蝶が瞬くとき
01. 出会ってしまった
「一護」
呼ばれて振り返るとそこには銀髪の死神が立っていた。
一護は女にしては背が高く、そして一護を呼び止めた銀髪の死神は男にしては背が低かった。だが顔はまだまだ幼い。これから伸びるのだろう。
「冬獅郎」
必然的に一護が見下ろす格好になる。その度に冬獅郎はそれが気に食わないのか眉間にしわを寄せた。真央霊術院で初めて会ったときなど目線を会わせる為に屈んだらひどく怒られたのを一護は思いだした。
いい加減諦めればいいのに、自分のほうが背が高いのは仕方がない。
「もう帰るのか」
「ああ。昨日から一夜漬けして正午まで働いたからな、今日の午後と明日一日休みを貰ったんだ」
一護は嬉しそうに報告した。その様子に妹が二人いると言っていたことを冬獅郎は思い出す。そして顔色の悪さに気が付くと、心配そうに顔を覗き込んだ。
一護は誰よりも頑張っていると思う。だがときどきそのあまりの必死さに見ていられなくなることがあるのだ。
「あまり無茶するなよ。倒れちまったら元も子もねえんだから。お前は頑張り過ぎだ。もうすこし、手を抜いたっていいんだぞ」
すると一護が困ったように笑った。
「俺は剣振るうしか能が無いからよ、事務処理だとかは周りよりもずっと頑張らなきゃいけないんだ」
確かに一護の剣技は霊術院の頃から他と一線を画していた。それを見て馴れてるな、と言った冬獅郎に、流魂街の80地区にいたことがあると教えてくれた。貴族の何人かはやっかみから流魂街出身の一護をいつも蔑んでいたが、当の本人は少しも気にせずただ前を向いていた。
「じゃあ俺もう行くな。二人が首長くして待ってる」
「‥‥‥ああ、またな」
オレンジ色の髪が見えなくなるまで見送った。
誰よりも輝いているのに次の瞬間消えてしまいそうだ。一護にはそんな危うさがある。
目が、離せない。
「シロちゃん?」
「‥‥‥シロちゃんはやめろ。寝小便桃」
「それやめてよ!」
幼馴染みの雛森桃が焦ったようにその言葉を遮った。そしてその手にはどこかの隊に持って行くのか大量の書類が抱えられていた。それを自然な動作で半分持ってやる。
「ありがとう。さっきの子ってもしかして一護くん?」
「ああ」
「お話したかったなー」
一護のことは話だけだが冬獅郎から聞いていた。ものすごく強い奴がいる、死神となる前に興奮しながら真央霊術院での出来事を話す冬獅郎を思い出した。
「今度紹介してよ。私も日番谷くんのお友達と話したい」
「友達じゃねえ」
「じゃあなんなの」
「‥‥‥‥好敵手だ」
友達とか、そんなものではないと思う。そんなものでは嫌だ。
俺は、もっと。
「シロちゃん?」
「いや、なんでもない。それとシロちゃんはやめろっつっただろ。鼻たれ桃」
「たれてないよ!」
「ふん」
雛森を置いて冬獅郎は歩き出す。
何か考えてはいけないことを考えそうになった。そんな気がして、それを誤摩化すように乱暴な足取りで廊下を踏みしめた。
一護は家路を急いでいた。まさか明日も休みを貰えるとは思わなかった、遊子と夏梨喜ぶ様を思い浮かべるだけで一護の頬を緩んでしまう。
そんな一護の前に数人の死神が立ちはだかった。
またか、一護はうんざりした。
「なんか用っすか」
「いい気になるんじゃねえぞ。ちょっと腕が立つからってちゃらちゃらしやがって」
一人がそう吐き捨てると他の死神も次々に罵詈雑言を吐きかけた。
霊術院にいる時からそうだったがどうやら自分はなにかと人の気に障るらしい。無愛想だとか睨んでいるとか、一番言われるのは髪のことだ。
『愚かなことだな』
(霊術院と違って、ぶっ飛ばすわけにはいかねえからな。俺新人だし)
霊術院では自分に手を上げてくる者は片っ端からのしていった。言葉だけなら無視すればいいことだったが、暴力に対しては容赦はしなかった。
たいてい因縁をつけてきたのは貴族だが実戦を知らない貴族のボンボンが流魂街出身で刀を振り回していた一護に適うはずがない。
だが今の相手は曲がりなりにも上司だ。殴るのはまずい。
たいていは黙って文句を聞いやるが時には殴られることもある。一護が女だと知らない人間が多いせいか平気で暴力を振るわれる。
だが自分が女だと言うのは嫌だった。ひどく、癪に障る。
それに逃げるという選択肢も一護の中には存在しなかった。
『お前が無意味に傷つけられるのは見たくない。あの二人も悲しむぞ』
(鬼道がもっと使えりゃな)
こういう謂れの無い暴力で受けた傷はいつも修練でついた傷だと嘘をついていた。鬼道で治せればいいのだが、生憎一護は鬼道が大の苦手だ。
「聞いてんのか!」
「無視してんじゃねえぞっ」
聞いてねえよ馬鹿。
そう言ってやりたかったがこんなときは黙っているに限る。相手は散々言いたいことを言えば帰っていくからだ。時折殴られるが屁でもない。
とにかく死神になった以上下手な真似はできない。妹二人がいるのだ。瀞霊廷を追い出されることだけは避けたかった。
(冬獅郎ならもっとうまく切り抜けるんだろうな)
『くるぞ』
目の前の男が拳を振り上げる。
殴られる瞬間一護は勢いを殺すように後ろに下がってわざと派手に倒れてやった。
嘲笑が聞こえる。どうやら満足して帰っていったようだ。
(席官上げたらあいつらアゴで使ってやる)
姿が見えなくなったところで起き上がる。
死覇装が汚れてしまった。そういえば昨日洗ったばかりだったのに。よろけるだけにすればよかった溜息がこぼれた。
『一護』
「おい、大丈夫か」
「!」
斬月の声に顔を上げると気付かぬうちに傍に男が立っていた。
「大丈夫、です」
「なんでわざと殴られた?」
見られていたのか。それも気付かれるなんて。厄介だな、なんて言い訳しようかと一護は口ごもる。
「別に、そんなんじゃない。」
結局言い訳なんて咄嗟に考えられる筈も無く、濁したようにしか言えなかった。それも相当ぶっきらぼうに。何番隊かわからない男は一護の返事に眉を寄せた。
ああ、怒られるかな。そう思った瞬間だった。
よしよし。
頭を撫でられた。
びっくりして男の顔を見ると、男はまるで困った弟を見るかのような眼差しで一護のことを見つめていた。
「お前流魂街の出身だろ。俺もああやってよく因縁つけられたもんだ。けど黙って殴られることなんてないんだぞ」
やさしくて低い声だった。斬月とはまた違った安心感があって、不機嫌そうに寄っていた一護の眉が自然と緩んでいった。
「でも、俺ここ追い出されるわけにはいかないんだ」
強い眼差しでそう言った。そのあまりの意志の強さに男は目を見開いた。それから破顔する。
「馬ぁっ鹿。あんな奴ら殴り返したところで死神辞めさせられるわけねえだろ。そんなんで辞めさせられてたら今頃十一番隊なんて無くなってるぞ」
「でも、給料少なくなるのは困る」
家族がいるのだ、そう察した男はすこし考え込んだ。やがて、
「おまえ、名前と今何番隊だ?」
「‥‥‥‥‥黒崎一護。十番隊」
「よし一護、俺にまかせとけ」
男はそう言って一護の頭をもう一度撫でると去っていった。
(あの人、誰だったんだろ)
『さあな』