すれちがいめぐりあい
後編
真央霊術院の卒業式が行われたその日、およそ半数の隊長が祝いに顔を出していた。
その中に浮竹の姿を見つけた一護は、思わずリサを壁に隠れてしまった。
「来るなんて聞いてないっ」
「ほほー、あれが浮竹隊長か」
実は視察に訪れたことがない隊長は浮竹だけだった。なんでも病気でいつも都合が合わなかったらしい。
「けっこうえぇ男やん。肌はなまっちろいけど、清潔そうやし、きりっとしとるし」
「筋肉も凄いんだぜ!」
「それ問題発言やで。あ、こっち見て手ぇ振っとる」
一護はリサの背中から顔を出すと、ぎこちなく手を振り返した。そしてすぐに引っ込んだ。なぜ自分が隠れているのか、訳の分からない羞恥に一護は混乱した。
一方浮竹たち隊長格の集う貴賓席では、のんびりとした会話が交わされていた。
「浮竹隊長、あのオレンジ頭の子ぉとは知り合いですか」
このとき五番隊副隊長の平子真子。生徒と浮竹を見比べ、彼特有のゆるい笑みを浮かべていた。
「ああ。俺の娘だよ」
「娘! 浮竹隊長が既婚者やったとは知りませんでした」
「いや、結婚はしてないよ。養子に迎えた子なんだ」
「なぁる。どおりで浮竹隊長と違って健康そうな子やと‥‥‥‥すんません」
「いいんだ、実際元気な子だからね。でも今日はどうしたのかな」
友人らしき少女の背に隠れて出てこようとしない。周囲の同級生が不思議そうにしている中、まるで昔の遊びのように浮竹から隠れようとしている。
「今日来るって言ってなかったんだろう。嬉し恥ずかし、ってやつさ」
二人の会話を聞いていた京楽が言った。
「嬉しいのは分かるが、なんで恥ずかしいんだ?」
「さあね、自分で考えなさいよ」
「お前、最近俺に冷たくないか?」
「僕は昔から男にだけは冷たいよ」
妙にトゲトゲしい会話と空気に、他の隊長格は居心地の悪い思いをしていた。古株二人は一見温厚だが、一度やり合うと総隊長にしか止められないというのはどうか噂であってほしい。
「遠目やけど、可愛いらしい雰囲気の娘さんですなあ」
空気を読まない男、平子真子。
冷たい空気の漂う浮竹に、飄々と語りかける。
「浮竹隊長は、娘さんの交際については厳しいほうなんでしょうか」
「なにが言いたい」
「せやから、娘さんにちょっかい出してもええでしょうかって訊いとるんです」
そんなの駄目に決まってるだろうが!!
「もがっ」
「いいよいいよー、ガンガン行っちゃってー」
「ひょうはふっ!!」
口を塞がれた養父の代わりに、京楽が勝手に了承した。
「門限とかも気にしなくていいよー、だって一護ちゃん、卒業を期に一人暮らしするからさぁー」
「なんだと!?」
口を塞ぐ手を無理矢理剥がすと、浮竹は式典の最中だというのに大声を上げた。
しんと静まり返る場内。
京楽を振り払い浮竹は貴賓席から立ち上がると、生徒たちの列の中、目を見開いて立ち竦む一護の元まで行った。
「来なさい」
「あの、え?」
「いいから来るんだ!!」
怒鳴られたことなど一度もなかった。恐ろしさのあまり、声を失う。
動けない一護の背中を押したのは、ずっと様子を見ていたリサだった。
「行ってき」
押し出されてふらふらと歩き出す一護を見送ったリサは、にやにや笑っている京楽にびしっと親指を立てた。
次第にざわめき始める場内、その貴賓席。平子はこってもいない肩を揉み解しながら、騒ぎの本当の原因である京楽に視線を送った。
「これでよかったんですかぁ?」
「うん、上出来」
「にしても、あの浮竹隊長でも怒るんですなぁ」
「散々すっとぼけてくれたけど、どこで動くべきかは本能で分かってたのさ。これだけお膳立てして駄目だったら僕はもう諦めるよ」
「あ、ほんなら俺がほんとに手ぇ出してもええってことですか」
「駄目に決まってるだろ。ぶっ殺すよ」
笑顔で言い放たれた台詞には本気の殺気。平子は両手を上げて降参した。
途中、あまりにも暴れる一護を鬼道で失神させた。己の乱暴な所業に驚くよりも自嘲がこぼれる。
屋敷に二人揃うのは実に六年ぶりのことだった。真央霊術院に行ってしまった日から、休みの日にさえ帰ってこなくなった娘にとって、この屋敷は随分と懐かしいものになっているだろう。
「一護‥‥」
流魂街で拾った娘。
まるくてふくふくしていた頬は、今や大人の弧を描いていた。手足は伸びて、もう子供とは呼べない。抱き上げたときに分かったが、柔らかさを秘めた体。この子は会うたびに成長していた。
ほっそりとした首に視線が吸い寄せられる。思わず唇を寄せたくなるようなーーー
「ーーーーっ、お、俺は、何を、」
気付くと首筋に顔を埋め、唇で吸い上げていた。赤い痕が一護の首にくっきりと残っている。まぎれもなく自分がつけた痕だ。
自分でした行為に愕然とした。
この子は、俺の娘だぞ?
「‥‥‥っ、ん、」
違和感に気付いた一護が眠りから覚める。眉間に皺を寄せ、瞼にぎゅっと力を入れ、言葉にならない声を漏らす。
今度は唇に視線が吸い寄せられる。そこだけは駄目だと頭の中で声がする。けれど薄く開いたそこに、だんだんと顔が近づいていって、
「十四郎さん?」
あと少しというところで、ぱちっと目が開いた。
至近距離で見つめ合い、しばし無言。
「っひ、」
一瞬で顔を赤くした一護がとる次の行動など分かっていた。逃げる前に両手を畳に縫い付け、上にのしかかる。もっと暴れるかと思ったが、混乱しているにも関わらず、一護は大人しかった。
「な、なんで、ここ、どこっ?」
「屋敷さ。気を失っている間に運んだんだ」
唯一動かせる首をぐるりと巡らし、一護は最後に浮竹を見上げた。しかしすぐに視線を逸らす。それが気に入らなくて、腕をひとまとめにすると顎を掴み無理矢理に正面を向けた。
「聞かせてくれ。どうして一人暮らしのことを黙っていた。‥‥‥いや、そうじゃないな、どうして俺から離れて暮らそうなどと思ったんだ」
「‥‥‥‥言いたくない」
ぷい、と顔を逸らしたので強引に戻す。顎を掴む指に力を入れると、悔しそうに睨みつけてきた。その表情を見た瞬間、ぞく、としたものが背中を這い上がる。
「なんだ?」
今のはいったい。
不可解な感覚に戸惑っていると、不意に友人の声が頭に響いた。
『お前、本当に分かんないの?』
何度も、何度も言われてきた言葉だ。京楽得意の謎掛けだと思って気にも留めてこなかったが、今この瞬間、妙に気になって仕方が無い。
「なあ、離せよっ、痛い」
知らず知らずのうちに力を込めていたらしい。顔を苦痛に歪め、薄らと涙が浮かんだ目が浮竹を捉えている。
「ーーーーーー!? ‥‥‥っな、」
俺は、俺は今、何を考えた。
一護をどうしてしまいたいと、思ったんだ。
「っや、いたい、」
再び力を込めてしまったが故に、一護が痛がって身を捩った。そのとき見えたのは首筋の赤い痕。
ごくりと喉が鳴る。
紛れもない、これは、劣情だ。
「十四郎さん?」
このとき一護がいつものように『義父上』と呼んでいたら、自分は過ちを犯さなかっただろう。
けれど一護は言ってしまった。だからもう、遅い。
「一護、すまない」
親指で唇をなぞる。乾いたそれに己のものを押し付けるのは申し訳ない気持ちに駆られたが、それも一瞬。
「っん!?」
すまない。すまない、一護。
俺はきっと心さえも病んでしまったんだ。
「‥‥‥っ、ふ、あ」
一度離し、角度を変えて再度吸いつく。今度は舌を入れ上顎を舐め、戸惑う一護の舌を弄んだ。
もう止まらなかった。一護が泣いている。すまない、本当にすまない。けれどもう抑えがきかないんだ。
「じゅ、十四郎さん、なんで、こんなこと、」
「怖かったら目を瞑ってなさい」
制服の襟元に手を伸ばし、左右に寛げる。さらしの白が目にも眩しい。まるでこの蛮行を咎めているようだと思った。
一護は目を閉じないで、口をぱくぱくと開閉させていた。その唇の動きは「なんで、なんで?」と繰り返している。
顔は真っ赤なのは最初からだが、その顔に嫌悪の色がないのが不思議だった。まだ状況がよく分かっていないのか。そんな子供に自分は手を出そうとしているのだ。嫌悪に顔を歪めたのは、浮竹のほうだった。
それでもこの行いを止めようとは思わなかった。つくづく自分は腐っている。
「ーーーっハ、救えない」
せめて優しくしよう。傲慢な考えに、我ながら反吐が出る。
深紅の袴に手をかけた。これを脱がしてしまえばいよいよ後には引けないぞ、十四郎。
「‥‥‥‥‥一護?」
袴はあっさりと一護の足から抜け落ちた。抵抗などまったく無く、それはもうするすると。
下着を隠そうと上の着物を引っ張ってはいるが、そんなものは抵抗とは呼べない。普通はこう、泣き叫んだり、手足をばたつかせたりするものだが。
「あの、あのっ、あんまり見ないでほしいんだけどっ、」
頬を上気させ潤んだ瞳で訴えられる。そのあまりの初々しさと幼さの残る危うい色気に、浮竹は思わず口元を手で覆った。
ヤバい。これほどとは、正直思っていなかった。
「一護、お前はなんて‥‥」
「え、っわ、えぇっ、あっ、足、‥‥‥やだっ、」
太腿をひと撫で、それから開かせる。すばやく間に入ると自分の着物を性急に脱いだ。上半身が裸になった時点で一護が初めて悲鳴を上げた。黄色い悲鳴を。
「わ、だめ、脱いじゃだめっ、恥ずかしいっ」
「脱がないと気持ち良くなれないだろう」
「そ、そんなぁっ」
真っ赤な顔で狼狽える一護は本当に慣れていないのだと浮竹に知らせていた。男女共学での生活が六年間。正直、もしかしたらと思っていた。けれど一護の反応を見る限り、接吻すら誰にも許していなかったことが伺える。
その事実は浮竹に歓喜をもたらすと同時に、罪悪感をも抱かせた。
「こんな男に奪われるのは本当に嫌だろうが、‥‥‥‥‥許せ、一護」
「お、俺、‥‥‥っん」
愛情込めて唇を甘く吸う。自分には優しく扱うことしかしてやれない。
終わったら、いくらでも恨んでくれていいから。
すべての迷いを捨て、襲いかからんと身を乗り出す。同時に一護が言った台詞に、浮竹は耳を疑った。
「こ、こちらこそよろしくお願いします!!」
一時混乱はあったが卒業式は無事終了した。京楽は今日知り合ったばかりの女子生徒と連れ立って、我が心の友の屋敷へと向かっていた。
「ちゃんとしてっかなあ、浮竹の奴」
「大丈夫やと思うで。浮竹隊長のことは知らんけど、一護は日頃から浮竹隊長のこと襲いたいって思とったみたいやし。責められたら短気な一護のことや、ガバっといっとるかもしれん」
「ははっ、そりゃ頼もしい」
幼い頃から一護を見てきたのは京楽も同じだった。肝心の養父が気付かないことを京楽は気付いてきたし、相談も受けてきた。同じくらい父親気分でいたから、一護が好いた相手と一緒になることができたらこれ以上の幸せはない。
「お、見えてきたよ、リサちゃん」
曲がり角を折れると、遠くのほうに屋敷が見えた。
「行っても大丈夫やろか」
「大丈夫でしょ。一護ちゃんの親友なんだから、歓迎してくれるって」
「そうやなくて、ヤってる最中やったらどうするん?」
ズバリ聞いてくるリサに、京楽は笑顔のまま停止した。それは考えていなかった。
「‥‥‥‥いや、まあ、連れ出してからけっこう時間は経ってるし、そうだとしても、終わってるでしょ」
「分からんで。一護っちゅう初物を目の前にして、自分の想いに気付いた男ががっつかんとは思えへんけど。うちがよく読む雑誌の体験談には、処女やと知った彼氏が獣のように襲ってきていつまでたっても終わらせてもらえへんかったって書いとったし」
「君、なんつう雑誌読んでんの‥‥」
「乙女の嗜みや」
眼鏡をクイっと上げて言い切るリサを見て、一護はいっつもからかわれてるんだろうなあと京楽は同情した。
そうこう会話をするうちに、いまや愛の巣と化しているかもしれない屋敷の前まで来てしまった。どうする、とリサに視線を送ると、彼女はなぜか足下に転がっていた石を拾い上げた。
「これ窓硝子に投げ込んで怒鳴り出てきたら終了、反応無かったら続行中、ってことや」
「うわあ、過激」
即座にやめさせた。
「普通に呼び鈴鳴らそうよ」
「なんや、つまらん」
ほどなくして、屋敷の奥からドタドタと足音が聞こえてきた。
姿を見せたのは一護だった。
「春水さん!!」
「い、一護ちゃん? どうしたの」
わぁっと胸に泣き付かれ、京楽は目を白黒させた。怪訝に思って屋敷と一護を見比べていると、次に姿を見せたのは浮竹だった。
「一護っ、誤解なんだ!」
上半身、裸。一護の格好も乱れている。
二人のすれ違いはどうやら解けたようにも見えるが、この状況は如何に。
「どないしたんや」
「り、りざぁああ」
「ほんで?」
「じゅう、じゅうしろうさんが、おれのこと抱けないっていうんだっ、ほとんど脱がせてちゅうまでしたくせに!! もてあそんだんだっ!!」
「だから誤解だ!」
埒があかない。
泣きじゃくる一護をリサに任せ、京楽は必死に弁解する浮竹に詰め寄った。
「どういうこと? 弄んだの?」
「違うっ、俺は、まさか一護が好いてくれていたとは思わなくてっ」
「動揺したと?」
「それで急激に恥ずかしくなってっ、俺はこの子の想いを知らずに随分と、その、勘違いをしてしまっていたようで、ひどく大人げなかったことに気がついて、それなのにこの子を抱くのはむしがよすぎると思ってだな、」
「アホかお前は」
「アホやなあんたは」
「じゅうしろうさんのアホぉおおお!!」
責めに責められ、浮竹は半裸で撃沈した。まさに自業自得だった。
月日は流れーーー。
「黒崎一護を十番隊隊長に任ずる」
「謹んで、拝命します」
その日、護廷に新たな隊長が誕生した。
任命式は祝福の声で賑わった。その中でただ一人、不満を露にする男がいた。
「浮竹、いい加減に機嫌直しなよ。めでたい席なのにいつまで不貞腐れてんの」
「うるさい」
ぶっすーーーと音がするくらいに不機嫌そのものな男の元に、輪から抜け出してきた本日の主役が駆け寄った。あくまでも俺は受け入れていないと主張する浮竹の両手に触れ、機嫌を伺うように声をかける。
「浮竹隊長、」
「一護ちゃん、そこは名前で呼んでやらなくちゃ」
逡巡したが、一護は頷いた。
「‥‥‥‥十四郎さん、機嫌直してよ」
「お前は寂しくないのか」
「屋敷で会えるし、隊舎もそう遠くないから」
寂しくても我慢する。
大人の対応を見せた一護に対し、はるか年上の浮竹はもう我慢できんと不満を爆発させた。
「どうして隊長になったりしたんだ! 十三番隊の副隊長は、俺の傍は、そんなに嫌だったのか!?」
「おい浮竹、大人げないぞー」
外野の野次は、しかし浮竹の耳には届かない。
困った顔でおろおろする一護を説得せんと、真正面から言い募る。
「今からでもいい、戻って来るんだ! 隊長なんかつまらん仕事だぞ、なるほどのもんじゃない!!」
「こら浮竹、山じいが行ったからって好き勝手言うなー」
外野の野次は以下略。
結局、当然のことながら一護の意思は覆らず。以後、浮竹は副隊長の座に一護にどこか面差しの似た志波海燕を据えることでどうにか納得したという。本人は顔で選んだわけじゃないと主張しているが、真相は薮の中。
「昔と逆だねえ」
「やな」
八番隊の主従二人は、浮竹と一護を見て苦笑混じりに言った。
昔は必死に追いかけていた一護が目立っていたが、今や淡白になってしまった恋人を浮竹が追いかけている。恋とはどうなるか分からないものだ。恋多き男、京楽でさえも先は見通せない。
「帰ろうか、リサちゃん」
「他も帰っとるしな」
「そうだ、甘味屋行かない?」
「今ダイエット中やけど行ったるわ」
「はは、君痩せる気ないだろう」
腐れ縁二人は一番隊をあとにした。
後ろでは、恋人二人がいつまでも痴話喧嘩を繰り広げていた。
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