繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  091 爪を立ててでも引きずり落としてやる  


 やってしまった、というのが正直な感想だ。そう、やってしまった。
 隣で眠る男を青ざめた顔で見下ろし、一護は昨夜の記憶を呼び起こしてみた。たしか久し振りに体調が良いからと上機嫌で酒を飲んでいた上司の晩酌に付き合っていた筈。苦手な酒に何度か口をつけて、すぐに酔っぱらったところまでは覚えていた。
「‥‥‥てことは、雨乾堂か、ここ」
 室内は閉め切られていて少し蒸し暑い。一番近い小窓を開けようと布団から出たところで一護は動きを止めた。忘れていた、裸だった。しっとりと汗をかいた体がやや気怠かった。
 布団の周りに散らばっていた死覇装を身に付けると、さてどうしたものかと腕を組んで考え込んだ。これはいわゆる突発的犯行‥‥いやいや行きずり的犯行‥‥違うな、酔った過ち、これだ。
 酒の勢いというものは恐ろしく、一護の理性と彼の理性をも無くさせてしまったらしい。そうでなければ、ただの上司と部下が男女の関係になっていい筈が無い。お互いに気があったのならともかく、一護にとって上司は上司でしかなかった。
 ここは何も無かったように装って部屋を後にしたほうがいいのか、ちゃんと向き合って謝り何も無かったことにしたほうがいいのか、どっちだろう。前者は相手の記憶も曖昧だったら気まずくなることもなく、後者ははっきり言って気まずい。決めた、前者だ。
「‥‥‥ん、起きたのか?」
 コソ泥よろしく部屋を後にしようとしていた一護はひっと悲鳴を上げた。恐る恐る背後を振り返ると、目を擦りながら起き上がる上司の姿があった。くあ、と欠伸をする顔が近所の犬に似ていて無邪気だった。
「まだ早いだろう。こっちに来なさい」
「あ、え、」
「一護」
「‥‥‥‥‥」
 昨日まで、黒崎じゃなかったっけ。
 何だこれは、どうしてしまったんだ。まったくもっておかしい。
 背中を伝う汗を感じながら、一護は布団近くに寄った。薄暗い部屋とはいえ、相手をまともに見ることができなかった。とにかく何か着てほしい。
「体は?」
「え」
「大丈夫か? 昨夜は無理をさせてしまったから」
 無理。
 それはどういう意味でしょう、とは聞けなかった。代わりにこめかみを汗が流れていった。自分が今どういう表情をしているのかまったく分からない。
「それでだな‥‥‥‥その、こうなってしまった後で言うのもなんだとは思うんだが‥‥」
 あ、なんか嫌な予感。
「好きだ」
 その後言われた「付き合ってくれ」という告白に、一護は「できません!!」と答えて部屋から逃げ去った。



 浮竹隊長。高物件。
 顔良し、性格良し、収入良し。
 普通だったらこちらからお願いしたいくらいの良き男性だ。しかし、一護の好みではなかった。嫌いではない。むしろ好きだ、人間として。ただ『雄』を感じない。
「やあ」
「げっ」
 どうしてお前がここにいる、という問いかけはまったくもって愚問だった。ここは護廷の敷地内。五番隊副隊長がいても何ら不思議ではないし、副隊長会議が行われる建物への道すがら、ばったり出会ってしまっても偶然ではない。
「一緒に行こう。話もしたいし」
 忘れ物が、と踵を返しかけた一護の腕を取って、藍染は我が道を行った。最初はずるずる引きずられていたが、一護が諦めたと悟ると歩調を合わせて歩いてくれた。しかし腕は取られたまま。ぶんぶん振り回してみたものの、笑顔でさらに力を込められた。あ、折られる。とどこか冷静に思ったところで手を握られた。しかも指同士を絡めた恋人繋ぎときたもんだ。
「昨日はずっと夜勤?」
 汗がどっと噴き出した。「あー‥‥‥うん」となんとも歯切れの悪い返事。
 途中、手を繋いだ副隊長を見てぎょっとする隊員多数。あぁ、絶対噂になる。
「統学校時代から噂されてたんだ。今さらだよ」
 一護の思考を読んで藍染が言った。あーそういえば、と昔を思い出す。
 藍染とは同期、といっても卒業時期が一緒で、入学時期は違った。飛び級を重ねてあっという間に最終学年に登り詰めてきたのだ。まさに絵に描いたような優等生だったが、実際は悪人の中の悪人だった。
「‥‥‥‥っ、どうした?」
 突然立ち止まった藍染に引っ張られて一護の足も止まった。握った手に力が入る。
「香りが」
「香り?」
 聞き返すと同時に、一護の首筋へと藍染の鼻先が埋まった。彼の肩越しに、唖然としている隊員多数。‥‥‥あぁ、もういい、好きに噂しろ、と自棄になる。
「君の香りじゃない。誰?」
「‥‥‥いや? 何のことかよく分からん」
 心当たりはあった。朝まで一緒に寝ていた男、上司浮竹。思い出しただけでも頭を抱えたくなる。というか、移り香って本当にあるんだ。自分では分からなかった。
「もういいだろ、離れろ」
「誰?」
「お前は俺の何だ? 何でも無いだろ。そういう詮索、はっきり言って不愉快だ」
 指で胸を突いて押し返す。あっさりと離れていったけれど、視線は絡みつくように一護を捉えていた。
「僕と寝たくせに」
「う」
「相性はよかったと思うけど」
「ぐ」
「僕以上に優れた男がいるとは思えない。誰なんだ」
「そうでもねーぞ‥‥‥」
 これは失言。藍染の目つきが険しくなった。
「隊長の誰か?」
 言えるか。
「‥‥‥夜勤‥‥‥浮竹隊長か」
 あっさりバレた。どきっと肩を揺らしてしまったからなおさらだ。
 そういえば副隊長会議。充分余裕を持って隊舎を出たけれど、ちんたら歩いてたからそろそろ時間だ。さあ行こう、さくさく行こう。
「君の貞操観念の低さにはまったく呆れ返る」
「誘ってきたのはお前のほうだろうが」
 貞操観念云々については反論できない。かと言って誰にでも体を開くような淫乱ではないと声に出さず言い返す。勢いとか酒で正体を失ってたりとか、そういう例外は置いといて。
 そもそも徹夜続きで意識が朦朧としていたところを仕掛けてきた藍染には計画性を感じた。疲れて眠たくてもうどうにでもして、と思ったって仕方ないじゃないか。一護にだって性欲はある。よほど嫌な男でなければ、後腐れの無い大人のお付き合いは構わないと思っていた。
 ‥‥‥ん? これを淫乱というのか。
「もういい。君に期待した僕が馬鹿だった」
「へえ。お前、馬鹿だったのか」
 それは知らなかったと嫌味を返せば、珍しく拗ねたような表情の藍染を見ることができた。優等生だろうが神童だろうが、所詮は年下。坊やめ、とこのときばかりは余裕を持っていた。













「俺と藍染、どっちを選ぶんだ」
 なんて、漫画みたいな台詞、まさか言われる日が来ようとは一護は思いもしなかった。やめて、私の為に争わないで、と叫ぶべきか、叫んじゃおうか。
「取り敢えず落ち着きましょう、浮竹隊長」
「ぺい!!」
「わ」
 総隊長直伝か、似てた、すげえ。
 状況も忘れて感心していると、ずっとうやむやにされてきた鬱憤が堪っていたのか、浮竹が詰め寄ってきた。逞しい腕に抱きすくめられる、その直前で二人の間に第三者が割って入ってきた。
「話をしようと呼び出したんでしょうが。冷静に」
「‥‥‥む、すまん、藍染」
 なんか仲良くなってない?
 とは聞かずに思いきり不審を込めてそれぞれの顔を交互に見やった。体を許した男二人が並ぶ様子には薄ら寒いものがある。とっとと帰りたい。
「互いに話を聞いたよ。酔って浮竹隊長を誘ったって?」
「えぇっ、そうだったのか!?」
「覚えてないのか!?」
「なんせ酔ってたんで‥‥‥」
 まったく。と答えるとそれはもうズーンと落ち込まれてしまった。
「‥‥‥ひどい、酔って肩に寄りかかってくるから、てっきり誘われているものかと‥‥‥ひどい」
「なんだよそれ俺悪くねーじゃん!!」
「君が悪い」
「だからなんでだよっ!」
 これだから男ってやつぁ、と呆れ返る。自分の都合の良いほうへと解釈しやがって。
「で、どっちにするんだい? どっちもとか言ったら殺すからね」
「浮竹隊長っ、コイツこんなこと言ってます!」
「俺も何を仕出かすか分からん‥‥」
 あーあー駄目だ、話にならないコイツら。
 耳を塞いで回れ右したい。そもそもどっちに対しても、ある一定以上の好意なんか抱いちゃいない。簡単に体を許した一護も悪いのだろうが、一度寝たからと言って責任取れと男が言ってくるか? 否、言わない。
「どっちも断る」
 二人の顔を見ずに言い放った。そしてもう話は終わりと言わんばかりにさっさと隊舎に戻ろうとしたら、背後から腕を掴まれた。一本ずつ、違う男に。
「若造はやめて俺にしておけ」
「将来性を見込むと僕のほうがお買い得だ」
「俺のために争わないでよそでやってくれ」
 やや棒読み。どっちも断ると言ったのが聞こえなかったのか。
「藍染っ、お前まだ副隊長だろう!? 命令だっ、俺に譲れ!!」
「貴方はうちの隊長じゃないでしょうが。そろそろ隠居したらどうですか」
 仲間割れか。男の友情のなんと儚いことか。
 いいぞやれやれその間に俺は帰る。が、腕を掴む力は一向に緩まなかった。仕舞いには両方から引っ張られる。
「ぃいいい痛えっ、離せこのボンクラども!!」
「藍染離せ、一護が痛がってる」
「そちらがどうぞ」
 引っ張る引っ張る。越前裁きとはなんぞや、なくらい容赦の無い力の入れよう。このままでは両腕を持っていかれると判断した一護はつい叫んでいた。
「勝ったほうのものになるからっ、とにかく離してくれっ」



「ぺい!!」
 本物はやっぱ一味違う。
 なんて、上の空で一護は思っていた。よれた死覇装を直す気にもなれないほどの疲労感。
 建物一棟が破壊され、その事後処理に追われていたのだ。実行犯達は四番隊で治療を受けている、そのまま入院して一生出てこないでくれ。
「十四郎も藍染ももう大人じゃ。口出しするつもりは無いが‥‥」
「はぁ、」
「二度と起こさぬように。ところで黒崎、どちらも好まぬか?」
 興味津々といよりも切実な視線を受け、一護は引き攣った笑いを浮かべた。分かっている、護廷十三隊の隊長副隊長ときたら揃って独り身が多い。いわゆる変人ぞろいなためか、普通に所帯を持っているのはごく少数に留まっていた。
「儂としては十四郎を押したいところじゃが」
「あー‥‥俺、小綺麗な男って苦手で‥‥雄臭いのがいいです。総隊長、誰かいませんか」
「雄臭いというか、獣臭いのが一人おるが」
「今度紹介してください」
 同時刻、四番隊では男二人がそれはもう寒々しい会話を交わしていた。
「吐血してなかったら俺の勝ちだった」
「周りが止めなかったら僕の勝ちでしたよ」
 なぜにこの二人を同じ室内に放り込んだのか。卯ノ花隊長による裁量の背景には、危険人物二人を一カ所に集めておけばいざというとき同時に始末できるから、という思惑があるとは誰も知らなかった。
 勝敗は引き分け。
 一護はほっと胸を撫で下ろした。













 まあ、胸ぐらいなら揉ませてやる。
「ここ、署名と捺印」
「どこだ?」
「ここです」
「ん」
 手前から文机、一護、浮竹、という不思議な図。間に挟まれた一護はときどき悪戯してくる手を真顔でやり過ごしながら、せっせと書類を仕上げていた。後ろから抱き込まれようが肩に顎が乗ってこようが、すべてすべて受け流す。
「一護、今夜暇か?」
「忙しいです。なんせ睡眠という大事な用があるもんで」
「つまりは暇なんじゃないか!」
「字が乱れるっ、もう離れろ!」
 背中から重みが消えた。一護が嫌がることはしないというのが条件だ。離れろと言われたらすぐに離れるように、ときつく言ってある。まるで犬を調教している気分だった。
 構ってほしそうな視線を背後からひしひしと感じるが、一護は一切無視して書類に没頭した。けれどあまりにも鬱陶しかったので、邪魔をしないのならと約束させて、大きな犬に膝枕をしてやった。少々書き辛いが、まあいいか。そのとき雨乾堂を訪ねる気配があった。
「またべたべたとくっついて‥‥」
「藍染、書類か?」
「期限間近のね」
 平子隊長が溜めに溜めた書類がどっさりと。五番隊にも碌に仕事しない隊長がいたのか、と副隊長同士で嫌味を言いあう。膝枕の犬がまるで現実逃避するかのように一護にしがみついた。
「っい、痛っ、藍染、俺の髪を踏むな!」
「すいません、白いので書類と間違えました」
「書類踏むのか、お前」
 二人の遣り取りに一護が笑っていると不意に手元が翳った。見上げた先に秀麗な顔。うわーやっぱりタイプじゃねー、と思いながらも目を瞑った。膝の上の浮竹がぎゃあとか叫んで煩かったので喉元を撫でてやる。大人しくなった。
 勝負は引き分け。一護はどちらも選ばなくて済んだのだが、逆に考えればどちらも選ぶべきだと後で詰め寄られた。どっちもは駄目だと言ったその口でだ。引き分けなどという中途半端な結果しか残せなかった野郎共めが何を言うか、と罵倒したのが記憶に新しい。
 毎日殴り合いでもなんでもやってくれたらいいのだが、それは総隊長に却下された。ついでに獣臭い男性も紹介してくれなかった。後者が、すごくすごく残念でならなかった。
「せめてもっと俺好みになってくれよ‥‥」
 勝負がつくまでは、という条件付きでの共有が始まって、一護は今現在「悪女」の名を欲しいままにしていた。

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