繋がっているようで繋がっていない100のお題
082 無知な頭に毒を吐く [一護編]
あの浮竹が学生時代、京楽とともにそれはもう女と浮き名を流しまくったと聞いたとき一護は妙に納得してしまった。
「分かる。あの人さらっと女の人褒めるもんな」
身近な例で言えば「朽木、今日も可憐だな」である。初めて聞いたときはぎょっとしたが慣れればどうということはない。浮竹は毎日違う文句で女性死神達を褒めるものだから、一護はむしろ今日は一体どんなことを言うのだろうと楽しみにすら思っていた。
ちなみに一護自身が褒められたことは一度も無い。
「妙だな‥‥息をするように女性を口説く隊長が一言も褒めんとは」
「たぶん男と認識してんだろ」
一護が男だったら是非とも彼氏にしたかったと同僚の女性死神達に何度言われたか分からない。修行場で男性相手に木刀を振るっていればなぜか黄色い声で応援されるのは一護のほうだった。素直に喜べない。
「ルキアは隊長のことどう思ってんだよ」
「‥‥‥‥ハァ? 私がどうして?」
「俺が思うに隊長、ありゃお前に惚れてんな」
一護は自信満々に言い切った。確信があった。
「お前に話しかけてるときの隊長の目がな、こう泳いでんだ。あれは恋してる目か不審者の目か、どっちかだな」
「‥‥‥‥‥若造が何を言っておる。恋などしたことも無いくせに」
「なんだよその馬鹿にした目は。俺だってなあ」
「こら、喧嘩はよくないぞ」
噂をすればだ。振り返らずともその声だけで誰か分かってしまい、一護とルキアは疾しさから不自然に会話を切って硬直した。
「‥‥お、早うございます、浮竹隊長」
聞かれやしなかったか、二人は恐る恐る振り返ると愛想笑いで挨拶した。
「あぁ、お早う。朽木もお早う‥‥‥‥ん? 香を変えたか、繊細でお前によく似合ってるな」
一護はそれを聞いてにやっとした笑みをルキアへと向けた。ルキアはだから違うという意味を込めて憮然とした表情を作る。
部下二人の遣り取りに浮竹は不思議そうな顔をしていたが声を掛けてきた理由を説明した。
「今日一日は海燕が現世に赴いていてな、お前達二人に俺の仕事を手伝ってもらいたいのだが」
「承知しました」
「すいません隊長、俺は無理です」
「一護‥‥‥っ」
背中を抓られた。一護はそれでも身を捩ってルキアから逃れると笑みを押し殺し、適当な理由をずらずらと並べ上げて浮竹の頼みを断った。
「ルキアなら一人で二人分の働きはしますよ」
つまりは浮竹と二人きり。
浮竹の目が泳ぎ始めたのを見てとると一護はその場をそそくさと去った。
「よールキア、どうだったよ」
同僚の虚討伐を代わってやった一護は現世から戻ってすぐにルキアに声を掛けた。何か進展があったに違いない。他人の色恋沙汰なんてものには興味など無かったがそれが親友のこととなると話は別だ。
「まさかちゅーとかやっちまったんじゃねえのか、え、オイ?」
「楽しそうだな‥‥」
立場逆転に一護は大変気分がよろしかった。ルキアにその気が無いのならば実はこれ以上は余計なことはするまいとは思っていたが、こうして自分がからかえる立場に回れることなど滅多に無い。この機会を存分に楽しむつもりだった。
しかし栄華は長く続かない。
「‥‥‥‥‥っフ!」
「あぁ? なんだよ」
ルキアが余裕の笑みを浮かべた。笑みというよりは今のは嘲笑われた気がする。
「実に、有意義な時間だったぞ」
「‥‥‥‥あ、あぁ、そうかよ‥‥‥‥?」
おかしい。何かがおかしい。
逆転していた立ち位置があっという間に元に戻った感覚がした。
「浮竹隊長には現在恋人はいないそうだ」
「ちょうどいいじゃねえか」
「そうだな。しかも想う方がいるとも聞いた」
「うわー浮竹隊長、本人の前で言うかフツー。まあ言うか、あの人なら」
「想い人にどう接していいのか分からぬそうだ」
「口説いてんじゃん」
ぴ、と指差した先にはルキアがいた。
「馬鹿者!!」
「イッテエ!」
頭には届かないと見てルキアが腹に頭突きを入れてきた。避けきれなかった一護はまともにくらい蹲る。ルキアもルキアで痛かったのか、二人して廊下で苦悶した。
「ぁにすんだよっ、痛ってえな!」
「貴様が先ほどから自分の勘違いに気付かぬからだろう!?」
子犬みたいにきゃんきゃんと吼え合ったが場所が廊下だということに気がつくと二人は声を潜めた。ぼそぼそとした声で言い合いをし、やがてはルキアが妙に気迫のこもった目を向けてきた。
「よいか、私の恋路を心配している場合ではないぞ」
まるで忠告する、というような慎重な言い方に一護は怪訝に思う。ルキアがこういう言い方をするときは何かを隠していて、そしてそれを踏まえた上で言ってくるときだ。
「問題はお前だ。よいな、自分に寄ってくる男がいたら注意深く観察して」
そのときだ。遠くから一護を呼ぶ男の声がした。
浮竹ではない。ルキアもよく知る同僚の男性死神だ。
「さっき任務代わったんだ。お礼にメシ奢ってくれるんだって」
待たせるのも悪い。ルキアがなおも言い募ろうとしたのを制すると一護は駆け出した。背後でルキアが複雑な表情をしていたなどとは知る由もなかった。
「やあっ、黒崎!」
「‥‥‥‥‥どうも、お疲れさまです」
相変わらず元気な人だ。
終業間近に浮竹に声をかけられた一護は半ば呆れながらも挨拶を返す。そしていつもどおり廊下の端に寄り、頭を下げて道を譲った。
「もう帰るのか?」
「はい」
「そうか‥‥‥‥そうだ! 黒崎は現世のチョコとやらが好きだと聞いたんだが」
「はぁ、まあ好きですけど」
「部屋にあるんだ。食べに来ないか?」
その誘いは大変魅力的だったが一護は首を横に振った。
「人と約束がありますので」
これは本当だった。先約を無下にする訳にはいかない。礼をして去ろうとすれば、腕に食い込む力に一護は驚いた。
「実は大事な話があるんだ」
一護はぴんときた。
「ルキアのことですね?」
「っは?」
ルキアのほうは特に浮竹と親密になりたい訳では無いらしいが、どうやら浮竹のほうは違うらしい。
一護の目から見て浮竹という人物はまさに尊敬できる人格を備えていると思う。隊長格と言えば中には人格的に問題の多い者が多いと聞くが浮竹は違う。この人ならルキアを幸せにしてくれるのではないかと、ルキア曰く若造の一護は勝手に考えていた。
「そういうことなら協力します。えぇ、俺に任せてください」
ルキアをどこの誰とも知れない男の嫁に行かせるよりかは浮竹に預けたほうが断然安心だ。ルキアが聞けば余計なお世話だと言いそうなことを一護は真面目に考えていた。
「よし、じゃあ行きましょう」
「あ、あぁ‥‥」
このときなぜかルキアの忠告が頭をよぎったが一護は気にも留めなかった。
目の前のチャッピーグッズ。
ルキアはほくそ笑んでいた。
「ルキアー!!」
うっとりとしていたところに突然の乱入者。チャッピーグッズを蹴散らして部屋に入ってきたのは一護だった。
「ルキアっ、てめっ、知ってたな!?」
一護の顔は真っ赤だった。そしてなぜか死覇装が乱れている。
「お前はっ、知っててっ、俺にっ、言わなかったんだなっ、そうなんだな!」
「何がだっ、あぁ貴様っ、チャッピーを踏んでおる!!」
げしげしと踏みならし、最後にぐりぐりと捻るように踏まれたチャッピーは無惨な姿になった。それを救出したルキアは頭の中で必死に言い訳を考えていた。
「どうしたのだ、その姿は」
一護は何も言わない。その代わりに頬を更に赤く染め、どかりと胡座をかいた。
「襲われた‥‥」
「虚にか? 最近は護廷も物騒になったものだなー」
「とぼけんな!」
今度は手近にあったチャッピーグッズが一護の拳の餌食になった。
「俺だけかっ、勘違いしてたのは!」
「まあ、落ち着け。ところで腰紐が無いぞ」
「ぬ‥‥‥あぁ!? なんでだ!?」
「落ち着けと言っておるのに」
一護の周りからチャッピー達を遠ざけるとルキアは茶を勧めてやった。何があったかなんてだいたい想像はできたが詳しい話は一護から聞きたい。
「チョコ食べながら話してたんだよ、お前のことを」
いかにルキアができた女かを親友の口から語っていたらしい。
「そしたら、お前、アレだよ‥‥」
一護は頭を抱えて唸ってしまった。
「アレとはつまり、手篭めにされそうになったという、アレか?」
「‥‥‥‥信じられねえ、あの浮竹隊長がっ」
ルキアは笑おうかどうか迷って結局は変な顔をして一護を見下ろした。誤解している、浮竹という男を一護は誰よりもできた人間だと考え過ぎている。
「浮竹隊長も男だ。好いた女子と二人きりという状態に耐えきれず欲望を露に襲いかかるということも充分に考えられるのだぞ」
「あぁあああ! 嘘だっ、ぜってー嘘だ!」
ごろごろと転がって嘘だ嘘だと唸り続ける一護はきっと初めて異性に好きだと告白されたのだろう。同僚の男性死神の一人と近頃良い仲だったみたいだが、ルキアがそれを浮竹に伝えた直後にこの有様だ。意外と嫉妬深い男だったのだ、浮竹という男は。
「何をそんなに狼狽える? 浮竹隊長の何が嫌なのだ」
「普通じゃないところ!!」
そう叫んだきり一護は床に突っ伏した。一際大きなチャッピー人形を抱え込んで。
日頃から男らしいだの女を捨ててるだのと言われる一護のその姿にルキアは素直に可愛いと感じた。ふいに見せるこのギャップ、浮竹もこれにやられたに違いない。
「‥‥‥泣くな。私が相談に乗ってやるから」
小さな子供のように泣き始めた一護の髪を撫で、これは他の男にくれてやるのはもったいないとルキアは心底そう思った。