蝶が瞬くとき
02. 志波海燕という男
突然の移動だった。
「十三番隊‥‥‥」
『あの男の差し金か』
「え?」
あの男といえば、数日前に会ったあの男しかいない。あの人がなにかしたのだろうかと一護は考えてみたが、初めて会って少し話をしたくらいの自分を移動させる理由が一護には思いつかなかった。
だが考えていても仕方が無い。十三番隊の隊舎に行かなければ。
「一護!」
「冬獅郎。どうかしたのか」
冬獅郎が焦った様子で走ってきた。
「お前、移動になったって本当か」
「ああ、十三番隊だ。これから行ってくる」
「なにか、あったのか」
冬獅郎が何を心配しているのかに気付き一護は笑った。
「別に、問題起こしたわけじゃない。誰も殴ってねえよ」
冬獅郎は一護が自分以上に絡まれていたことを知っている。そして性格のせいか逃げることを良しとせず、事情のせいでおとなしく殴られていたことも知っていた。だから移動と聞いて、ついに我慢できずにやり返したのだと思ったのだ。
「これからも殴るつもりはない。ある程度席官上がったら因縁つけてくる奴もいなくなるしな」
にっと笑った一護に、冬獅郎は自分がとんだ思い違いをしていたことに気付き恥ずかしくなった。そうだ、一護は妹達のためならどんな苦難でもおとなしく受ける。自分の感情をいくらでも押し殺せる奴だ。
「‥‥‥悪い」
「いいんだ。心配してくれてたんだろ。ありがとな」
十三番隊の隊長室がある雨乾堂は、池の中に建てられていた。周りに緑も多い。
十番隊の隊長室しか知らない一護にとって趣のまったく異なる十三番隊は、ただただ驚くばかりだった。
「他とは全然違うだろう」
「うん。あ、はい」
慌てて言い直す。一護は案内してくれている少女をそっと見た。少女はそんな一護に優雅に笑い返した。
「敬語はいらぬ。私は朽木ルキアだ。呼び捨てにしてくれていい」
「俺は、黒崎一護。俺も一護でいい」
「うむ。海燕殿から色々聞いている」
海燕て誰だ、そう聞こうとしたら丁度隊長室に着いてしまった。
「浮竹隊長、志波副隊長、黒崎一護を連れて参りました」
「入れ」
落ち着いた声。一護は緊張して、わずかに唇を噛んだ。
「失礼します」
襖を開けて見えた男は。
「あ! あんたあのときのっ」
「一護! 隊長の前だぞ!!」
すぐさまルキアにたしなめられる。だが一護は聞いているのかいないのか目を驚きに見開いていた。
「海燕、お前の言っていたとおり威勢がいいな」
「でしょう? よっ、久しぶりだな一護」
こちらの驚きは一切意に介さずに飄々と会話を交わす。
だって、まさか、ありえないと、一護は言葉を発するのもやっとだった。
「副、隊長?」
「これでもな。志波海燕だ、これからよろしく頼む。そしてこちらは浮竹隊長だ。ほれ、挨拶」
「あっ、黒崎、一護です。よろしくお願いします!」
(まさか副隊長だなんて思わなかったぞっ)
内心冷や汗をかいて一護は相棒に訴えかけた。
『最初に会ったとき気配を感じなかっただろう。ただ者ではないことくらい気付け』
(だとしても副隊長だなんて、)
「どうした?」
「なんでもありませんっ」
「海燕から君のことは聞いている。うちは上席官に流魂街の人間が多いからな、不当な扱いを受けることはない。安心しなさい」
思わず顔を上げて浮竹の顔を見る。目が合うと穏やかな笑みを向けられた。優しい人なのだろうとすぐにわかる。
次いで海燕を見る。海燕はどこか照れたように笑っていた。
「普通はよ、移動なんてさせねえ。てめえの力で切り抜けろって思うよ。でもお前には家族がいるみてえだったし、なにより今にも破裂しそうなほど張りつめてたからな」
放っとけなかったんだ。最後の一言は小さくだったがそれでも一護に届いた。
会って話したのはほんの少しだ。なのに心配してくれて隊まで移動させてくれた。流魂街で血を吐くように生きていたころ、こんなことが想像できただろうか。
「‥‥‥‥ありがとう、ございます‥‥っ」
自分は返したい。
この人達になんでもいい、自分が感じた嬉しさを何倍にもして返してやりたい。
死神になって良かった。
その日、初めてそう思った。