蝶が瞬くとき

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  16. お嫁においで  

「お姉ちゃんのバカーっ!」
「嘘つき」
「‥‥‥‥仕方ないだろ」
 昔見たホームドラマみたいだ。一護は罪悪感に苛まれる。
 今日は本当なら休暇だったが、突然の欠員に新人の一護に助っ人の役が回ってきた。帰宅してそのことを妹二人に告げるとこのありさまだった。
 この押し問答は昨日の夜から続いているが、一護はそれでも着替える手を止めようとしない。
「遊びに連れってってくれるって言ったのに」
「仕事と私達どっちが大事なの」
 それは妻が夫に言う台詞だ。
 四つの目が一護をうらめしそうに見つめてくる。それをできるだけ見ないようにしながらようやく着替えを終えた。
「じゃあ、行ってくるから。戸締まりちゃんとしろよ」
「捨てないでーっ!」
「私達のことは遊びだったんだ」
 思わずこけそうになる。だが一護は後ろ髪が引かれる思いをしながらもなんとか家を出た。帰って中に入れてもらえなかったらどうしようと思いながら。





 現世の任務から戻ってきて一護はごろりと床に寝転んだ。
 虚を目の前にしてあまり集中できなかった。どうしても妹達の泣きそうな顔がちらついてしまうのだ。斬月に叱咤されながらも早く帰りたい一心で、なかば八つ当たりのように虚をぶった切ってきた。
 だが仕事はまだ終わりではない。事務処理が残っている。
「黒崎ー、隊首室に茶持ってってくれ、三つな」
 客人だろうか。事務処理をするよりはましだと一護は素直に従った。
 茶をのせた盆を手に隊首室へと向かう。
「お茶をお持ちしました」
「ああ、入ってくれ」
「失礼します」
 襖を開け、隊首室にいる客を見て一護は驚いた。
「久しぶり〜、一護ちゃん」
 締まりのない顔でひらひらと手を振る人物。見知った人物だが今は仕事中だ、いつものような態度はとれない。
「お久しぶりです、京楽隊長」
「そんな他人行儀な」
 他人だ。だが日頃から世話になっているのでそうは言わないでおいた。初めて会ったときはただの派手なオッサンとしか思わなかったので、八番隊の隊長だと知ったときは驚きとともに疑いの目で見てしまった。実は今でもどこか信じられないでいる。
 一護のつれない態度に京楽は不満そうに口を尖らした。
「顔見知りだというのは本当なんだな」
 おもしろそうに眺めていた浮竹が口を挟む。浮竹の存在に一護は茶のことを思い出し、慌てて二人の前に置いた。
 だが一つ余る。
「君のだよ」
「え?」
「今日は休暇の筈なのに悪かったな。ここで休むといい」
 浮竹の穏やかな声に思わず頷きそうになる。だけどどうして、と一護は目をぱちくりさせた。
「黒崎はうちの隊員なのに京楽のやつがやたらと自慢してきてな」
「この間一緒に紅葉見に行ったんだよねー」
「あ、その節はどうも。妹達も喜んでました」
「なんだ、二人きりで行ったみたいに言っていたのに」
「ばれたか」
「俺とも親交を深めようじゃないか。さあ、くつろいでくれ」
 くつろいでくれと言われても隊長二人にそれは難しい。京楽は別としても一護は自身の所属する隊の隊長とはほとんど話をしたことがなかった。どうしようと緊張する。一護は自分の人見知りに今さらながら嫌気がさした。
「ほらそんなに緊張しないで。お菓子食べるかい」
 緊張して固まる一護に京楽が菓子を差し出した。前に好きだと言っていた久里屋の最中だ。おそらく緊張してしまう一護の為に呼ばれたのだろう、京楽がなにかと話題を振ってくれた。
「一護ちゃんのところは妹が二人いるんだよ」
「うちと同じだな。妹二人に弟が五人いる」
「すごい」
 下に七人もいるのだ。色々と苦労することもあるだろうと、一護と浮竹は長子の悩みについて大いに盛り上がった。
「仕事で約束をやぶるとものすごく責められるんです」
「分かる。嘘つきってな、そう言われるとものすごく胸が痛むんだ」
「今日も、家に帰っても入れてくれないんじゃないかって」
「それは俺もやられたな。鍵をかけられて閉め出された。もう約束は破りませんと一筆書くまで中に入れてもらえなかったぞ」
「‥‥‥‥君たち、一家のお父さんみたいな会話しないでよ」
「家に小さい子供がいないと分かんないよな」
「そうだぞ京楽。子育ての苦労を知らないからそんなことが言えるんだ。いつまでもふらふらしてないで嫁でももらったらどうだ」
「いつのまに僕の話になったの?」
 仕事が溜まっているということで京楽は途中で抜けてしまった。部屋には一護と浮竹だけになってしまったが、すっかり打ち解けた二人は子育てについて熱く語り合う。
「近所の男の子とよく喧嘩してくるんです。俺がこんなだから女らしくしろとも言えなくて」
「それは言わないほうがいいな。俺も昔言ったことがあるんだが反抗するだけだった。女の子は扱いが難しい」
 もう気持ちは父親だ。一護も思い当たる節があるのかうんうんと頷いている。
「それにどこで覚えてくるのか変な言葉覚えてきたり、妙に大人ぶった言動したりするんです」
 朝もそうだった。一体どこから仕入れてくるのか一護は不思議でならない。
「最近は結婚しないのとか」
「俺もだ。だがそういうのは下の兄弟達が独り立ちしてからだと決めているんだがなあ」
 一護もそうだ。夏梨と遊子が立派な大人になるのを見届けてからだと思っている。自分を貰ってくれるような奇特な人物がいればの話だが。
 そもそも恋愛すらしたことがないのに、結婚など考えられる筈がない。
「でも、自分の手から離れていくのも寂しいんです」
 ずっと寄り添って生きてきた。だがいつかは自分の手を離れてそれぞれの暮らしをする日が来るのかもしれない。それは考えるだけでとても寂しいことだった。
 一護が寂しげな笑みを浮かべる。浮竹にはそれは覚えのある感情だった。妹の一人が嫁いだときは一護と同じように寂しさを感じたものだ。
「だが同時に誇らしい。そうは思わないか」
 誇らしい。その言葉にはっとさせられた。
「‥‥‥はい」
 そうだ。きっと誇らしい。今でも十分誇りに思っているが、独り立ちするときにはきっと寂しさとそれ以上の誇らしさでもって送り出せる気がする。それが一体いつになるのか想像もつかないが。
 小さな妹達を思い出す。だがそのあまりの幼さに思わず吹き出した。
「なんか変ですね。妹達まだこんなに小さいのにもう嫁にだすことを考えてるなんて」
「まだまだ先のことだと思っていても、いつの間にか立派に成長しているものだ」
 まさに経験者は語る。その説得力のある言葉に一護もそういうものなのかと納得してしまった。
「その頃には俺も立派な行き遅れになってるのかな」
「俺はもうとっくにそうだぞ。なに、心配しなくてもそのときは俺のところに嫁に来ればいい」
 いきなり嫁。だが一護はすぐに冗談だと気付き笑って返した。冗談ととられてしまった浮竹はぽりぽりと頭を掻いた。
「結構本気なんだがな。なんせ俺達は子育ての達人だ。きっとうまくいくと思うぞ」
 その言い方がおかしくて一護は笑っていいですよ、と返事をした。
 このときの諾という返事を、浮竹がしっかりと胸に刻み付けていたことを一護は知らない。





 浮竹が海燕から初めて一護の話を聞かされたのは、まだ十三番隊に入る前のことだった。
「ほっとけないんです」
 そう真摯な目で海燕は訴えてきた。もともと面倒見のいい男だがこれほどまでに気にかけるのは珍しいと思ったのを覚えている。
 十三番隊に移動した日、海燕の言葉に泣きそうになった顔が印象的だった。だが新人の隊員と隊長である自分との接点は少ない。

「一護ちゃんって可愛いよね」

 それなのに京楽から話を聞いたときはどうしてお前が知っているんだと嫉妬を覚えたものだ。自分はまだろくに話をしていないというのに。
「だが嫁に来てくれるそうだ」
「は? なんでそんな話になるの」
 後日、京楽に礼を言った。二人だけだと緊張してしまうだろうと京楽に同席してもらったことに感謝の言葉を述べたのだが、いつのまにか自慢に変わっていた。
「お前も早く嫁を見つけろよ」
 浮竹に哀れみのこもった目で見られる。本気だ、と思った京楽はひくりと顔が引き攣った。
「そんなの、冗談に決まってるでしょっ!」
 少なくとも一護はそうだ。
 だがどうやら浮竹は本気らしい。嬉しさを称えた表情で、京楽の慌てぶりに大笑いしていた。


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