繋がっているようで繋がっていない100のお題
092 この腕で捕らえよう
「誕生日おめでとう。黒崎一護、歌います」
「は?」
「ハ〜ッピバ〜スデ〜トゥ〜ユ〜」
「ちょっと待ちなさい、いきなり何なんだ」
なぜか演歌節で歌い始める一護の口を手で塞いで、藍染は珍しく困惑した。一護が何かを言いたそうにもぐもぐとしていたので手を離してやった。
「祝の歌だろ。黙って聞けよ」
そう言って一護は拳を握って歌う姿勢に入ろうとするので、藍染はまたしても止めた。どうして演歌スタイルなんだ。
「歌はいいから‥‥」
「なんで? 言っとくけど、贈り物なんて無いからな」
言い切った一護の目には後ろめたさが見てとれた。藍染はそれを見て緩く首を振る。おめでとうの一言があれば、他には何もいらなかった。
「僕の生まれた日。それを憶えていてくれただけでありがたいよ」
「‥‥‥‥ふん。俺のときは金かけてくれよな」
真っすぐ見られることに照れを感じたのか、一護はぶっきらぼうに返した。素直じゃないところがこの子の一番可愛いところなんだと藍染は思っていたが、決して口には出さなかった。きっと怒られる。
「本当は‥‥‥着流しとか、煙管とか、気の利いたもんあげたかったんだ」
ぶつぶつと文句を言うようにして一護は言った。
「でもなんであんなに高いんだよ、俺、店の前で固まった」
藍染の持ち物はどれも庶民が手を出せないようなものだと一護は知っていたのだろう。けれども一護の給料ではそれらの品を買うには少々無理がある。自分では当たり前に身につけているものだが、一護にとってはそうではないのだ。
「金持ちと付き合うって‥‥‥‥しんどいよな」
「今日は僕の誕生日だろう、どうしてそういう話に持っていくんだ」
「誕生日だからこそ、俺は今日、言いたいことを言おうと思う。隠し事はするなって言ったのあんただろ」
まさか本音が贈り物、だとは思いもしなかった。その斬新な発想に藍染がしばし呆然としていると、一護はさっそく贈り物という名目で、本音を披露し始めた。
「あんたってなんでいっつも脱がねえの? 俺ばっかり裸にされて恥ずかしいんだけど」
「‥‥‥‥‥いきなり、言うね‥‥」
下のほうの話から始まるとは思わなかった。この子は初心な癖にときどきこういった質問をぶつけてくるから困る。きっと初心すぎて、ただの疑問としてしか捉えていないのだろう。
「ギンが言うにはさ、歳やから寒いんとちゃう〜だって。マジ? それなら聞いちゃってごめん」
今日は本当に自分の誕生日だろうか。なにかの罰を受ける日ではないだろうかと藍染は思い始めていた。
「君は普段、ギンとどんな話をしてるんだ」
「藍染はんは激しいやろ〜とか、歳食うと前戯がねちっこいんやって〜とかよく言ってくるけど」
一護の下手くそな関西弁の発音が緊張感を思い切り削ぎ落としていたが、藍染の中では確実に怒りが溜まっていた。今日一日、元部下の悪行は忘れてやるが、明日からは復讐を実行しようと決意した。
「おいで」
一護の手を引くと膝の上に横抱きにして乗せた。これはじっくり話し合うときの体勢だった。一護は乱れた着物の裾をいそいそと直していた。そのとき見えた一護の膝小僧にさえ、可愛いと思った自分は相当参っていると藍染は自嘲した。
「他に言いたいことは?」
「その眼鏡、全部で何個あんの」
「二つ」
もう一つは予備。しかしその答えに一護は失望したようだった。何十個も持っているとでも思ったのだろうか。
「今までに付き合った女の人の数は?」
「両手両足指以上」
「実は隠し子いるだろ」
「いないよ」
「ギンと寝た?」
「寝ない。こら、そういう類いのことを誰から聞いたんだ」
だいたい予想はつく。一護が気まずげに視線を逸らしたから、きっと上司の浮竹だろう。
咎める気持ちで一護の太腿を抓ってやった。
「知識を得ることは良いことだ。でも意味を知らずに使うと痛い目に合う」
「‥‥‥相手も選ばないとな」
抓られた太腿を撫でながら一護は唇を尖らせた。
「君はとてもつけ込みやすいから、気をつけなさい」
どこがっ、と反論しかけた一護の口を塞いでやった。同時に膝小僧を撫でる。裾を割って、素足に手を滑らせた。
「っつ、つけ込まれてるっ、」
「そう。常に注意は怠らないことだ。僕といるとき以外はね」
抓った内腿を親指で擦ってやると、一護はぴくりと体を震わせて、やがてはしがみついてきた。いつもは跳ね馬みたいに暴れる一護が、きっと誕生日という名の効力に違いない。
「着物も装飾品も、何もいらない。ただ僕の傍にいて、僕と話して、僕を受け入れてほしい」
与えられる刺激にびくびくと反応しながらも、一護は何度も頷いた。そんな一護の可愛らしい膝小僧をするすると撫でそのまま向かい合わせに座らせた。一護は既に息を乱し、これから起こることへの期待と不安で涙を浮かべていたが、震える指先で藍染の眼鏡を外してくれた。
「は、裸に、しねえの、」
「君は誤解してる。僕は中途半端に乱した姿も好きだ」
「そ、そう、」
一護の眉間に皺が寄った。それから耐えきれないとばかりにぽろぽろと涙を零して泣き始めた。恥ずかしい台詞を言われると一護は涙腺が弱くなる。これほど言葉攻めのしがいがある相手はそうはいない。普段ならもっと虐めているが、せっかく一護が大人しいのだ、気が変わらないうちにことを進めてしまいたい。
しかし藍染の焦った気持ちを悟ったのか、一護が動きを止めるようにして体をぴったりとくっつけてきた。
「‥‥‥あと一個だけ、言いたいこと、あるんだけど、」
「浮竹とは寝てないし京楽とも寝ていない」
「違くてっ、あのっ、」
顔が近いことをいいことに口ごもる一護の唇を、藍染はぺろりと舐めてやった。初めは驚いて顔を引いた一護だったが、額同士をくっつけて藍染が舌を差し出すと、やがては一護のほうからおずおずと舌を絡めてくれた。口付けとは違う、舌だけを触れ合わせて、それはまったく獣同士の触れ合いに近い。
一護がどこか恍惚とした表情で、藍染の唇の端から伝った唾液を舐めとった。初心な小娘がいつの間にか女の表情でそんなことをするものだから、藍染はらしくなく喉を鳴らした。
そして視線が合う。するとどうしたことか、女の顔が一瞬にして恋を知ったばかりの子供に戻ってしまった。
「そうすけさんっ」
舌が回らない口でそう叫ぶと、一護はがしっと藍染の顔を両手で掴んだ。
「たんっ、たんじょうびっ、おめでとうっ、‥‥っす、‥‥‥‥‥‥‥好きです」
あぁ、最初からこの言葉が言いたかったに違いない。
真っ赤な顔と切羽詰まった瞳、言おう言おうとしてジリジリしていたのだろう。
素直じゃない性格よりも、丸い膝小僧よりも、この子の不器用なところが何よりも可愛いと思った。
「君は、なんと言うか、ときどき凄いね」
あれだけ高ぶった欲が引いてしまった。どうしよう。
一護は女の顔など忘れてしまったかのようにきょとんとしているし、ここは仕方が無い。
「‥‥‥‥ねえ、僕をどう好きか、詳しく聞かせてくれないか」
日付が変わる時間まで、あと半日以上もあるのだし。