蝶が瞬くとき

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  序章  

「遊子、夏梨、話がある」
 ここは尸魂界の中でも比較的治安の良い流魂街だ。そこに建つあばら屋ともいえる粗末な家に姉妹三人が慎ましく暮らしていた。
 名前を呼ばれた二人の妹が振り返ると、珍しく真面目な顔をした姉が正座をして待っていた。他人が見れば普段の仏頂面と大差ないともいえるが、そこは長年一緒に暮らしてきた妹達にはいつもと違う顔だとすぐに分かった。
「なあにー? お姉ちゃん」
「どうしたの一姉」
「俺は死神になる」  
 どこか押し殺したような声でそう言った。  
 が、しかし。

「駄目」
「却下」

「なっ!」  
 同時に断られた。  
 双子の姉妹の息の合った台詞に、姉は目を見開いた。
「話それで終わり? じゃあ遊んでくるね」
「待って夏梨ちゃん。私も行くー!」  
 ガラガラ、ピシャン。  
 妹達が出て行って一人になったところで姉がガクッと崩れ落ちた。昨日も同じことを言って断られた。これで十三戦全敗だ情けない。だが諦めるわけにはいかない。自分は何としてでも死神にならなければいけないのだ。  
 そう思ってもう一度自分を奮い立たせた。
「くそっ。帰ったらまた挑戦してやる」  
 オレンジ色の短い髪に、琥珀の目を爛々と輝かせてそう呟いた。  
 彼女の名は黒崎一護という。




「一姉まだ諦めてなかったな」
「ねー。このぶんだと帰ってからも同じこと言うよ」  
 最近姉が死神になると言い出した。最近ではなく実は胸の内には随分と前からそういう思いがあったのだが二人は知らない。  
 とにかくなんとか諦めさせねばと二人は誓い合った。
「私たちに楽させたいっていうのは嬉しいけどさ」
「でも死神になるには、しん、しん、」
「真央霊術院」
「ってとこに行かなきゃならないんでしょ?わたしイヤだよお姉ちゃんと離れるの」
「それだけじゃない。死神になったら危険な任務をこなさなきゃならないんだ」
「危険な任務って?」
「知らない。でも死神になったっていうユキおばさんの子供がさ、死んだんだって。たぶん、その任務で」  
 遊子は息を呑んだ。ユキおばさん、自分の子供が死神になったってあんなに喜んでいたのに。  
 なんだか無性に悲しくなってきた。手が震える。もし姉がそうなってしまったら。
「っ、ぅう‥‥‥」
「泣くな遊子!一姉は死神になんかさせない」  
 手を握った。強すぎるほどに。  
 そうでもしないと、自分も泣いてしまいそうだった。




 刀がある。  
 斬魄刀といって死神しか持てない刀だそうだ。  
 名は斬月。そう名乗った。
『今日も駄目だったな』
「うるさい。帰ってきたらまた言う」  
 一護は夕飯の支度をしながら不機嫌にそう返した。  
 端から見れば独り言のように見えるが一護は斬魄刀と会話をしていた。いつの頃か気がつけば刀を握っていた。そうしてその内会話したり刀の姿も見えるようになったのだ。
『死神になったとして、わたしのことは何と説明する』
「説明はしない。誤摩化す」  
 二人は常に共にいた。  
 遊子も夏梨も斬月の存在は知らない。ただの刀だと思っている。
『それがいい。知れると色々と厄介だ』  
 低い声。一護はこの声が好きだった。自然と笑みがこぼれる。
「どうやってあいつらを説得するかだな」
『口ではお前は勝てぬからな』
「うっせ!」  
 こうやって友のように軽口をたたいたり、相談したりするのは彼とだけだ。妹達の前では常に自分は頼りがいのある姉でありたいからこんなことは出来なかった。  
 弱音などは、決して吐けない。
「なあ斬月、どうすればいい?」
『なに、簡単なことだ』




「真央霊術院に合格した‥‥?」
「おう、一発合格。すげーだろ」  
 斬月の提案はこれだ。黙って受けてしまえ、だった。
「馬鹿!!」
「うおっ」
「そんなに、そんなに私達と離れたいの!?」
「遊子、」  
 ちがう、そう言おうとしたら泣いていることに気付いた。夏梨も必死に耐えてはいるが今にも涙がこぼれ落ちそうだ。  
 泣かせるなんてと罪悪感がこみ上げる。こんなつもりではなかった。
「遊子、夏梨、聞いてくれ」
「聞きたく、ないっ」
「聞くんだ」  
 調子の強い声に二人がびくりと震えた。
「俺は死神になりたい。死神になってもっと強くなりたい。今よりももっと、もっとだ」
「死神になって、強くなってどうするんだよっ」
「母さん達を捜す」
「えっ」  
 以外な答えだった。自分たちに楽をさせたくて死神になりたがっているのだと思っていた。  
 ぽかんとした二人の頭を一護が優しく撫でた。
「もちろんお前達に楽をさせてやりたい。もっと安全な場所で笑っていてほしい。家族みんなでな」
 慈愛に満ちた表情だった。その顔を見て、二人はまた泣きそうになった。
「死んだらバラバラになっちまったからな。お前ら捜すのに随分苦労した。ひとりぼっちで淋しかっただろう」  
 そうだ。気がつけばひとりだった。見たこともない場所でたったひとり。それは今思いだしても心が凍えるような恐怖だった。  
 だから、この姉が自分達を見つけ出してくれたときほど幸福な瞬間はなかった。
「母さん達も、もしかしたらそんな思いをしているかもしれない」  
 姉は先に死んでしまった母を探しまわった。幼い頃に死んでしまった母を思いだすことは出来ないが、きっと姉のような人なのだろう。
「親父もポックリ逝ってるかもな。でもそうじゃなきゃ現世に死神なら行ける。元気にしてるかどうか知りたいだろ?母さんももしかしたら瀞霊廷にいるかもしれないし。それかまだこっちにいるんだとしたら、俺は迎えに行ってやりたい」  
 最も治安の悪い流魂街でも母親の姿は無かった。そのさらに奥へ行くには今の一護には荷が勝ちすぎる。虚も出るという。そこへ行くには死神になって力を手に入れなければ。
「俺はまた家族一緒に過ごしたい」  
 いつのまにか二人の涙は乾いていた。一護はそんな二人をぎゅうっと抱きしめるとメシにするか、と台所のほうに消えていった。




 その夜二人は一護が死神になることを許してくれた。まだ真央霊術院に合格しただけなのだが、確実に死神になるのだろうと直感していた。
(俺は狡いな、斬月)  
 両脇に眠る二人が起きないように一護は心の中で話しかける。
『決して嘘ではないだろう』
(母さんを捜して、楽になりたいのは俺のほうだ)
『一護、そう思うのは罪ではない』
(最低だ、ばかやろう)
『たとえ最低でも馬鹿でも、わたしはお前を見捨てない。いつも一緒にいる。それだけは忘れないでくれ』
(‥‥‥‥うん)
『もう眠れ』



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