繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  097 あったはずの物  


『九対一』
 それは男の中に占める嘘と真実の割合だった。
「嘘ばっかり言いやがって!」
 嘘が『九』で、真実がたったの『一』。もしかしたら『一』も無いのかもしれない。
「いい加減にしろよっ、また嘘なんだろ!」
「本当ですよ」
 これも嘘だ。
 堂々と嘘を口に乗せて笑みを浮かべる男が憎たらしい。
「もういい! 今度こそ別れるからな!!」
「あっはは! その言葉、何回目?」
「知るかっ、覚えてねえよっ、でも本気だ! 本気でもう、お終い、だ‥‥」
 一護はがっくりと項垂れた。本当は別れたくない。好きだった。
「アタシのこと好きなんでしょう?」
 言い当てられて、一護の肩が小さく揺れた。一護がどんなに嘘を吐いても、男にすぐ見破られる。だったら嘘なんて無いのも同然だ。
 一護が『九』で、男が『一』。いや、きっと一護が『十』、好きなのだ。
「俺だけ‥‥」
 キスもセックスもたくさんしたけれど、これはただの一護の片思いに過ぎなかった。随分前から分かっていたことをぼんやりと考えて、喉の奥がひゅうと寒くなった。
「ねえ、顔を上げて? アタシのこと、許してくれますよね?」
 薬品で荒れた男の手が一護の肩に触れた。そこからすうっと二の腕までを撫でられて引き寄せられる。
「一護さん、アタシの一護さん。本当に、好きですよ」
 それは都合の良い相手だからだろうか。数えきれないほどの浮気を怒りながらも許してしまう、気の弱い奴だと思われているのだろうか。
 きっとそうだ。
 そんなの、恋でもなければ愛でもない。
「‥‥‥‥‥喜助」
 それなのに一護はぎこちなく名前を呼ぶと、浦原の背中に手を回した。くすりと笑う声が落ちてきて、あぁ負けた、と無性に泣きたくなった。
「愛してますよ」
 嘘だ。
 見上げれば綺麗に微笑む男がいた。自分は今、どんな顔をしているだろう。
「泣かないで」
「‥‥‥‥っ、う、」
「本当に、愛してるんですから」
「うそっ、だ‥‥っ」
「本当ですよ」
 本当でも、この男の手に掛かれば嘘になる。一護がそれを一番知っていた。
 初めて好きだと言われたときも、今では嘘だったような気がする。初めてキスをして、真っ赤になる一護を可愛いと言ったその言葉も、おそらく嘘だ。
 本当に違いないと思うことさえも嘘だったような気がして、一護は不安で目眩がした。涙も止まらない。しかしあやすように背中を撫でられて嬉しいと思ってしまった。この手も嘘だというのに。
「‥‥‥‥好き、」
「えぇ。分かってますよ」
 男は嘘の固まりだった。どうしてこんな男に惚れてしまったんだろうと、抱かれる最中も一護はずっと考えていた。
 夜になり、隣で眠る浦原を起こさぬように一護は部屋を後にした。死神の仕事に昼夜は関係ない。これから任務で現世に下りる。帰ってきたら、浦原はまた浮気をしているのだろう。そして自分は別れるとまた喚くのだ。
 ぐるぐると同じことを繰り返してよく飽きないことだ。自分も、浦原も。
「お前なんか嫌いだー! このインポ! 粗チン!」
 その夜、一護は月に向かって大きく嘘を吐いてやった。












「こんなっ、嘘だ!」
 悲哀に満ちた叫び声に、一護の意識が浮上した。誰だ、嘘とか言ってる奴は。
 起き上がって声の元を探ろうとしたが、信じられないことに指一本動かせなかった。周りが騒がしい。何を言ってるんだ。
「一護っ、しっかりしろ!」
 誰だっけ、この女の子は。
 紫色の目が綺麗だ。こんな美人の知り合いなんていただろうかと考えて、一護は急激に眠たくなって瞼を下ろしていった。
「寝るな! 馬鹿者っ、寝るんじゃない!!」
 バチバチと頬を叩かれた。綺麗な顔して乱暴な奴だ。
 やめろ、ルキア。
 あぁ、そうだ。こいつはルキアだ。
「起きろっ、‥‥‥そうだ、そのまま‥‥‥‥私だ、分かるな?」
 分からない。これは一体どういうことだ。
 どうしてこんなに眠たくて、どうしてお前はそんなに泣きそうなんだ。
「‥‥‥‥‥‥」
「ん、なんだ? ‥‥‥っ、私は怪我などしておらぬっ、まったく、お前という奴はっ‥‥‥」
 ルキアが泣いている。これは貴重だ。じっくり見てやろう。
「一護、っう、く、一護‥‥っ」
 後ろから知らない死神が出てきて、そっとルキアを下がらせた。一護の頭上では専門用語が飛び交って、誰も彼もが一護のことを深刻な面持ちで見下ろしていた。
 そのときになってようやく一護は理解できた。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥分かりました。朽木さん」
 隊員に呼ばれ、ルキアが駆け寄ってくる。手を握られて一護はとても安心した。
「‥‥‥‥、‥‥、」
「なんだっ、なんだ一護っ、聞こえぬっ、」
「‥‥‥‥‥あ」
 あいつに。
「うん、うんっ、」
 ルキアが頷くたびに一護の顔にぱたぱたと水滴が落ちた。その一粒が口に入ってきたが、口内は既に鉄臭かった。
「‥‥す、き、」
「っん、あやつに、『好き』だと伝えればよいのだな、‥‥‥馬鹿者、それは自分の口で伝えるのだ、いいな!」
 その必死な姿に一護は見入った。可愛い女だ。自分もこの半分でもいい、可愛らしさがあればと思った。そうしたらあの男も、もしかしたら。
「‥‥‥‥ちくしょ、‥‥だれが、すきなもんか、」
「一護?」
「はぁ‥‥ハハ‥‥」
「笑うな!! なんだっ、何をっ、‥‥‥くそ! 寝るなと言ってるだろう!!」
 もう限界だ。眠い。眠くて眠くて。

 いいか、浦原っ、お前なんか好きじゃないからな!

 真正面からこう言えたらどんなに気持ちいいだろうかと考えて、一護はやがて深い眠りに落ちていった。



























「待てルキア!」
 威勢の良い声に、浦原は実験の手を止めた。
「局長?」
「続けといてください。ちょっと外に出てきます」
 物言いた気な部下の視線を振り切って、浦原は技局の建物を出た。陽射しが痛い。薄暗い実験室にずっと籠ったままの体には厳しすぎる。
「くっそ、アイツどこ行きやがった」
 悪態吐きながらも辺りを見回す子供がいた。浦原は煙草を取り出すと火をつけて、そして紫煙をくゆらせながらその子供に近づいた。
「どうなさったんです?」
「あ? ‥‥‥‥っげ、またあんたか」
 浦原はにこりと笑うと煙を吐き出した。子供の顔面目がけて。
「ぅわっ、ゲホっ、てめえっ、」
「副流煙のお味はいかが?」
「最悪っ、」
「体に悪いものほど美味しいものですよ。黒崎サン」
 煙さに涙を浮かべる子供へと浦原は手を伸ばしたが、触れる寸前で叩き落とされた。そして警戒心も露に睨まれて、浦原は肩を竦めて苦笑した。
「そんなに怒っちゃって、カーワイイ」
「暇な奴。さっさと巣へ帰れ!」
 しっしと手を振られたが、今あそこに帰れば部下の憐れむ視線を頂戴するだけだ。あの日から、ずっとそうだった。
「ねえ、少し話でもしましょうか」
「しねえよ。俺は忙しい」
「そうですか‥‥残念です。せっかく義検をタダでしてあげようと思ったのに」
 一護の唇がぐっとひん曲がった。義骸検査の時期、薄給の平隊員は毎度ひいひい言っている。一護もその例に漏れない為か、渋々といった感じで浦原の示すベンチへと腰を下ろした。
「話って、何」
「そんなにツンケンしなくても。傷に障りますよ」
「もう治った。あんたは俺の母ちゃんか」
 浦原は薄く笑うと煙草を放り捨てた。ポイ捨て! と一護に注意されたが知ったこっちゃない。
 一時は禁煙していたが、最近はどうにも手放せなかった。
「貴方のせいなんだから」
「は?」
「一護サンのせいだと言ってるんです」
「っあ! てめえっ、名前で呼ぶなって言ってんだろーが!」
「いいじゃないですか。アタシに名前で呼ばれると、貴方はいつも嬉しそうだった」
「またあんたの妄想か」
 違う、と言っても一護はきっと理解できないだろう。あの日、絆は断たれてしまった。否、絆など最初から無かった。必死に二人を結ぼうとしている一護の努力に胡座をかいて、全部自分がぶち壊しにしていたのだ。
「‥‥‥‥アタシの知り合いの話です。馬鹿な男でした、自惚れを極めに極めた男でした。苦労の味も、挫折も知らず、何百年と生きてきた。泣かせた女も数知れず。蹴落とした同僚も数知れず。罪悪感なんて欠片も感じない。男が願って叶わないことなんて一つも無かったんです」
「よく分かんねえけど、最低の男だな」
 もっともな意見に浦原は笑った。そうだ、最低の男だ。
「でもね、その男がですよ、今とても反省しているんです。人生で初めて、悔いているんです」
「なんで?」
「女の子をね、傷つけてしまったから。その女の子は、男にとって、初めて愛した人だったんです」
 一度、ちらりと一護を見た。一護はただ浦原の話に興味を持った顔をしているだけだ。
 浦原はなおも話す。
 男が絶望的に不器用だったこと。女の子を泣かせてばかりいたこと。浮気をして怒られるたびに、あぁ愛されているなぁ、と実感できた男の話。そんな男の振る舞いに、女の子は次第に笑わなくなり、いつも疲れたような顔をして、ついには男の言葉を信じられなくなったと、浦原は思い出すようにして吐き出した。
「そりゃそうだろ。つうか俺に言わせてみれば女もなぁ、なんでそんな男と付き合ってんのか分かんねえよ」
「誰かを好きになるって大変なことなんですよ。魂を抜かれてしまう。腑抜けになって、離れ難くなってしまうんです。‥‥‥‥男のほうもそうだった」
 初めて想いを伝えたとき、浦原は柄にも無く緊張していた。初めてのキスだって舌を入れるか入れないかで三日も悩むほどだった。そんな浦原の想いを、一護は嘘だと思っていたようだけれど。
「素の自分で勝負が出来ないほどに腑抜けてしまっていたんです。どんなに嘘で塗り固めても同じことだった。男の本性は、認めたくないことに、‥‥‥‥そこらの男と大差無かった」
 本当に認めたくないことだった。それが嫌だった。一護にとって、特別な男になりたかった。
「戻れるものなら戻りたい。許しを、乞いたい。心から詫びて、もう一度やり直したい」
 溜息のように吐き出して一護に視線を向ければ、きょとんと見返されるだけだった。そのあどけない表情をじっと見つめ、やがて浦原は立ち上がった。
「お話はここまでです。そろそろ戻らないと」
 随分と話していたことに気がついて、一護も慌てて腰を上げた。そういえばルキアを探していたんだと言うと、一護は隊舎のほうへと足を向ける。
「一護さん」
「‥‥‥名前。や、もういいけどさ」
 唇を尖らせながらもようやく許してくれた。浦原はゆっくりと二人の距離を縮めると、一護の手をそっと掬いとった。
「また明日も、こうしてアタシと話をしてくれますか? ‥‥‥てちょっと、嫌そうな顔しないでくださいよ」
「だって、」
 この警戒心の強さだけは忘れてはいないのだと思うと浦原は無性に頭を掻きむしりたくなった。それを我慢して、悪魔のように囁いた。
「アタシと仲良くなるとお得ですよ〜。霊子機器とか横流しできますよ〜」
「横流し‥‥‥」
 一護の瞳が誘惑に駆られていた。他にもあんなことやこんなこともサービスしますと追い込んでやれば、一護は仕方ねえなと渋々約束してくれた。
「じゃあ、また明日もここで」
 そう言って手を離そうとしたが、浦原はそれができないことに気がついた。手がどうしても離れてくれない。
「一護さん‥‥‥」
 引き寄せて、抱きしめて、唇を貪りたい。
 どうして忘れてしまったのかと、詰ってしまいたかった。
「浦原さん?」
 はっと我に帰る。一護が不思議そうに顔を覗き込んでいた。無邪気なその仕草を見て、どうにかしようとしていた自分が恥ずかしくなった。
「‥‥‥いいえ。また、明日‥‥‥お会いしましょうね」
 指先にほんの少しだけ力を込めて、そして離してやった。じゃーな、という気安い別れの言葉をどこか遠くで聞きながら、浦原はその後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
 馬鹿な男は女に忘れられて結末を迎えた。これからの残りの人生をたった一人で過ごし、最期は惨めに死んでいく。
 それもありかと思ったけれど。
「駄目ですねえ‥‥」
 己の執念深さに感心して、浦原もまた技局のほうへと足を向けた。
 また明日、ここで会える。
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