繋がっているようで繋がっていない100のお題
099 別々の個体
見せたいものがある。
そう言われて一護が訪れたのは技術開発局だった。途中見知った局員と気軽に挨拶を交わし、浦原のいる局長室まで一護は澱みの無い足取りで向かった。
「浦原、入るぞ」
ノックを二回、そして扉を開けた。
「‥‥‥‥‥出直してくる」
開けて閉める。リズムよくそれを行い一護はくるりと踵を返した。
「あれ? 一護さん?」
扉の向こうから浦原の声が聞こえたが一護は無視して廊下を歩く。
「一護さーん、いーちーごーさーーーん」
更に無視。
一護は先ほど見たものに加えて後ろから呼びかけてくる男の存在も忘れることにした。
「この間一緒にお風呂に入ってくれた一護さーん!」
「黙れよテメエ!」
「あ。やっとこっち見てくれた」
うふふ、と笑って浦原が駆け寄ってきた。そして当たり前のように抱きついてくる男を、一護はさっと躱した。
「おや、つれない」
もう一度。一護に抱きつこうと浦原はにじり寄るが、一護はささっと壁際に逃げた。
「寄るな、変態」
「今さらですよぅ。ここは廊下、変なことはしませんから」
そう言う浦原の両手がにぎにぎと怪しげに動いていた。一護は壁伝いにじりじりと後退する。それをまたじりじり追いつめる浦原。そんな二人の攻防に出くわしてしまった数名の局員達は別の道へと足早に入っていった。
「今日はいつも以上に嫌がりますね」
最初はたいてい避けられるが二度目は渋々抱きつかれてくれる。そしてそのまま押し倒してことに及べる確率は現在二割六分。ここは廊下だからそれはないとして、口付けを強請れば受け入れてくれる確率は八割七分九厘だ。
暇なときに出してみた勝率をひとまず今は置いといて、浦原は先ほどから警戒心を解かない一護をじっと見つめて首を傾げた。
「一護さん?」
「取り込み中だったんだろ。さっさと戻れよ」
「一護さんのお相手を優先させますよ。さ、部屋に行きましょ」
伸びてきた手を一護は咄嗟に弾いていた。弾かれた浦原はぽかんと目を見開いて、それから心底困ったような顔をして一護を見つめてきた。
「アタシ、何かしました?」
「何も‥‥‥」
一護の顔が『しました』と言っていた。
「何です? はっきり言ってください。謝りますから」
たとえ自分が悪くても浦原は謝罪の言葉など口にしない。しかし相手が一護となれば、自分が悪くなくてもさらりと謝罪の言葉を口にする。
「謝る必要なんて無い」
「じゃあ、」
「別れる」
「へ」
「もう二度と会わないから」
睨みつけるように浦原を見据えて一護ははっきりと絶縁宣言をした。
しばらく浦原は放心し、そしてへらりと笑った。かなり余裕のない笑みだった。
「‥‥‥‥えぇと、そういうプレイですか?」
「違う。プレイとかそういうの、お前とはもうしないってこと」
引き攣る浦原に対して一護は落ち着いていた。しかしわずかに唇を噛み締めて。
「さっきの人と続きでもしとけば」
「さっき? え‥‥‥‥あ、もしてかしてっ、見てたんですかぁ!?」
「ばっちりとな。別にいいけど。俺ってば全然気にしてないし」
「誤解です!!」
「そうか、誤解なのか。でももう俺には関係無いから」
「ありますよ!」
すばやく背後から一護を抱きしめるとその耳に真実を囁いた。一護は驚いて振り返り、その隙を狙って浦原は唇に吸いついた。最初は猛然と暴れる一護だがやがては目を閉じて大人しくなった。
「‥‥‥‥変態」
「ありがとうございます」
「笑うな。言っとくけど俺は少しも許してないからな」
「えぇっ、何でですか!?」
誤解は解けた、筈なのに。
一護は廊下の端から端まで響き渡る声量で怒鳴った。
「俺の義骸でヤラしいことしてんじゃねえよ!!」
自分が実験台に横たわっていた。
正確には、一護とまったく同じに作られた、義骸が。それも真っ裸で。
「死ね」
「ひどい。人に向かってそんな言葉使っちゃ駄目ですよ」
「急死しろ」
「同じです」
浦原を無視して一護はそこらにあった布を義骸に掛けてやった。そしてまじまじとそれを見下ろした。
なんだか不思議な気分だった。自分と寸分違わぬ自分がそこにいる。
「よくできてるでしょう?」
自慢げに話す浦原に少々ムカつくものを感じるが、しかしさすがは技術開発局局長。以前一護に支給された義骸とは比べものにならないほど目の前にある義骸は生き生きとした表情を持っていた。
「このオレンジの髪、同じ色を出すのに苦労しました。光に当たると本物の一護さんとは微妙に色が違ってしまって。いやあ納得の出来る仕上がりになるまでひと月かかりましたよ」
一護は義骸の髪を撫でてから自分の髪を撫でてみて驚いた。手触りが同じだ。
「あ、気付きました? そうなんです、質感もこだわってみたんですよ」
科学オタクの熱弁を聞き流しながらも一護は興味深げに自分の義骸を観察した。勝手に作っているのには腹が立つが、この出来映えには悔しいことに感嘆してしまう。
「鏡で見るのとはまた違うな」
鼻をツン、と突いてみた。今にも起き上がりそうで少し怖い。
「アタシにはこう見えてるんですよ。ほらほら〜唇の柔らかさなんて一緒でしょ?」
「分からん」
素っ気ない態度に浦原は拗ねてみせ、次には義骸の一護にちゅっと唇を押し当てていた。
「何やってんだっ」
思わず浦原の顔を手で押しやり一護は動揺した声を上げた。浦原は驚いていたが、やがてしたり顔でにやにや笑い出した。
「一護さんてば、自分で自分に嫉妬?」
「違うっ、勝手に俺に淫らな真似をするんじゃねえよ!」
「嫉妬したんでしょ」
顔が真っ赤に染まる。そして頭に血が上って一護はぎりぎりと歯を食いしばった。
「可愛いなぁもう」
指でツンツンつつかれて一護の眉間に盛大な皺が寄った。
怒鳴りつけられる、浦原はそう予想していたが、実際には違った。
「これがあるんなら、俺はもういいよな」
意外にも冷静な声だった。
「それにお前が作ったんだし。俺はお前のもんじゃねえけどこの義骸はお前のもんだ。だからもう口出ししない」
「あのー、一護さん、」
「従順な義魂丸でも入れてなんでも言うこと聞いてもらえば?」
「‥‥‥‥アタシが悪かったです」
「聞こえねえな」
「ごめんなさいっ、何でもしますからアタシを捨てないで! ついでにアタシは一護さんのものですけどね!」
義骸の一護を間に挟んで二人はしばらく見つめ合う。
一方はうるうると涙をにじませ(一護には嘘くさく見えたが)、もう一方は殊更冷たい目をして二人は無言で対峙していた。
「何でも言うこと聞くってほんとかよ?」
「本当です。恥ずかしい行為も謹んでお受けします」
「しねーよ! 喜ぶのはお前のほうだろ!!」
反省の色が見えない。いや、この男はいつも反省するフリだけなのだ。
「じゃあ一つ。この義骸、俺にくれ」
「っえ‥‥‥‥っえ!? ちょっ、そんな見たいような見たくないようなやっぱり見たい」
「どんな想像してんだ!」
やっぱり反省していない。一護は諦めた。この男に反省と更正は望めそうにない。
「今使ってる義骸を新しく買い替えるんだよっ、でもこれがあるならしなくて済むだろっ」
「あぁ、なーんだ」
残念、みたいな顔をされて本当に許してやっていいのかと一護の頭に疑問がわいた。しかしこの男に限って言うと、許さないなんて言っていたら付き合った初日で別れている。要は慣れだ。たいていのことは水に流してしまわないと疲れるのはこちらのほうだと一護は既に悟っていた。
「整備は阿近さんに頼む。お前は指一本触れるなよ」
「そんな! アタシが作ったんですよ!?」
「俺のものになったんだから俺の好きにする。義骸でヤラしいことしてる奴に任せられるか」
「ちょっと口付けしただけじゃないですか」
「胸も触ってただろ!」
扉を開けたら付き合っている男が真っ裸の女と実験台の上でほにゃらら‥‥‥実際には自分の義骸だったわけだが、正直面白くない。
「時間とお金と愛情をかけて作り上げた最高傑作ですよ、それを手放せって言うんですか」
絶対に嫌だと首を振る浦原に一護は我慢の限界に達した。
「俺とコイツのどっちがいいんだ!!」
自分(義骸)を指差し一護は吼えた。
あぁ、やっぱり嫉妬だ。
そう気付いたのは言った後だった。つまりは後の祭り。
浦原は間抜けな顔で一護を凝視していた。一護は今すぐ逃げ出したかったが、負けん気が災いして結局は真正面から受けて立つ。
「一護さん‥‥‥‥」
「なんだよ」
「一護さんです‥‥‥‥」
惚けたように呟いて、浦原は本物の一護に近づいた。
「アタシは貴方がいい」
左手をとられて浦原の口へと持っていかれる。そして甲へと恭しく口付けられた。
「義骸なんてもういいです。だってアタシには一護さんがいるんだから」
引き寄せられ、腕の中へと仕舞われる。優しい動作で大事に扱われ、今さらだが一護は恥ずかしくなった。
「‥‥‥お前、その、分かりゃあいいんだよ、」
「はい。本物以外はクズですよ」
先ほどまで最高傑作だったものが今ではもうクズだ。この男の思考回路は相変わらず一護には読めなかった。
「というわけで、本物の味を味わいたいなーと思うのですが」
駄目ですかと可愛らしく首を傾げてお伺いを立ててくる浦原に、仕事場だろと十割の確率で駄目だと答える一護だが。
「別に、嫌では、ないけど、」
「んん?」
「勘違いすんなよ、なんていうかこう、流れみたいなもんで、」
「はっきりとお願いします」
「やってもいいって言ってんだ! どこでやるんだっ、そこか!?」
カッカと頬を上気させて一護は物が雑然と並べられた部屋を突き進む。途中義骸にちらりと視線をやり、すると更に頬へと熱が集中した。
「積極的で嬉しいです。いっつもこうならいいのに」
「俺は俺で俺だからそんなの俺じゃないっ」
「はいはい、分かってますよ」
そのまま真っすぐ進んで窓から出て行きそうな一護は捕まえられるとそっとソファへと引き倒された。いつもの調子で反抗しようと手を振り上げるが、上に覆いかぶさってきた浦原と目が合うと作った拳は自分の胸の前へと退散してしまった。
急に大人しくなった一護に、浦原が不思議そうに見下ろしてくる。
「どうしたんですか、なんだか初めて抱かれるときみたいだ」
「ぅ、うっせ! とっととしろ!」
「雰囲気作りにご協力お願いしますよ‥‥‥」
一護は黙って目を瞑る。やがて意を決したように浦原へと自分のほうから唇を押し当てた。
「一護さん?」
めったにしない一護からの口付け。
二回、三回と重ね合わせ、そして一護は再び義骸を見た。ぴくりとも動かないそれは、自分に似ているだけで浦原に応えてやることなど決してできはしないのだ。
自分の嫉妬深さにある意味泣きたくなるほど悲しくなった。自分だけはそうはならないと思っていたのに。
「これが本物の味だ、バカ」
浦原の瞳に映った自分の顔、嫉妬に燃えた女の顔。