20題の日常恋愛活劇

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 最近の一護は以前と何かが変わってしまった。
 抱きたいと言えばまず最初に拒否する一護だ。旺盛なほうではなく、むしろ肌と肌を合わせることにどこか嫌悪感すら抱いていたような気がする。
 だから抱きたい、そう言えば嫌だと言われるものだと浮竹は思っていた。
 しかし最近の一護は違う。目を伏せ、少しの間黙ってしまう。それから無言で擦り寄ってくれるようになった。
 どこか弱々しいその姿にこちらが戸惑っていると、一護はまた無言で背中や胸板をなでてくる。媚びているのではなく、労るように。
 そんな姿を目の当たりにして、浮竹はここ最近、一護を抱くに抱けないでいた。

「十四郎さん」

 呼ばれた気がして浮竹は目を開けた。
 涼しい。そよそよと風が吹いてきてそれがとても心地良かった。もう一度眠ってしまおうと目を閉じれば、それと同時に同じ部屋に別の気配を感じて飛び起きた。
「一、護?」
「具合は」
「大、丈夫、だが、」
 どうしてここに、と目で問うた。隊舎ではない、ここは自宅だ。それなのになぜ、一護が自分の寝室にいて団扇で扇いでくれているのか。
「京楽さんが見舞いに行ってあげてって」
「そう、か」
「家族は? 誰もいなくて驚いた」
「実家の、方に、」
「そう」
「俺の名を、読んだか?」
「いいえ、浮竹隊長」
 狼狽えているのは浮竹だけで、一護は至極冷静だった。相変わらずぱたぱたと団扇で風を送り続けてくれている。
「疲れないか」
「少し」
 言葉少なに一護は答え、そして団扇を床に置いた。もう扇ぐことはしなくても、涼しい風が開いた障子から室内へと入り込んでいた。
 一護は正座のまま一言も喋らずにただ布団の端を見つめていた。本当は何も見てはいないかもしれなかったが、浮竹には分からない。
 黒に近い紺色の質素な浴衣を纏った一護は一見すればどこにでもいる少年だった。少し伸びたオレンジ色の前髪が気にかかり、浮竹はそれを指ではらってやった。
 ふと目が合う。少年のようだと思うものの、浮竹にとってはそうではない。
 抱きたいと思う。
「一護」
 抱きたい。
 一護は目を伏せる。知った遣り取りだった。この後一護は無言で擦り寄ってくると浮竹には分かっていた。案の定そうされて、しかし自分でも分からない複雑な気持ちが沸き起こり、両の手が不自然に宙を彷徨った。
 ふぅ、と溜息が聞こえた。
「しないの」
 一護の顔は自分の胸に伏せられていて浮竹からは見えない。
「俺に飽きた?」
「そんなことは、」
「前みたいに、言うこと聞かない方が良かったかよ? 死ねとかそんなこと言って、少しも思いのままにならない方が好きだった?」
 悪態ついて、抵抗する一護をねじ伏せるのは確かに快感だった。だからか、今の従順な一護を抱く気になれないのは。
 いや、違う。浮竹は首を振って否定した。
「そうじゃない、一護」
「だったらなんで? なんで何もしないの」
 言うのは嫌だった。自虐的すぎる。
「‥‥‥‥‥お前はその、嫌い、だろう? 俺のことが」
 無理矢理奪って関係を強要して。あとはあれだ、何も知らない一護にあれこれ手ほどきしたことか。
 今ではすっかり自分好みに仕上がった一護は、ただ黙って何も答えなかった。
「お前こそどうした。なぜこんなに素直に、大人しく」
 その身を預けてくれる。
「何かあったのか? 他に、誰かがひどいことでも」
 一護がフ、と笑った。
「皆優しいよ。俺を、優しく抱いてくれた」
 その言葉に何も感じない筈は無い。知っていたこととはいえ、瞬間頭に血が上り、浮竹は乱暴に一護を押し倒していた。
 強く褥に押し付けてぶつかるように唇を重ねる。息があがるまで深く口付けてようやく顔を離せば、一護は挑発するように切れた唇を舐めてみせた。
「こんなふうにはしなかったな、誰も。いちいち俺に、してもいいか、痛くないか、って聞いてきてくれて、すっごく優しく触ってくるんだ。ああ、あと避妊もちゃんとしてくれたよ」
「っ一護」
 ぱしりと響いた乾いた音に、浮竹は絶句した。
「殴ったりもしなかった」
 打たれた頬を軽く押さえ、一護は皮肉げに唇を歪めた。
「‥‥‥‥‥‥すまん、殴るつもりは」
「殴る以上にひどいことしておいてそれは謝らないくせに」
「‥‥‥‥‥‥あぁ、そうだな」
「最低だな」
「あぁ」
「それで今度は、捨てるのかっ」
 一護を見ると、言ってしまった、そんな顔をして口元を覆い固まっていた。しかし徐々に体の力を抜いていくと、顔を背けて震える言葉を発した。
「どうして、抱いて、くれない、」
「一護?」
「どうしてっ、」
 目も合わさずに一護は叫んで、それから何も言わなくなった。最初の頃のように、悲観して褥に顔を押し付けて震えていた。
「俺がしなくても、他の誰かがそうしてくれる。違うか?」
 腹立たしいことに。
 一護が自分以外の男に抱かれていることは随分前から知っていた。言葉にしなくても、時折一護へと投げかけられる視線や密やかに絡み合う指でそれが誰かなんて分かっていたのだ。
 冷たくそう言ってやれば、しかし一護は首を振る。
「もう誰にも、触れさせないことにしたんだ」
 腫れ上がってきた左の頬を手で隠し、一護は静かにそう言った。
「‥‥‥‥‥一護、」
 信じられないと息を呑んだ。
 自ら擦り寄ってきてくれる一護。期待する気持ちが心臓の鼓動を早くした。
「俺は、また自惚れているのか? まるでお前が、俺を好きだと言っているように聞こえる」
 顔を見ようと肩に手をかける。しかし一護は拒むように首を振った。
「分からない、同情かもしれない、でも」

 血の味がした。
 咳き込む姿は見てられない。
 抱いてほしい。

 三言そう呟いて一護はすっかり黙ってしまった。
 浮竹は己の体の下で震える小さな一護をどう扱えばいいのか分からない。このまま、触れてしまってもいいのだろうか。
「一護、顔を見せてくれ」
 髪を梳き、顔を覆い隠す手をどかせようとしても一護はいやいやと首を振って体を更に小さくしてしまった。
 前にも後ろにも進めない。浮竹は一護の上に覆いかぶさってはいるものの、それから微動だに出来なかった。
 先に動いたのは一護のほう。
「何を、」
 顔を背けたまま一護は己の帯に手を掛けた。そして呆然としている浮竹の手を取り、簡単に乱れた胸元へと誘った。
 誰よりも知っている一護の肌。触れるのは久しぶりで、浮竹の手が自然に動き一護の小さな胸を弄った。
「‥‥‥‥はぁ」
 吐息。
 それだけで浮竹の鼓動が飛び跳ねた。押しつぶすくらいに力を入れてやれば、一護が涙目で見上げてくる。その目には拒絶も嫌悪も無い。いつもの虚ろな、諦観した目でもない。
「一護」
「ぅん、ん、」
 裾を割り、手を忍び込ませる。いつもはばたばと暴れる両足は今はとても大人しい。弱い内股を撫で擦ったとき、一護の眦から涙が滑り落ちた。
 この先へと触れていいのか。惑う指が足の付け根で止まってしまう。
「あ、どうして、」
 浮竹はいまだに迷いを見せてそれ以上は触れようとはしない。一護は焦れて浮竹の手を取りそして自分の中心へと導びこうとした。
「よせ、無理はするな」
「無理じゃない、あんたこそ、どうしてっ、‥‥‥‥どうして」
 震え、それからきつく唇を噛んだ。乱れた姿のまま一護は再び顔を背けた。
 泣かせてばかりだと浮竹は苦みを隠せない。掛ける言葉も見つからず、涙だけでも拭ってやりたいと手を伸ばせば素気なく振り払われた。
「もう、帰る」
「一護、俺は」
「どうやっても抱いてくれないんだな」
 もうそんな価値も無いかと呻くように呟くと、浮竹の体の下から一護はすばやく逃げ出した。
「待ってくれ!」
 手を伸ばしてその頼りない肩を捕らえようとする。しかし逃げる一護のほうが速かった。
「一護!」
 空を掴んだ己の手の向こうに一護は駆けて消えてしまった。追いかける為の体はしかし今は使い物にならない。すぐに浮竹は胸が苦しくなり吐き気がこみ上げた。なんたる木偶と病弱な体を罵られるだけ罵った。
 そして己の体の代わりに床へと拳を叩き付けた。
 愛している。抱きたくない筈が無い。
 しかし一護の心が分からない。揺らいでいるのは確かだ。だがそれだけでは足りない。
 足りないのだ。
「‥‥‥‥最低だな、」
 心が欲しいだなんて、そんなおこがましいことを口にしたことは無かった。出来る筈が無い。
 先に奪った体だけで我慢しろと言い聞かせていたのに、一護が急に態度を変えるから期待してしまった。そう考えてもう一度床に拳を叩き付けた。
「俺はっ、」
 なんて最低な男だ。分かってはいたが、別の意味で吐き気がする。
 抱かなかったのは恐れたからだ。
 こんな自分に、一護のような人間が惚れていい筈が無いと。
 本当に死んでしまえばいい。一護を誰よりも苦しめる自分が本気で疎ましかった。どんなに愛していても、やはり超えてはいけない一線があったのだ。
「‥‥‥‥‥っ、ぐ、」
 思った途端に血の味が口内に広がった。
 このまま死にたい、消えてしまいたい。

「十四郎さん‥‥‥‥っ」

 幻聴か。
 それでもいい。最期に聞ける言葉がこれならきっと満足して逝ける。
「十四郎さんっ、」
 肩にかかる手も髪を梳く手も、こちらを心底心配したように覗き込んでくる茶色の目も幻覚だというのか。
「一、護‥‥‥‥?」
「薬っ、薬はっ?」
 どこにあるんだと混乱してそこらへんをひっくり返す一護の姿。
 幻。
 違う。
「どこ、どこだよ!」
 枕元には無い。半狂乱になって一護は取り乱し、それでも戸棚の上にある薬箱に目がいった。
「一護」
「っあ、」
 立ち上がりかけた一護を引き倒し、縺れるようにして二人は褥を転がった。
「一護、‥‥‥‥‥一護一護一護!!」
 骨が軋むほど強く抱きしめ、そうしてずっと、本当はずっと言いたかった言葉を告げた。
「すまない、すまなかったっ、‥‥‥‥すまん一護! 何度でも謝罪するっ」
「っ十四郎、さん、」
「悪かった。俺は最低の奴だ、死んで詫びたい、だがっ」
 至近距離で一護の目を覗き込む。死んで、という言葉に一瞬竦んで怯えが走っていた。
「‥‥‥‥だが、お前がいる。お前が、ここに、俺の目の前にいる。俺はなんて意気地のない奴だ。途端に死にたくないと、思ってしまった‥‥‥‥」
 生きたいとすら思ってしまった。
 舞い戻ってきてくれた一護を、この期に及んで今、抱きたくて仕方ない。
「‥‥‥‥‥薬、どこ」
「一、」
「早く飲んで。飲んだら寝て、元気になったら」
 ぼそぼそと耳に囁かれた言葉に浮竹は全身の力が抜けてしまった。体重をすべて一護へと預けてしまったが一護は抱きしめ返し、浮竹の耳やこめかみに唇を何度も押し当てていった。
「泣くなよ。今ここで、抱いてほしくなる」
「そうしてしまいたい」
「駄目。今は体の方が大事だから」
 一護が久しく見せていなかった笑みを浮かべ、そして浮竹の唇を塞いでしまった。血の味に怯える一護を知ってしまっては浮竹は深くは重ねられない。しかし一護のほうから舌を差し入れてきて、血の味が充満している口内を舐めていった。
「はぁ、ん、ふ」
 一護の唇の端から唾液とともに血が滴った。浮竹がそれを舐めとれば、しかし血が跡をつくる。咄嗟に顔を後ろに引くと、一護の唇が追いかけてきた。
 隙間無く体をくっつけあって唇で繋がりあって、本当は下の方でも繋がりあいたいと思うところだが今はこれで十分満たされてしまった。
「愛してる、一護」
「ん、俺もいつかそうなれたら、嬉しい」
 まだ恋ですらないけれど。

 はじまったばかり。

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