繋がっているようで繋がっていない100のお題
098 消えてしまえ
産まれてすぐに宣告を受けた。
医者曰く、五年も生きられないでしょう、と。
それから五十年。一護はしぶとく生きていた。死神になり、あまつさえ副隊長まで登り詰めた。その頃にはもう、死ぬのはそれほど怖くはなくなっていた。
「それで今度の合同演習ですが‥‥ゲフ!」
「一護様!?」
「げふげふっ、‥‥おぇっ」
「うわーっ! 誰か水っ、薬っ、四番隊!!」
慌てた部下達が駆け寄ってくるのを制し、一護は血の付いた掌を懐紙で拭った。はらはらと見守る視線を感じながらも、報告を続けた。
「ーーー以上です。何かご質問は?」
「体は大丈夫か」
「報告についての質問なんですけど‥‥まあいいか。大丈夫です。質問が無いのなら、会議は終わりにしましょう」
副隊長の号令を受けて、席官達は退出していった。帰り際に、お大事に、と一護に声を掛けるのを皆忘れない。
周りが心配するほどやわではないんだが、と一護が思うも、実際に顔色が悪いのだから説得力はまるで無い。頬紅を塗ることも考えたが、それだと体調の善し悪しが分かりにくいからやめろと言われたのは記憶に新しい。
「一護、少し横になれ」
「大げさな」
「砕蜂」
はい、というきびきびした返事の後、大きめのクッションを抱えた部下が走り寄ってきた。血の跡が薄らついているそれは、一護専用だった。
「この後、用事があるんだけどなあ‥‥」
「そんなもの、向こうに来させればよい」
有無を言わせぬ夜一の言葉に、一護も仕方ないと諦めた。上司を目の前に横になるのは無礼だと思ったが、一護の体調不良は今に始まったことではない。遠慮なくクッションに上半身を預けると、次いで差し出された水を口に含んだ。
「最近、よく喀血しておるそうじゃな」
「はぁ。そろそろお迎えが来るのかも」
「ていっ! 冗談でも不吉なことを言うでないわ!」
毛を逆立てた猫のように怒る上司に苦笑を返し、一護はクッションに頬を埋めた。
季節の変わり目であるせいか、体調を崩して喀血が多いのは毎年のことだった。いつころりと死んでしまってもおかしくない一護に、周りの心配は尽きなかった。本人は至って平静を保っているというのに、おかしな話だと一護は思う。
「大丈夫ですよ。浮竹隊長なんて俺より病弱なのに、結構長く生きてるし」
「‥‥‥そうじゃな。お前もそうであるに違いない」
「明日死ぬんじゃないかって思って生きてると、人間、案外死なないんです。やりたいことはやろうと思えるし、その点躊躇が無い。ストレス感じないって、長寿の秘訣かも」
「総隊長はストレス感じまくってると思うがのう‥‥」
分かっているのなら少しは真面目にすればいいのに。
副官らしく真面目に返すと、夜一が渋面を作った。子供っぽく唇を尖らせるから、一護も真似して尖らせた。夜一が笑う。一護も笑う。二人で笑った。
死んでもいいなあ、と一護は思った。
「結婚してください」
一護の左手をとり、目の前で跪く男。
突然のプロポーズだった。それも相手は話題の人。つい最近、十二番隊隊長に昇進したばかりの男、浦原喜助。
「返事は?」
一護は困るというよりも混乱していた。
それでも真っ先に浮かんだのは、断りの言葉だった。
「ごめんなさ」
「イヤです」
「‥‥‥‥‥。ごめんなさ」
「だからイヤです」
聞く耳持たねえとはこのことか。だったら最初から返事を要求するな。
今度は怒りが湧いてきた。急激な血圧の上昇は体に良くないと知ってはいたが、抑えきれるものでもない。
「あのうっ、俺達付き合ってもねえしっ、それどころかほとんど話したこともねえよなっ、ですよねっ」
「そうですね。それが何か?」
「‥‥‥普通は付き合いを重ねてから結婚を申し込むのが妥当じゃねえのかっ、ですかっ!」
「ボクという人間を、普通だなんて言わないでください。侮辱ですよ。それと、いちいち敬語に直さなくても結構です。ボクと君の仲じゃないですか」
どんな仲だよ、と内心で吐き捨て、一護はいまだとられたままの左手を奪い返した。
「とにかくっ、結婚は断る! 何考えてんだてめえは!」
「貴方のことを考えてますけど」
歯の浮くような台詞に、一護は思わず拳を握っていた。他隊の隊長を殴るなんて大問題だが大丈夫、夜一がきっと揉み消してくれる。
「絶対に死なせませんからね」
殴ろうと振りかざした拳が、一護の意志に反して勝手に止まった。一護は目を見開き、男を凝視した。
「いつ死んでもいいって思ってるでしょ。そんなの駄目です。ボクと結婚してないしボクの子供も生んでないのに、そんなの絶対許しませんからね」
面食らったとしか言いようがなかった。勝手な言い分に、いくらでも言い返してもよかった筈なのに、一護は何も言えなかった。結婚も子供も、考えたことが無かったからかも知れない。この男の言う通り、そのうちぽっくり逝ってしまうのだから、必要ないと。
一護本人だけでなく、周りもそう思っていた筈だ。何度か交際を申し込まれたことはあるが、一護の病弱さが死と直結していると知ると、皆離れていった。
「一護さん?」
黙り込んでしまった一護の顔を、浦原が覗き込んでくる。同じように見つめ返し、一護はますます分からなくなった。
まだ若い男だ。一護よりも年下で、しかし有能なのだと夜一が言っていた。かつては同じ隊に所属していた言わば同僚だったのだが、この男が率いる部署が特殊だった為に、一護はほとんど面識を持っていなかった。
廊下ですれ違えば挨拶を交わす程度。ほとんど二番隊にはおらず、姿を見ることすら稀な男。
それがどこをどう間違えば自分に結婚なんて申し込んでくることになるんだ。
「‥‥‥お前、俺の体のこと本当に知ってんのか?」
「まだ知りません。いずれ知りますけど。あ、よければ今夜にでも」
「一生知らなくていいわ」
夜のお誘いを蹴り飛ばして、一護はすばやく踵を返した。そのまま去ろうとしたが、後ろから手を握り込まれる。
「おいっ、」
「これ、飲んでくださいね。まずは体質改善といきましょう。それから病は気から。ボクという恋人がいれば、きっともっと良くなると思うんだけどなあ」
握られた手には薬包みが数個。それを手に、一護はどういう反応を返せばいいのか分からなかった。
「目の前に幸せが転がってると知れば、少しは必死に生きられるようになりますよ。ボクのように」
「なに、」
「貴方の為に頑張って出世したんですからね」
プロポーズよりも衝撃的な言葉に一護は声を失った。そうして立ち尽くしている間に、浦原は飄々と去っていった。
色々と、黒い噂の絶えない男だと聞いている。隊長への抜擢の裏には何か取引があったのではと。
油断ならない。自分に近づいて、何を狙っている。
気を許すな、と思う反面、一護は胸の熱さを感じていた。
きっと喀血の前兆に違いない。きっと。
そうでなければ。