもりは無いようだった。
「‥‥‥‥‥なぁんや、乱菊か」
「そ。私よ」
よっこいしょ、という掛け声とともに隣に座れば小さな声で「オバはん」と言われた。それに少しの恨みを込めて殴ってやれば大げさに痛いと呻く。額を擦りながらギンがぶつくさ文句を言うので今度は頬を引っ張ってやった。
「いひゃい」
「吉良が探してたわよ。最近ちょっとサボり過ぎじゃない?」
仕事を放ってギンがどこかへ消えるのは常だったが、ここ最近の隊務の滞りには元柳斎からも苦言を呈された。ギンがその気になればあっという間に仕事は片付くというのに、それもしない。
「変よ。いつもだったらギリギリになってやっと動くくせに」
そのギリギリを過ぎてもこの調子だ。吉良が毎日のように他隊に出向いて頭を下げていることをこの男は知っているのだろうか。
「ねえ、ギン」
「‥‥‥‥‥なぁんもやる気せーへんの」
心底やる気の無い声でそう言うとギンは寝る体勢に入った。乱菊とは反対の方向を向いて、その背は拒絶を示していた。
「なによ、辛気くさい」
春だというのに。桜の花びらだって舞っている。
それなのにこの男はじめじめとした梅雨のような空気を纏っていた。
「起きなさいよ。やることやってからそうしてなさい」
「っさいわ。去ね」
この態度に乱菊はカチンとくるも、大きく息を吐き出すことで落ち着かせた。冬獅郎やイヅル以下、他の隊長格からもギンをどうにかして仕事に復帰させろと言われている。常ならばここで放り出しているが、今日は絶対に引いてはならないのだ。
「あんたは一隊を預かる隊長なのよ? その羽織を着てる限り、やらなきゃならないことがあるってことぐらい分かってるでしょ」
「じゃあ脱いだるわ、こんなもん」
寝転んだまま、ギンは隊長を表す白を脱ぐ。
随分と子供っぽい反応だ。どこか拗ねているような、まさか脱ぐとは乱菊は思わなかった。
「‥‥‥‥脱いだって駄目。あんたが隊長よ」
「そしたらやめる。あぁ、やめたるわ!」
「ギン? え、ちょっと!」
今度は起き上がる。そして歩き始めた先は護廷のほう。
仕事に戻るのではない。
「辞表届はどこに出すんや? 山元の爺さんでえぇんかい」
「本気なの!?」
ギンが脱ぎ去った羽織を拾って乱菊は慌てて追いかける。まさかとは思うが不吉な予感は拭えない。
「冗談でしょっ、ねえっ、」
「ボクの本気、拾えんお前やないやろ」
「嘘‥‥‥‥‥」
本気だ。
ギンは本気で死神を辞める気でいる。
「ギンっ」
「うるさい‥‥‥‥‥‥うるさいうるさいうるさいっ!!」
空を切る怒鳴り声に乱菊は震えた。この幼馴染に怒鳴られるのは初めてだった。
呆然としているとギンは先へと行ってしまう。止めなければ、そう思うのに何の言葉も浮かばない。
どうすればギンは止まってくれる? 思い浮かんだ一つの名前を、乱菊は無意識に呼んでいた。
「一護に‥‥‥‥」
ほんの一瞬、ギンの歩調が鈍る。だがそれでも歩みは止まらなかった。
「一護に会った?」
ギンにとっては聞きたくない名前なのかもしれない。それでもギンを動かせられるのは一護だけだと思ったからだ。
「ねえ、」
「‥‥‥‥あの子は、ボクなんかには会いたないやろ」
最近では姿すら見ていないのだと、ギンは呟いた。
「一護なら家にいる。ずっとよ。出られないの」
「まさかっ、怪我でもしたんかっ?」
振り返ったギンは乱菊へと掴み掛かった。その勢いたるや凄まじく、覇気の無かった先ほどとは別人のようだ。
「会ったら、分かるわ」
それだけを聞くとギンは猛然と走って消えた。
手の中の羽織を握りしめ、乱菊はほっと息をついてその後ろ姿を見送った。
バンバンと戸を叩く音に一護は目を覚ました。
なんだ、押し売りか。よし受けて立ってやる。
最近の運動不足から一護は闘争心も露に腕まくりして、訪問者を迎え討とうと玄関へ向かった。
「るせーっ、瓦版ならもうとって‥‥」
半分開けて、勢いよく閉めた。
が、完全には閉まらない。
「ちょ、こら、足どけろっ、閉まんねえだろ!!」
「閉まらんようにしてんねやっ、なんで閉めるん!?」
「別れた男に何で会わなきゃなんねえんだよっ、お前は俺にとっての人生の汚点だっ!」
「汚点って、ボクはばっちくないわいっ、えぇから開けぃ!」
「断るっ、近所迷惑だ帰れ!!」
家の中からしっしと手を振って、ついでにギンの足を思い切り踏みつけた。反射でギンは足をどける、その隙を見逃さずに一護はぴしゃりと戸を閉めた。
内側からがちりと施錠して、ふうと汗を拭ったとき。
「射殺せ‥‥‥‥」
「ままま待てっ、やっぱり開けるからっ」
壊されては堪らない。何より家の中まで届くであろう神鎗は危険極まりなかった。一護は後ろの部屋を振り返り、そしてそろそろと戸を開けた。
「久しぶり」
一年ぶりに見る一護は相変わらず目つきが悪かった。ギンは上から下まで一護を見渡し内心ほっとする。どうやら怪我は無いようだ。
「太った?」
「殺すぞテメエ」
手が出るのも早い。一護の拳を受けとめて、ギンはそっと握り込んだ。
「一護ちゃん‥‥‥」
「トキめくな。そして触るな」
素っ気なく振り払われた。べたべたするのが嫌いなところも変わっていない。
「なんか用?」
下から冷たく見上げてくる一護の顔には早く帰れと書いてあった。しかしそれで引き下がるギンではない。
「うん、話がしたくて。なあ、上がってもええ?」
「駄目だ。ここで話せ」
「ちょっとくらいえぇやん」
強引に入ろうとすれば一護がさっと道を塞いだ。玄関先からは決して先へと進ませない。一護の目がちらちらと後方へ向けられるのを見て、ギンはぎゅっと眉を寄せた。
「誰かおるん?」
「いねえよ。俺一人だ」
けれども一護の霊圧がわずかながらに震えるのをギンは敏感に感じとっていた。奥へと意識を傾ける。かなり集中しなければ分からないような、ほんの小さな霊圧を感じた。
誰かがいる。確実に。
「‥‥‥‥一人ならえぇやろ。上がらせてもらうで」
「待てっ、駄目だっ」
一護を強引に押しのけると草履も脱がずに敷居を跨ぐ。後ろから一護が取り縋ってくるが構わない。
「出てけよっ、なんで突然来たんだっ」
「死神やめよか思って」
「はぁあ!?」
「最後に一護ちゃんの顔見ようと思て来たんやけど」
どうやら新しい男がいるようだ。帰るならそいつの顔を拝んでからにする。
どうせ大した男ではあるまい。一護はとにかく男を見る目が無いのだ。どんな欠点があっても愛してくれる。そんな度量を持った一護に惚れて甘えて、けれども愛想を尽かされた自分。
けちょんけちょんに貶してやる。これは八つ当たりだ。未練タラタラな元恋人の顔を見て、相手の男は一体どう出るか楽しみというものだ。
「いい加減にしろよっ、やめろっ、開けんな!!」
そのときだ。ギンが今まさに開けようとした襖の奥から人の声がした。
それはとても、幼い。
「‥‥‥‥‥なに?」
「あぁ‥‥‥起きちゃったじゃねえか」
それから甲高い泣き声がした。びぃびぃ泣くその声はまるで赤ん坊のようだった。
「どけ」
ギンを押しやり一護は部屋へと入っていった。そして布団の上で蠢く小さな生き物を抱き上げると、一護はギンが聞いたことも無いような甘い声音で語りかける。
「ごめんなー、大っきい声でびっくりしたよなー?」
部屋中に鳴り響くサイレンのような泣き声は一護に抱かれた途端に尻すぼみになる。えっくえっくとしゃくり上げ、そして小さな手指は一護の着物を握りしめていた。
「もうちょっと寝てようなー?」
あの一護が語尾を伸ばして優しく喋っている。別人のようだ。
「一護ちゃん、‥‥‥‥その子、」
「言っとくけどお前の子供じゃねえからな」
冷たく告げられ、けれどもギンの視線は一護の腕の中へと注がれていた。
「勘違いすんなよ。お前と別れた後すぐにできたんだよ」
「せやかて、その子、目細いやんっ」
「瞑ってるだけだっ」
お前とは似てない、そう言って一護は隠すようにギンへと背を向けた。
一護の肩越しにちらりと見える赤ん坊の髪は茶色がかった金髪に近かった。しかし赤ん坊の色素は薄いものだ、それが濃くなれば一護と同じようなオレンジ色になるのだろう。ギンはその赤ん坊の容貌のどこかに自分との類似性を見いだそうとしたが、それはどうにも難しかった。
「帰れよ」
「でも、一護ちゃん、」
「死神やめるんだろ。俺の顔見たんだから、もう帰れ」
「父親は?」
「死んだ」
それがどうしたと言わんばかりだ。一護は背を向けたまま、顔を見られたくないともとれる。ギンはふらりと近づいて、そうすれば自分を見上げる赤ん坊と目が合った。
一護に似ている。男か女か分からない。ギンをじっと見つめ、目をパチパチとさせていた。
「‥‥‥‥ボクにも抱っこさせて?」
「なんで。他人なのに」
「お願い」
しばらくして、一護は小さくうんと頷いた。
ギンは後ろからそっと抱きしめた。一護ごと。
「小っちゃい」
「‥‥‥‥‥‥コラ、俺はいいだろ」
「一護ちゃんも小っちゃくて可愛えなあ」
久しぶりの抱き心地に涙が出そうになる。
「お前の浮気相手よりかはガタイがいいけどな」
「‥‥っう、いや、あんなん遊びやし、今は顔すら思い出せへんで?」
「へー」
「やめようや、子供の前やで。なあ?」
赤ん坊に同意を求めると、あぅーと返された。そして腕をきゅっと掴まれる。小さ過ぎる爪が綺麗に並ぶ赤ん坊の指にギンは見入った。
「男の人が珍しいんだ」
赤ん坊はうーうーと意味をなさない声を発してはギンをしきりに見上げて首を傾げていた。愛らしい、一護の子供だと思うだけで子供嫌いのギンの頬は緩んでしまう。
「ほら」
一護がそっと赤ん坊を手渡してきた。ずしりと重みのある赤ん坊の体は熱かった。そしてふにゃふにゃだ。なんだこれは豆腐か、こんにゃくか、ちょっと力を入れたら潰してしまいそう。
「うわわっ、」
「手はこうして、こう」
一護に指南されてなんとか抱っこする。そうしてみればいかに小さいか分かる。ギンは何も言えなくなって、ただ赤ん坊を見下ろしていた。
「男の子」
「‥‥‥‥‥うん」
「ちょっと体が弱いんだ。でも父親に似て、きっと強い子に育つ」
「父親は、」
「だから死んだって」
誰とも言わずに一護はまたそっと赤ん坊を腕に抱こうとした。
「ボクの子や」
気付けば言っていた。
赤ん坊と目を合わせたまま、ギンは言っていた。根拠の無い確信だけで。
「ボクの子や。‥‥‥‥‥ボクの子」
「ギン、」
一護は首を横に振る。しかし手を伸ばして赤ん坊を取り戻そうとする一護から身を避けてギンは言う。
「死神はやめん。この子と一護ちゃん、養わなあかん」
「ギンっ!!」
怒鳴り声にギンの腕の中にいる赤ん坊がぐずる。一護ははっとして声を潜めるがその目はギンを睨んでいた。
「俺だけの子供だ。お前のじゃない」
「ううん、ボクと一護ちゃんの子や。ボクも一緒に育てる」
「勝手なこと言うなよ!!」
その大声についに赤ん坊が泣き出した。一護はギンの腕の中からもぎ取って自分の胸へと収めると、赤ん坊と同じように泣き出しそうな顔で激しく睨みつけてきた。
「今さらなんなんだよっ、裏切っといて気まぐれに顔見せたと思ったらこの子の父親気取りか!?」
「ボクは、」
「帰れっ、そんなにほしけりゃ他の女に産んでもらえ!」
耐えきれなくなったようにわぁっと泣き出す一護にびっくりしたのか、赤ん坊が泣き止んだ。そして小さな手で濡れる一護の頬をぺたぺたと触る。慰めるようなそれに増々泣き出す一護に、ギンはどうすればいいのか分からない。
「‥‥‥‥‥一護ちゃん」
だから抱きしめた。触るなと言われたが、間にいる赤ん坊を潰さないように、一護を抱きしめた。
「お前のっ、子供じゃないっ、」
泣きながらもそう言われたがギンはうんと頷くだけで一護を離さない。
「お前なんかっ、いらねえんだっ、」
「うん、でも」
「俺だけのっ、」
「でも、また、会いにきてもええ?」
一護は泣いた。泣くだけで、言葉にならない。
「会いにくるから。だからこの子も一護ちゃんも、また抱かせてくれんやろか」
一護は泣きじゃくる。
返事は遂に、もらえなかった。
「で、毎日勝手に押し掛けてるわけだ」
花を摘む男の背中に乱菊は話しかけていた。幼馴染は先ほどからずっと花ばかりを探している。
「ほんとにあんたの子供じゃないかもよー?」
その声にギンはすっくと立ち上がると真顔で言い放つ。
「それでもえぇの。一護ちゃんの子や、ボクは愛せる」
「あっそ。それより顔に泥がついてるわよ」
そんな顔で会いに行くつもりかと、乱菊は手鏡を投げてよこす。ギンはそれを開いて顔についた泥を必死になって拭っていた。
「朽木隊長と鉢合わせして殺し合いしないようにねー」
「なんで朽木はん?」
「だって一護の親友は朽木妹じゃない。一護って朽木家で出産したのよ、知らなかった?」
なんだそれは知らないとギンは驚いた様子で詰め寄ってきた。乱菊はにやりと笑ってもう一つの爆弾を投下した。
「一護の次に、妹押しのけて朽木隊長が赤ちゃん抱っこしたのよ。そのときの顔はもう、初孫誕生を喜ぶ爺様みたいな顔してたわね」
「なぁっ!? ボクより先に抱っこしたんか!?」
「男じゃ一番乗りね」
ギャーと叫ぶギンだったが手の中の花は放り出さなかった。これから一護の家に訪問するのだ、花束くらいは持っていけというのは乱菊の助言だった。ちなみに売り物だと好感度減だと言ってやったので、ギンは現在自力で採取している。
「なあなあ乱菊、こんなもんでええかなっ?」
色とりどりの花を抱えたギンは子供のようだった。昔はそれを気まぐれに自分にくれたものだが、大人になったのだなと乱菊は妙に感慨深くなる。
「いいんじゃない? きっと、喜ぶわ」
ギンには笑顔を見せない一護だが、ふいに微笑むときがある。ギンが百頑張ってようやく一を返す程度だが、ギンにとってはそれが何よりの幸せなのだ。
「さあ綺麗にして。ほら、土落として。会いに行くわよ」
一護の心はまだ固い。
でも愛した男は今もたった一人だけだと乱菊は知っていた。だから。
「頑張んなさいよ、っね!!」
「ったぁっ!」
激励の張り手を背中に贈り、乱菊は小さく応援した。
あんた、父親になるのよ。