20題の日常恋愛活劇
15
オレンジ色と、青色と。
カチカチと音を立てて点滅する街灯の下で、それらはきらきら輝いていた。
「ふぅん、高校生なんだ」
見えないな。
そう言う一護こそもうすぐ二十歳になんか見えやしない。
「煙草、吸ってい?」
「‥‥‥‥‥‥あぁ」
吸うのかよ、とグリムジョーは少々驚いた。見た目が高校生くらいの一護の面差しはいまだ幼い。自分よりも年下に見える。しかし煙草を取り出して火をつける動作は中々様になっていた。
「俺にもくれ」
「ダメ。お前、高校生だろ」
「お前だってまだ二十歳じゃねえんだろ」
「お前ぇ?」
今なんつった? という一護のキツい視線でグリムジョーは押し黙った。煙草を貰おうとした手を引っ込め、チっ、と舌打ちすればすぐさま頭を叩かれた。
一護は礼儀に厳しい。だが未成年のくせに煙草ってそれはいいのかよ、と思ってはいてもグリムジョーは言えなかった。一護は童顔のくせに逆らい難い威圧感がある。細っこい体つきはそこらにいる女よりも更に薄く、スレンダーと言えば聞こえはいいが、凹凸というものがあまりない。
それでも体のバランスは良くて、半袖から覗く二の腕には綺麗な筋肉がついていた。最初はそんなこと気がつかなくて、ただオレンジ色の髪と気の強そうな目つき(それから男と間違えた)でグリムジョーは喧嘩を売ってしまったのだ。
ちなみに一護は礼儀には厳しいが口のほうはまったくもって汚い奴で、なんせ初めて言われた言葉が「一回死んで更にもう一回死ね、ボケが」だった。
「‥‥‥‥つまんねえ」
「じゃあ帰って寝れば」
「それこそつまんねえよ。なんかメシでも奢れよ」
一護は横目でグリムジョーを眺め、そして無言で煙を吐いた。無視だ、無視した。一護は小さな声で、「俺って他人の為に金使うの大嫌い」と呟いていた。
年上のくせに、一護には大らかさというものが無いとグリムジョーは思う。けれど一護は煙草を吸い始めてからずっと、自分とは反対の方向へと煙を吐いていた。こういうさりげない優しさに気付き、ぐっときてしまった。
「高校って夏休みいつからだっけ」
「‥‥‥なんだよ、どっか連れてってくれんのか?」
「海行きてーなー。泳がねえけど」
「だったら何しに海に行くんだよ」
会ってすぐだが、一護はよく訳の分からないことを言う奴だと分かった。だからその真意を測るのが難しい。もしかしたら何も考えていないのかもしれないけれど。
「高校さ、真面目に行ってんの?」
「真面目に行ってやる奴なんていないだろ」
毎日出席している奴を真面目に行ってるだなんて言わない。あれはただ義務とか惰性とか、特に何も考えていないだけだ。そういう自分も高校には何となく行っているだけだから、どうこう言える立場ではない。
「来年二年生? ‥‥‥‥進級できんの?」
「余裕だ」
出席日数がやばいけど。
これでも成績は結構いいほうなんだぜ、と言えば一護は聞いていなくて、煙で輪っかなんて作って遊んでいた。
ぷかぷか、絵でしか見たことのないそれを何個か吐き出して、一護はそれらをかき消すように大きく煙を吐き出した。
「俺は中退」
「え、」
「ていうか退学だな、あれ。こっちのほうからやめてやったけど、そうでなきゃいつかやめさせられてた」
一護は鮮やかなオレンジ色の髪をしている。地毛だそうだが一護の気の強そうな顔つきと相まって不良から目をつけられそうな存在だ。
「俺、普通に生きたかった。だから目立たずに地味に振る舞ってたんだ」
「無理だろ」
「うん、無理だった。入学式でまず喧嘩売られてな、噂になるのが嫌だったから、」
「わざとやられたのか?」
「は? 何で? 違えよバカ、口止めしたんだよ」
一護の目は心底バカめと言っていた。思うに一護は目力というか眼光が鋭い。それで地味に振る舞おうなんて本当に無理がある。
「それなのに一週間経ったらもう噂になってんだよ。あいつら、喋ったら殺すぞって言っといたのに」
一護は自称一般人だ。
グリムジョーは世間一般で言う不良だ、それは自分でもしょうがないと思っているが、一護は不良と称されるのが我慢ならないらしい。けれど勘違いして喧嘩を売ってくる奴に制裁を下している時点で一般人のカテゴリーからは外されていると思う。
「お陰で友達ができなかったな。下僕が勝手にできたけど、全然楽しくなかった。‥‥‥お前、友達いんの?」
ちょっと心配したような一護の顔に、グリムジョーはダチなんていねえよ、なんて言えなかった。
よくツルむ奴らはいるが、あれは友達と言っていいのか分からない。それでも一応頷けば、一護は少しほっとしたように表情を緩ませていた。
「それで、何で学校やめたんだよ」
「あー‥‥‥、勝手に俺の下僕を名乗ってた奴がな、よその学校の奴に喧嘩売って、何か知らないうちに俺が向こうのトップとタイマン張るはめになったんだよ」
「‥‥‥‥どこのヤンキー漫画だよ」
一護は頑なに不良ではないと否定しているが、タイマンとかもうどっぷり浸かっているじゃないか。それでも違うと言っているのだから、グリムジョーは違うと思うことにしてやった。
「向こうもこっちもヤル気満々だったな、俺以外は」
いつのまにか煙草の火を消して、一護はチョコレートを食べていた。煙草の後にチョコレートはどうなんだと思うが、話の腰を折るつもりは無いのでグリムジョーは懸命にも黙っていた。
「下僕共は盛り上がっててさ、それ見て俺は学校やめよーって思ったんだ」
「何でだよ」
「だって俺不良じゃねーもん」
「?」
分からない。一護は自分本位で話を進めるので、もう少し説明が欲しいところだ。
「何言っても駄目なときがあるんだなーって初めて思ったってこと。俺、家帰ったら予習復習はちゃんとやってたんだぜ? 成績も上位だったし遅刻も欠席もしなかった。それなのに何で不良?」
不良。
良く、無い。
グリムジョーは勉強なんてしないし学校は平気で遅刻する。無断欠席は当たり前だ、喧嘩を売ることもあれば買うこともある。不良だ、いわゆる良く無いことだ。
別にそれがイコール駄目な奴にはならないと思っているが、世間一般では不良なのだ。
「周りはもう俺のこと不良って決めつけてたしな。教師とか、ああ、俺の学校にドラマに出てくるあの先生がいてくれたらなーって何回も思った」
でも現実はウマくいかねーよなーと言う一護の横顔は、もうすぐ二十歳とは思えない哀愁を漂わせていた。苦労してんだな、と思ったら、自分はまだまだガキなんだとグリムジョーは実感した。一護は子供みたいな顔をしているが、中身はもう世の中の酸いと甘いが詰まっているのだ。
「世の中見てくれだ、外見重視。俺が不良って決めつけられて喧嘩売られんのは、ブサイクがもてねーのと同じことなんだよ」
さすがに喉が渇いたのか、一護は何度か咳をして、そして目の前にある自販機で栄養ドリンクを買って飲み始めた。他人の為に金を使うのが嫌いだと言っていたのは本当らしく、グリムジョーの分を買おうなんて気遣いは微塵も見せなかった。
「それで、タイマンは?」
「勝った」
これ、そんときの傷。
オレンジの髪を軽く払って見せた額には目立たないが傷があった。頭突きをしてパックリ割れたんだよな、と笑顔で言う一護は本当にどうってことないという顔をしていた。そして栄養ドリンクの残りを一気に飲み干して、また笑った。
「それからどうしたんだよ」
「バイトしながら家手伝ってた。俺の家、診療所なんだ。親父はナースになれとか言ってたけど、ちょうどそんときナースもののドラマやってたからな、触発されたんだろ、あの変態」
一護は先ほどからドラマについて言及しているが、そのタイトルを口にしないところを見るとグリムジョーが知らないと思っての配慮らしい。こいつ本当に年上なんだな、と分かっていてもグリムジョーは驚いてしまう。
「学校の外でも不良だって思われて嫌な思いすることはあったけど、でも社会ってのは学校よりもずっと広くて大変なんだよ。働いて食っていかなきゃなんねーからな、他の人間あんま気にしてらんねーの。だから俺のオレンジ頭とか、気にする人間ってそんなにいなかった」
世間は広れーよ、と言う一護はもう一本買っていたのか、またもや同じ栄養ドリンクを飲んでいた。
「そんなに飲んでどうすんだ」
「これから仕事なんだよ」
今は夜だ。日付を跨ぐにはあと一時間ほど。
疲れた表情をしていたが、働くのが楽しいらしく、目が合えば嬉しそうに笑い返してきた。
「グリムジョージャガージャックくんは卒業したら何すんの」
「まだ決めてねえよ」
一護はどうやら自分の名前が気に入ったらしい。名乗り合ったとき、しきりにカッコいいなと褒めていた。逆に自分の名前である一護はよく苺と間違われるため微妙に思っているそうだが、グリムジョーは気に入っている。オレンジの髪も喧嘩が強いところも、そして名前がイチゴというところもすべてが気に入るものだった。
「大学は?」
「何やりたいか分かんねえからな、どこ行ったらいいかも分かんねえ」
「っそ」
一護はそれ以上は何も言わなかった。助言は一切無し。自分で決めろ、そう声なき声が聞こえた気がして、グリムジョーはじっと一護を見つめた。
「何? 俺のヒモになりてーの?」
一瞬、ぎょっとした。でもそのすぐ後にそれもいいかもしれないと思いグリムジョーが頷けば、すぐさま横っ面に軽いビンタをされた。
「どアホが。俺の金は俺のもんだ。てめーを養うもんじゃねえ」
「お前が先に言ったんだろ!?」
「お前ってゆーなガキが!」
容赦の無い力で顎を掴まれがくがくと揺さぶられた。その細い指は相当な力で、グリムジョーの形の良い顎にくっきりと赤い痕がついた。
「痛ってーなっ」
「痛くねえよ、メリケンで殴られるほうがもっと痛いっつーの」
「‥‥‥めりけん?」
「あーなんでもね」
一護は小さな声で「もう今の時代メリケン無えのかそーか」なんてぶつぶつ言っていた。
そして時間を知らせる携帯のアラーム音が響き、一護は立ち上がって軽く土を払った。
「じゃあ俺行くから。あんまり喧嘩するなよ」
「少なくともお前には喧嘩は売らない」
お前という単語に一護がぴくりと反応したが、もう諦めたのか何も言ってはこなかった。
「ずっと聞きたかったんだけどよ、」
空の栄養ドリンクをゴミ箱に入れ、一護は不思議そうな目をグリムジョーに向けてくる。
「何で俺らさっき会ったばっかなのにこんなに話してんだろうな」
「知らねえよ」
たまたま喧嘩を売った相手が一護だっただけ、その後話をしたのはたまたまではなく一護だったからだ。
だがそんなクサいこと言える筈もなく、グリムジョーはわざと不機嫌そうな表情をつくって視線を逸らした。もうお別れだ、それが嫌だと思う。
そのときくしゃりと何かを潰す音が聞こえた。見れば、一護が煙草の箱を握り潰していた。
「煙草は今日でやめる」
「は?」
「やっぱ未成年なのによくないよな」
いきなりそう言ったかと思うと、一護はまだ半分以上も中身が残っている煙草を何の躊躇もなく捨てた。
「働き始めはなんかうまくいかなくてさ、それ紛らわせる為に吸い始めたんだ。でも未成年の体には不良だ」
辺りは静かだ。そこでは一護の声しか聞こえない。
一護は苦い笑いを浮かべ、滔々と語った。
「俺、不良に見られるの嫌だけどさ、別に世間一般で言う不良が嫌いな訳じゃねえよ。下僕の中には気のいい奴とかいたしな」
平気で下僕とか言う一護はやはりただ者ではないとグリムジョーは思う。
一護は少し傷ついたような、それでも仕方ないような顔をして潰れて捨てられた煙草の箱を見下ろしてた。
「やっぱ俺って高校のときは不良だったんだよ。仕方ねえって思ってても結局喧嘩してたしな。でも誰も俺とは対等じゃなかった、俺が対等になろうとしてなかったんだ。今思えば見下してたんだ」
はぁ、と溜息をつく一護は本気で落ち込んでいるらしく、グリムジョーが思わず頭を撫でてしまうほどだった。触れたオレンジ色は柔らかくて、一本一本が細くてふわふわしていた。
「黒崎一護」
「何?」
「‥‥‥‥いや、」
今ここにいる一護が昔の一護で、高校生だったら良かったのに。
友達が一人もいなかったと笑って言った一護に、そのとき自分がいればもっと違った一護がいたんじゃないかと思った。今の一護も面白くていいと思うのだけど、けど笑って寂しいことを言うよりかはもっと違っててもいいんじゃないか。
まるで同級生同士が戯れ合うように気安く髪を掻き混ぜてやれば、一護は幼い笑みを向けてきた。
「不良は別に不良じゃねえよな。誰だってよくないことしてんだし、あいつらだけがそうじゃねえよなって俺は最近気付いたんだよグリムジョージャガージャックくん」
「フルネームで呼ぶな」
「グリムジョー」
「‥‥‥‥っ、」
不意打ちは卑怯だ。変な電気がびりっと体を駆け巡った。
「お前と話してて、何か余計に昔思い出した。だから煙草はやめる。よくないことはあんまりするもんじゃねえよ」
そう言って一護は今度は大人びた笑みを浮かべ、グリムジョーの青い髪を撫でた。
「綺麗だな、これ」
一、二、三回。
整えるように三回撫でて、一護は手を離した。
「バイバイ、グリムジョー」
別れは至極あっさりで、引き止める隙さえ与えてはくれなかった。
背中を向けた一護に、「待ってくれ」という言葉がグリムジョーの喉をせり上がり、だが寸前で別の言葉にすり替えた。
「‥‥‥‥‥またなっ」
一護は無言で片手を上げた。
誰も来ないはずの夜の街で、それが二人の始まりだった。