繋がっているようで繋がっていない100のお題
094 行き場のない思いが駆ける[前編]
一護が好きだった。
最初は生意気で言うことを聞かない可愛くない後輩として、色々と世話を焼いていた。それが好きな女に変わった切っ掛けを修兵は覚えていない。
いつからか、他の男に触れてほしくないと思い始め、恋次でさえ一護の髪に触れたら叩き落としていた。一護が上司の海燕を好きだと知ったときは、その日一日苛々が収まらなかった。
挙げ句の果てには、他の女を抱いてる最中に一護の名前を呼んでしまったこともある。修兵はそのとき初めて好きなんだと自覚した。
外見は男みたいなくせに、一護は可愛かった。それはきっと見る目が変わったせいだ。男みたいな一護がときどき見せる、表情や仕草、視線に、可愛らしさを発見できた。それを見つけるたび、好きになっていった。
好きだ、と言ったことがある。
一護は俺も、とそう言って、にかっと男らしく笑った。相手にされていない。じゃあ志波さんは、と聞いたら、一護は少しだけ間を置いて、好きだよ、と言った。
そのとき見せた一護の表情がどこか悲し気に見えたので、修兵はそれ以上何も言うことが出来なかった。
それでも一護と一番仲の良いのは修兵だった。ある日、一緒に飲みに行った先で、酔っぱらった一護を自宅に連れ帰って襲ってしまった。
「やるの? 本気で?」
唇を奪い、一護の体を隅々まで弄って、さあ本番、という頃には一護の酔いも覚めていた。その妙に冷静な声音に修兵はむっとして、手に収まった一護の乳房をぎゅうと掴んでやった。
「やるんだよ!」
酒の勢いもあったのかもしれない。けれど好きだと自覚したときから、それこそ夢に見るほど一護のことを抱きたくて仕方なかった。
「でも俺、初めてじゃねえよ」
「‥‥‥‥‥へ?」
このときの自分がどんな顔をしていたのか、修兵には知る術はない。もしかしたら失望の浮かぶ、一護にとっては失礼極まりない顔をしていたのかもしれないと、後になって思った。
「流魂街、だろ。来たばっかのときは俺弱くて、金無くて、すぐに騙されてさ、‥‥‥だから、そういうこと」
その意味を知らないとすれば、よっぽど治安の良い流魂街に暮らしていた人間だけだ。結構な修羅場を潜ってきた修兵に、分からない筈が無かった。
一護はそんな修兵の顔をただ優しい表情で見上げていた。一向に動かない修兵の体の下で、いつも通り、憂いが見え隠れする瞳で。
「なあ、修兵さん」
「っえ、あ、なに!?」
自分でもどうして、と思うほどに動揺していた。一護は相変わらず冷静なのかなんなのか、息一つ乱していない。
「やっぱり、よそう。明日仕事だし」
「‥‥‥‥えっと、」
何も言葉が出てこない。
変だ、おかしい。俺って、あんなに一護としたかった筈なのに、今は何も考えられない。
「俺の体、あんたが思ってるほど大したもんじゃねえし、それに、変な病気持ってるかもしれねえから」
一護は開いた衿を綺麗に整えながら、さらりとそんなことを言った。そのときびくりと震えた修兵の態度を、一護はどう解釈したのか知らないが、うん、と頷いて体を起こした。
「‥‥‥‥あの、あー、一護、」
せっせと帰り支度を始める一護の背中に、修兵は何と声をかけていいのか分からなかった。このまま帰らせていいのか、何か、何か言わないと。
「一護‥‥、俺、」
「久し振りにドキドキした」
「っえ、」
「なんかさ、変かもしれねえけど、ありがとな」
一護は背を向けたまま、そう言って帰っていった。
「お早うっス」
「おう、一護。早いじゃねえか」
恋次が挨拶を返す。修兵は振り向いて、一護を見ることが出来なかった。
「じゃーな。これから現世だから」
「気をつけて行けよ」
すれ違う瞬間、修兵はさっと視線を逸らしてしまった。一護が昨夜のことをどう思っているのか、顔を見て知ってしまうのが怖かった。
「‥‥‥‥なんスか、先輩。さっきの態度」
「別に、」
「いつもは気持ち悪いくらいに一護に構ってるくせに。俺が先に話しかけたら睨んでくるくせに」
「うっせえ、何でもねえよ」
「一護のこと、好きなくせに」
その言葉に、修兵の肩が大きく揺れた。信じられない気持ちで恋次を見ると、盛大な溜息をつかれた。
「皆気付いてますよ。バレバレだし。たぶん、一護も」
「っな、無えよそれはっ、だってアイツ、そういうの疎いだろっ、」
「そうでも無いですよ。興味が無いだけで、先輩の気持ちには気付いてたと思います」
「興味無えって、俺に対してすっげえ失礼だぞ‥‥‥」
自分で言っても凹んでしまう。確かに一護は、自分のことを先輩としてしか見ていなかったと思う。
「それでも先輩なら、一護のこと落とせるって俺は思ってましたけど」
もう好きじゃないんですか、と恋次に言われ、修兵は咄嗟に昨夜のことを思い出していた。
処女じゃないと言った一護に、俺は何を思った?
「分かんねえ‥‥」
「は!? なんスかそれっ、先輩頭大丈夫か!?」
恋次に肩をがくがくと揺さぶられ、ついでに頭も殴られた。いつもならやり返す修兵はされるがままで、殴られた頭を押さえながら言った。
「分かんねえんだよ、俺って本当に一護のこと好きなのか‥‥?」
「しっかりしろ! 一護とセックスする夢見ちまったって、真っ赤な顔して言ってただろーが!!」
その夢の中の一護は処女だった。恥ずかしがって、必死に逃げて、昨日みたいにさらっと処女じゃないよと言えるような奴では無かったのだ。
増々分からない。特別、処女にこだわるような性癖は持ってはいない筈だ。むしろ遊び慣れた女とよく付き合っていた。それがどうしてこんなにもショックなんだ。
「一護と何かあったんスか?」
「昨日、」
「昨日? たしか飲みに行くって、」
「家に連れ帰って、襲った、」
「っお、おぉっ、‥‥‥‥合意、ですよね?」
「いや、してねえ、できなかった‥‥」
昨夜の出来事を、修兵は洗いざらい恋次に話した。
途端に鋭い拳が飛んできた。
「てっめえ!! 一護にそんなこと言わせたのかよっ、アァ!? 信じらんねえっ、死ね!!」
本気の拳だった。よろめく修兵の胸ぐらを捕まえて、恋次はさらに言った。
「処女じゃねえのがそんなにショックかよ! あいつだって好きで無くしたわけじゃねえだろうがっ、本当ならっ、惚れた男にやりたかったもんをっ、それをあんたなあっ」
再度振り上げた拳を、恋次が振り下ろすことは無かった。ぶるぶる震えるそれは、ゆっくりと仕舞われた。
「‥‥‥‥あいつが、どうして志波さんのこと好きか、知ってますか」
怒りを押し殺す声を修兵は黙って聞いていた。恋次に対して怒る気になれないのは、自分が殴られて当たり前の大馬鹿だと分かっていたからだ。
「あの人は絶対に自分のことを好きにはならないから、だから安心して好きでいられるって、そう言ってたんです」
「‥‥‥‥なんだよ、それ」
「分かんねえよ! 分かんねえけどっ、でもそれ聞いたとき、先輩なら一護のことどうにかしてくれるんじゃねえかって俺は思ったんだっ、なのにこのバカなにやってんだよ!!」
再びガツンと殴られた。鼻血が出るほどのクリーンヒットに、修兵は呻く。
「ありがとうとか言わせてんじゃねえよっ、そのまま襲って愛してやりゃあ良かったんだっ、それをっ、このっ、馬っ鹿野郎っ!!」
最後にもう一度殴られた。恋次の泣きそうな顔が、なぜか修兵に昨夜の一護を思い出させていた。