繋がっているようで繋がっていない100のお題
096 私はここに
「機嫌が悪いようだね」
声が掛かったのは一護がすっかり暴れ回った後だった。部屋には散乱した食事と食器。それを避けて男が歩み寄ってくる。
「食べなければ体がもたないよ」
心配しているように聞こえるがそれは嘘だと分かっている。一護は思い切り睨め付けた。
「その唇は?」
指をやれば血が付着した。恐らく暴れたときに食事を持ってきた破面に殴られたからだろう。忌々しいことに斬魄刀を持たない自分は下っ端の破面にさえ適わない。
「君には手を出すなと言っておいたのに」
憂いた表情に反吐が出る。一護は手を伸ばしてくる男から顔を背けた。
「新しい食事を持って来させよう。今度はちゃんと食べるんだ」
その言葉に一護は無言で拒絶した。膝に顔を埋め、出ていけと示す。
「そうだ、君を殴った者を罰するのも忘れてはいけないな。次は躾の行き届いた者を付けるとしよう」
「‥‥‥‥やめろ」
「なぜ?」
それは恐ろしい提案だった。同じようなことが以前にもあった。思い出して背筋が凍る。
「変えなくていい、俺が、悪いんだ‥‥っ」
自分を殴った破面に同情している訳ではない。ただこの男はわざと自分の目の前で処刑するのだ。見せつけるかのように。
「‥‥‥‥‥そう。優しいね、君は」
すべて分かっているだろうに。男は淡く微笑むと一護の切れた唇をそっとなぞった。
その日、扉は開いていた。
最初に浮かんだのは『罠』。どう考えてもおかしいではないか。
「‥‥‥‥‥‥」
それなのに体は正直だった。一護の手は既に扉に触れていて、開いた扉の隙間からは廊下の様子がうかがえる。
とても静かだった。少し力を加えれば、キィと音を立てて扉が更に開かれる。
ゴクリと唾を呑み込んだ。出れる、ここから逃げ出せる。
「‥‥‥‥っ」
衝動的に走り出していた。
裸足に冷たい廊下の感触、ずっと続く廊下の景色、そしてそこかしこから感じる誰かの強い霊圧が一護の足をもっともっとと急がせる。
「っは、っは、」
全速力で駆け抜ける。息が乱れるのは緊張と運動不足。斬魄刀こそ奪われたが霊圧を封じ込められている訳ではない。それでも長い間、戦いから退いていたせいで少しの距離にも心臓が悲鳴を上げた。
そして見えたのは硝子の無い窓。そこから身を躍らせようと枠に手を掛けた。
「!!」
一面の砂漠。しばし呆然として、それから身震いが襲った。
この先を自分は一人で行くのか、何も持たず、誰にも頼れず、行けるのか?
「‥‥‥‥あ‥‥っく、」
行くんだよ!
枠に掛けた手に力を込めて身を乗り出した。けれども砂漠から吹いてくる生温い風に途端に身が竦んでしまった。どこまでも続く砂だけの光景に、見れば見るほど力が抜けてくる。
「動け、動けよ‥‥っ」
命令を口に出してはみるが手も足も言うことを聞いてくれない。焦りばかりが生まれてやがては泣きたくなった。
藍染、あの男。
きっと自分に何かしたに違いない。怪しい術を使って、自分の心を弱めてしまったに違いない。だから。
だから、自分は。
「鍵をかけ忘れたようだ」
相変わらずの穏やかな声。背中で受けて、一護は振り返りもしない。
「でも抜け出さなかったようだね」
偉いと褒めるかのように頭を撫でられた。振り払う気力さえ一護には無かった。ただされるがままに身を任せる。
「ここが気に入ったかい?」
頷くことは出来なかった。けれども否と首を振ることも出来ない。
一護はただベッドに寝そべり、冷たい壁を見つめるだけだ。
「そういえばここには窓が無かったね。作ろうか?」
髪に触れる手がするりと一護の喉元に滑った。そのまま絞めてくれないだろうか、そんなことを考えた。
しかし指先は一護の喉に食い込むどころから猫にするのと同じ仕草で優しく撫でてくる。くすぐったさに身を捩り、一護はうつ伏せになってあくまで喋るつもりは無いと無言で示す。
「外の風景を見れば少しは気が晴れるだろうか」
後ろ髪を払われうなじに熱を感じた。それから衣服に手をかける音が聞こえた。
「可愛い、私の一護」
首輪を付けようか。
熱に浮かされる最中、何色がいいかと聞かれた。
あの給仕の破面は二度と姿を見せなかった。
窓が作られあの恐怖を感じた砂漠をいつも見ることができた。
扉は毎日、開いていた。