繋がっているようで繋がっていない100のお題
094 行き場のない思いが駆ける[中編]
「処女じゃない女って、男にとっては萎えるもんなんですか」
昼時だった。
おむすびを頬張りながら、一護がそんな突拍子もないことを言うものだから、乱菊は盛大に茶を吹き出してしまった。
「げほっ、ごほっ、‥‥‥っは、っはぁあ!?」
「どうぞ。胸にも零れてますよ」
狼狽する乱菊に対して一護は実に落ち着き払っていた。手拭を渡された乱菊は呆然としながらも、濡れた口の回りと胸を拭いた。
ちら、と一護を盗み見る。一護は食事を再開していた。自分が今、何を言ったかなんてことには少しも頓着していない様子だった。
乱菊はそんな一護の姿を今度はじぃっと観察した。肌が綺麗だ。若いっていいな。
「じゃなくてっ、一体どうしたのよ」
「特に意味は無いんです。ただ、どうなのかなと思って」
指についた米粒をぺろりと食べて、一護は一息ついていた。
乱菊は困惑していた。この子はこういう話を平然と出来る子だっただろうか。過去を振り返ってみると、そういえば一護とはこうして際どい話をしたことが一度も無かったことに思い当たった。
「意外。あんたってこの手の話、苦手だと思ってたわ」
「好きでもないですけど」
「真っ赤になって逃げると思ってた」
一護はくすりと笑った。唇だけを持ち上げるその笑みに、乱菊ははっと息を呑む。
この子はときどき、こうやって笑う。
「ねえ、何かあった?」
自分でも驚くくらい、優しい声が出た。無性に護ってやりたくなるような、乱菊にとって、一護はそんな気持ちにさせる子だった。
一護は遠くのほうを眺めながら、ぽつりぽつりと話してくれた。
その話は進行するほどに、乱菊の拳に力を入れさせた。綺麗に磨いた爪が掌に食い込んで血が滲んだとき、一護の話が終わった。
「キィーーーー!! ムカつくっ!! なにそれっ!! ぶっ殺してえ!!」
「乱菊さん、落ち着いて。胸が飛び出しそうです」
「だってほんとにもう腹が立つったら!! 乳の一つや二つ零れるわよコラー!!」
拳を突き出して雄叫びを上げる。このやり場の無い怒りがどうにも収められず、乱菊は勧められるがままに茶を一気飲みした。力が入り過ぎて水筒が砕け散ったが、そんなの今はポイだ。
「‥‥‥‥っで? 相手の男はどこの誰よ」
「聞いてどうするんですか」
「決まってんじゃない。野郎のブツをちょん切ってやんのよ」
一護の頬の筋肉が引き攣った。けれど乱菊がどれほど問いつめても、一護は男の名前を明かさなかった。
「別にいいんです。怒ってないし」
「何言ってんのっ、ここで怒らずしてどこで怒るつもりなの!?」
「乱菊さんは怒った?」
ふいに純粋な目を向けられて、乱菊は怯んだ。
「初めてじゃないって知って、乱菊さんを抱かなかった人っている?」
今度は唖然とした。この子は本当に乱菊の知っている黒崎一護だろうか。
目をぱちぱちとさせること十数秒。乱菊はその問いに、ようやく答えることが出来た。
「‥‥‥‥そんな器の小さい男とは、付き合ったこと、無いわ」
「そっか。でもあの人も、器は小さくないと思うんだけど」
「バカっ、小っちゃいわよ! 処女じゃないからってあんたを抱かない男よ!?」
「俺に手を出そうって時点で、器の大きさを感じるけどなあ」
一護は笑みを押し殺してそう言った。その姿は本当に、怒りといったものからはかけ離れていた。
「本当に、怒ってないの? 傷ついたんでしょ?」
「そりゃ少しは。でもあの人、俺に酷いこと、しなかった」
一護は自然と俯いて。
「今思うと、びっくりしたんだろうな、って。ほら、乱菊さんもでしょ?」
それは確かにそうだった。一護について、男にまつわる過去があろう筈が無いと、頭のてっぺんから信じ込んでいた。際どい話を振れば狼狽えて、居心地悪そうにそわそわするんじゃないか。そう思っていた。
けれど実際には違う。本当の黒崎一護は、乱菊の目の前で少し体を小さくさせて、話をしていた。
「あの人、凄く優しく触ってくれたんです。そんなふうにされんの、俺初めてで、嬉しかった。‥‥‥‥まあ、酔ってる奴をどうにかしようとするのはアレだと思いますけど」
顔を上げた一護はいつもの一護の顔で笑った。その太陽みたいに眩しい笑みは、乱菊の胸をどうしようもなく締め付けさせた。
目の奥からこみ上げてくるものを感じて、乱菊は慌てて顔を上げると言った。
「ねえっ、一護っ、」
「はい」
「あんたっ、きっといい女になるわ!」
「乱菊さんみたいな?」
そのとき乱菊の目から、ぽとりと雫が落ちた。