20題の日常恋愛活劇
13
「兄様はお前を妹のように思っているのだ」
とか何とか言っていたのに、どうして俺はちゅーされてんだ、と目の前にある白哉の顔を一護は凝視していた。
これは何かの間違いか、脳がまったくもって事態を受け入れてくれない。そうして考え込んでいる間も唇が深く重なってきたので一護はそれから逃げようと背を後ろにそらした。しかしその分白哉が体を前に持ってくるので、一護はついには押し倒される形となった。
「なん、でぇ?」
後頭部が床にぶつかった衝撃で唇も離れる。その隙を逃さずに顔を背けたら、首筋に吐息がかかり、わずかな痛みに顔を顰めた。
「なに‥‥‥?」
何だコレは、もしや、アレか?
頭の中が混乱しながらも、首筋に手をやり疑問でいっぱいの視線を向ければ、ふ、と薄く微笑まれた。
「‥‥‥‥‥‥」
笑ってる、‥‥‥コワい。
白哉の穏やかな笑みに逆に恐怖を感じた一護は口元を引き攣らせ、じりじりと後じさる。六番隊に書類を持っていって、ちょっと世間話をしていたらこの有様だ。どうしてこうなった。
いつもなら一言二言、言葉を交わして、相変わらず無口なヤローだと思って帰るのが常だ。それが、それがどうして口付けされて、首にキスマークなんて付けられるのだ。
「ま、待て、こっちに来るなっ」
白哉が優雅な物腰で手をつき膝をつき(これだけで一護には驚きだ)一護に手を伸ばす。それを躱せば今度は別の手が一護へと伸ばされ、ついには捕まえられた。
「細い腕だ」
そっちこそ、なんて大きな手。
そんな手に腕を掴まれ、ぐるりと容易く指が回ってしまえば、訳の分からない不安が一気に一護の胸に押し寄せて来た。
「なに、なに? おい、‥‥‥う、わっ、」
引き寄せられたかと思えば、指を、銜えられた。
その薄く形の良い唇に自分の人差し指が消えていく。その光景に一護は唖然とした。
「ひぇっ」
今までに出したことも無いような変な声が出て、鳥肌がぶわ、と立った。それは嫌悪感では無かったけれど、初めて感じる他人の粘膜に反射的に体が驚いたのだ。
次いでぴちゃ、という音に一護は死にそうになった。
「んなっ、なぁっ」
舐められている。
侮られているとかそんなことじゃなくて、ぺろぺろと指を舌で舐められているのだ。白哉の視線は真っすぐにこちらに向けられていて、その目は正気だと言っていた。
「っば、馬鹿野郎っ、離せっ」
半分抜けかけた魂を引き戻し、一護は一気に指を引き抜こうとした。しかし手首に回った白哉の腕がそれを許さない。
「何考えてんだ!」
きっと今の自分の顔は真っ赤だ。それに比べて白哉は冷静な白で、いつもと何も変わらない。
舌の感触を指で感じ、そして何故か背筋がぞわぞわとした。
「っあ、」
指の付け根をぺろりと舐められて反射的に目を瞑った。変な声が出たが、それは絶対に気のせいだと自分に言い聞かせて一護は恐る恐る目を開ける。
そこにいたのは、怖いほどに自分を貫く白哉の黒い眼だった。
「なん、で、‥‥‥なんで、」
ルキアはいつもこんなに怖い目で見られているのか。いや、そんな筈は無い。こんなに熱の籠った目で、誰かを見るのは、
「い、痛、」
今度は噛まれた。
そして気付く。自分を妹のように思っていると言ったあれは、きっとルキアの勘違いだったのだ。気付きたく無かったけれど、今こんなときになって気付いてしまった。
白哉が手首を掴む腕に力を込め、一護はそれに引っ張られる。このまま吸い込まれるように体を引き寄せられたらもう二度と戻れないような気がして、それに必死で抗った。
「嫌だ、離せよっ、」
「諦めろ」
「何がっ、」
諦めるって何を諦めるのだ。
今や心臓は煩いくらいに鼓動を打って、それが一護を追いつめてくる。
諦めろ、諦めろ、そう言われているようで、心臓のある辺りを押さえて一護は震える息を吐き出した。
「怖がるな」
「怖えよっ、何なんだよ、お前、本当に白哉かっ?」
引っ張られる力とは逆方向に力を込めて一護は腕を引く。白哉の指は綺麗に整っていて、それが自分の腕に絡みついているのが信じられなかった。
「一護」
「‥‥‥‥‥‥っ」
初めて聞く、そんな声は。
懇願するようなどこか弱々しいそれに、一護は息を呑んだ。
朽木家の当主がそんな声を、眼差しを、していい筈が無い。それを向けられているのが自分だなんて、これは一体どういう冗談だと一層心臓が鼓動を打ち鳴らし、それから糸が切れたように一護の体から力が抜けた。
「はぁ‥‥‥なんだよこれ、訳分かんねえ、」
くたりと弛緩した体はあっという間に白哉に引き寄せられた。
固い胸板が頬に当たり、そこから白哉の鼓動が伝わってくる。自分のそれよりかは遅いけれど、常よりはずっと速い筈だ。
「やっぱりお前、ニセモノだ、」
「まだそのようなことを」
「白哉はこんなんじゃねえよ、こんな、」
「こんな?」
こんなに優しい声は出さない。
一護は確かめるように白哉の頬に手を伸ばした。すべすべした肌は手触りが良くて、これでどうやって本物か否かを見極められるのかと一護自身にも分からない。
箝星管の硬い感触を指先で感じ、再び頬に手を滑らすと、白哉の大きな手が上から重なってきた。
「誰だよ、お前」
「朽木白哉だ」
知っているだろう?
黒い瞳がそう言っていたが、一護はこんな男は知らなかった。
首を横に振れば、どこか苦しげに細められた白哉の目が近づいてきた。額が合わさり吐息が触れる。少しでも喋ろうものなら唇が当たってしまうだろう。一護は浅い呼吸を繰り返し、黒い瞳に映る自分の姿を見つめた。
「狂おしい。‥‥‥‥一護」
何度か唇が触れて、そのたびに一護はびくびくと震えた。
「私が誰か、知らぬならそれでいい」
白哉の長い前髪が一護の頬をくすぐった。えも言われぬ良い香りが白哉の全身から香ってきて、それに酔いそうなほどだった。
「お前の知らぬ男だと言うのなら、」
それから唇が深く重なった。
知らない男に抱きしめられて、唇を塞がれる。一護は怯えたように肩を揺らし、男の腕の中で体を捩って抵抗した。
息ができない。溺れたように一護はもがき、空気を求めて口を開けば知らない男の舌がするりと入り込んできて、余計に息なんてできなかった。
「‥‥‥‥一護、」
「っはぁ‥‥‥‥」
やはり知らない男だ。
優しく体を弄られて、助けを求めて声を上げても、知らない男はそれを無視して一護を暴いていく。
あと少し、素肌を撫でられ理性が途切れそうになった間際、一護はついに男の名前を呼んだ。
「‥‥‥‥それからどうしたのだ?」
「別に、何にも。色んなとこ触られたけど、それだけ」
「最後までいたさなかったのか!?」
ルキアの可憐な顔が信じられないとばかりに歪められて、そして文机をばんばんと乱暴に叩いた。
「嘘をつくなっ。本当はいたしたのだろう? ん? 痛かったのか? ん?」
「いたしてねーから痛くもねー!」
しつこいルキアの頭を叩いて一護はその場から逃げようとした。
それを阻止しようとルキアは一護にしがみつき、詳しい話を聞こうとする。
「離せっ、つーかてめえっ、何が妹みたいに思ってる、だ! そっちこそ嘘つきやがってっ」
「嘘ではない。兄様のはあれだ、えぇーと、妹萌え?」
「苦しい言い訳をするな」
しがみついて離れないルキアをぐいぐいと押しやり、一護は昨日のことを思い出す。
実はかなりヤバいところまでいったのだが、寸前で泣きまくってそれで白哉がやめてくれたとは口が裂けても言えなかった。
「帯は緩めにしておくのだぞ」
ルキアのにやりとした笑いに怒りのツボを刺激された一護は思い切り頬を引っ張ってやった。
「痛いっ、痛いっ、」
痛くしてるんだ。
白哉自身にはこんなことはできない。だから義妹で憂さを晴らしてやった。
これからも帯は固めでいこう。
そう誓って一護はぎゅ、と固く帯を締め上げた。