蝶が瞬くとき
15. 酩酊ソフト
「飲み会?」
「おう。檜佐木さんが奢ってくれるってよ、タダだぜ、タダ!」
「でも俺、酒なんて飲んだこと無い」
「慣れちまえば水と同じだ」
だが一護は悩む。尸魂界に来てから十余年、現世でいえばいい年といえたが心はまだまだ未成年だ。酒なんて飲んでいいものかと躊躇ってしまう。
「ルキアは?」
「現世の任務だってよ。でも雛森が来るぞ、仲いいんだろ」
雛森が来るなら酒を無理矢理飲まされることもないだろう。一護はそれほど遅くならないのならと飲み会を了承した。
居酒屋なんて初めて来た。一護は物珍しさからあたりを見回す。
酔っぱらいばかりだった。帰って妹達に酒臭いと言われたらどうしようと一護は心配になった。
「なにぼーっとしてんだ、飲めっ!」
すぐ近くにも酔っぱらいがいた。一護は駄目な大人を見る目で恋次を眺めた。
隣の雛森は見かけによらず酒豪で、まさしく水のように飲み続けていた。
「てめー俺の酒が飲めねえってのか」
一護の正面の席では修兵がイヅルに無理矢理飲ませていた。その光景は優等生に絡む不良のようだ。
イヅルとは今日初めて会ったのだが、真面目そうな印象を受けた。今までに出会った死神は高確率で柄と性格が悪かったので、一護は一種の感動さえ覚えたものだ。
今までで一番穏やかな出会いかもしれない。一護は酒を口に突っ込まれているイヅルを見てそう思った。
「檜佐木さん、吉良さんの具合が悪そうなんだけど」
「修兵」
「‥‥‥‥修兵さん、吉良さんが死にそうなんだけど」
一護の言葉に修兵はぱっとイヅルを解放した。苦しそうに咳き込むイヅルに、一護は水を差し出してやった。
「あ、ありがとう、」
かわいそうに。檜佐木と恋次に挟まれて今やイヅルはぐったりとしていた。ここには日頃の疲れを癒しにきた筈なのに、余計に疲れているように思えてならない。
「何だよお前、全然飲んでねえじゃねえか」
「だって、あんまり美味く感じない」
「ガキだな」
「酔って迷惑かける奴を大人だとは思いたくない」
一斉に恋次を見る。酔ってイヅルに絡む恋次の脇腹を一護が斬魄刀の鞘でどついて引き剥がしてやった。
「吉良さん、こっちに来たほうがいい」
ちょいちょいと手招いてイヅルを隣に座らせた。その様子に檜佐木が不満そうに一護を睨んだ。
一護が初対面の人間に対してこうまで優しく接するのは初めて見るからだ。
「なんかムカつく」
「なにが」
「その態度の差はなんだ。お前人見知り激しいくせに」
「人見知りって言うな。吉良さんはあんたと違って真面目そうだからいいんだよ」
子供のように言われて一護は恥ずかしくなる。たしかに自分は初対面の人間とはそれほど話そうとはしない。だがイヅルの無害そうな雰囲気と、恋次や修兵、雛森が傍にいることから安心していたのだ。口には決して出しはしないが。
「それにいつまでも、このままじゃ駄目だって俺なりに考えてるんだ」
誤摩化すように酒をぐいっと飲んだ。
不味い。気持ち悪い。ついでに頭もぐらぐらした。
「一気に飲まないほうがいいよ」
今度はイヅルに水を渡される。それを飲んでいると修兵が一護に手を伸ばしてきたので咄嗟に避けた。
「このままじゃ駄目なんだろ。だから頭撫でさせろ」
「やだね。なにムキになってんだよ」
修兵はいまだに一護の頭を撫でるのを諦めていない。最近では正攻法では駄目だと気付き、背後から撫でようと気配を消して近づいてくる始末だ。
一護の態度に修兵はふてくされたように酒をぐいぐいと飲みはじめた。恋次は相変わらず酔っぱらっているが雛森の目もとろんとしてきている。
今日は早く帰れるだろうか。一護は不安になってきた。
額に置かれたひやりとした感触にイヅルは目を覚ました。どうやらいつの間にか眠っていたらしい。上半身を起こして辺りを見回した。
「まだ横になってたほうがいいぞ」
後ろを振り向くと一護が恋次の額に冷やしたおしぼりを置いていた。横には雛森、修兵が転がっている。額には同じようにおしぼりが置かれていた。
「覚えてるか。あれからまた修兵さんに無理矢理飲まされたんだ」
思い出した。一気に気分が悪くなる。
一護の言う通り、イヅルは横になって大きく息を吐いた。が、自分の吐息のあまりの酒臭さに更に気分が悪くなった。
「ごめん」
「いいよ。こうなることは薄々分かってた」
この中では一番の後輩になる一護に世話を焼かせてしまうとは、イヅルは申し訳なさでいっぱいになった。それに今気付いたが頭にはきっちりと座布団が敷かれている。
恋次や修兵から一護の話は聞いていたのだが、ぶっきらぼうだとか目つきが悪いとか言いたい放題だったのを思い出す。会ってすぐはまさにそのままだとは思ったが、今では印象がまるで違っていた。
「やさしいね」
「そうか?こうせざるを得ないってだけな気がするけど」
「情けない先輩でごめん」
「吉良さんは無理矢理飲まされてただろ、気にしなくていい。疲れてんだからもうちょっと寝てていいぜ」
起き上がりかけた体を後ろに倒される。横目であたりを見渡せば同じように酔っぱらって寝転んでいる客が大勢いた。
たしかに疲れていた。本当は家に帰って休みたかったのに、帰る途中で恋次達に捕獲され、強制連行されてしまったのだ。
「いや、起きてるよ」
話がしたかった。同期の友人達がしきりに話す黒崎一護が知りたい。
一護がイヅルの近くに寄って正座した。その姿を見て、姿勢がいいな、とぼんやり思った。
「人見知りが激しいって本当なの?」
そうは思わなかったけれど、初対面の人間には誰だって緊張する。その質問に一護は気まずそうに視線をそらした。そんな仕草がまだ幼さを感じさせた。
「すこしは、ましになったと思うんだけど」
一護の話によると、初対面の人間とはまずまともに会話をしないそうだ。イヅルと会ったときはわずかに緊張していたものの、普通に話してくれていたように思う。
「俺、馬鹿なんだ」
意外な言葉にイヅルがどうしてと目で尋ねた。
一護は困ったような微妙な表情をして、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「全然知らない人間に会うとさ、何かされるんじゃないかって思っちまうんだ。そんなこと、ないのにな」
話しながら一護がイヅルの額のおしぼりを裏返してくれた。ひやりとした冷気が気持ちよかった。
「警戒心が強すぎるって自分でも分かってる。そのせいで誰も近寄らせなかったけど、そんなこと気にせずに構ってくれる人がここにはいっぱいいた」
後ろにいる三人を一護は優しい眼差しで見やった。その視線には大切な人間を見るまぎれもない温かさが込められていた。
「でも最初は不安だったんだ」
「不安?」
「俺どうなってしまうんだろうって」
そう言った一護は今もどこか不安そうだった。
そうして一護は目を瞑る。頬が少し赤く、慣れない酒で少し酔っているのかもしれない。
「こんなの俺じゃない、隙なんてつくるなって言い聞かせてた」
イヅルは黙って話を聞いていた。一護の不安や隠された孤独が酒の回った思考を少しずつ晴らしていっていた。
「でもそんなの無駄だった」
うっすらと開かれた一護の目。うるんで、それが綺麗だと思った。
「きっと、」
だがそこで一護がふう、と息をついて話をやめてしまった。
「ごめん、なんか酔ってる。こんな話してもしょうがないよな」
「そんなことないよ。僕は、聞きたい」
イヅルのはっきりとした物言いに一護が意外そうな顔をした。あまり踏み込んでくるような性格だとは思わなかったからだ。イヅルも自分自身の台詞に、少々驚きを感じていた。
「でも吉良さん疲れてるだろ。休めるときに休んだほうがいい」
「僕とは話したくない?」
「その言い方、吉良さんって結構ずるいんだな。」
「うん。僕はずるい男なんだ。だから逃げようったって駄目だよ」
その言い方に一護がくすりと笑った。
笑った顔を初めて見る。それに見とれて、顔に熱が集中するのが自分でも分かった。
「うわ、大丈夫か」
具合が悪くなったと勘違いした一護が額のおしぼりを冷やしに水場へと行ってしまった。
残されたイヅルは両手を頬に当てると座布団に顔を埋める。やがて座布団を握りしめるとぶつぶつと呟きはじめた。
「な、何を考えてるんだ僕は、黒崎君は男なのに、それを、か、か、」
「可愛いかったなあ」
「そう、可愛いなんてっ、てあああああっ!檜佐木さん!?」
「おう」
振り返るとそこには右手を顎に乗せてくつろいでいる修兵がいた。
「今の笑顔は良かった。まあでも初めて俺の名前を呼んだときの笑顔のほうが数倍可愛かったけどな」
そのときのことでも思い出しているのか檜佐木がにやにやと笑う。それにムカつくものを感じながらもイヅルは黙っていた。
「きっと、の続きはなんなんだろうな。吉良、てめえもっとうまく聞けよ」
八つ当たりのように檜佐木がイヅルの脇腹をつつく。その痛みに耐えながらも、イヅルは恨みがましく聞いてみた。
「いつから起きてたんですか」
「始めっから」
最低だ。思わずイヅルが軽蔑の眼差しを送った。
「だってよー、一護が甲斐甲斐しく世話してくれんだぜ?いつもは少しも触らせてくれねえのに。この機会を逃す手はねえよ」
「さ、触らせて、って、」
イヅルは初めて修兵の69がいやらしく見えた。というか修兵自体がいやらしく見えて仕方が無い。飄々とした態度の修兵に、悪びれる様子は微塵も伺えなかった。
やがて修兵がにやりと笑うと、またごろりと寝転んだ。
「吉良さん、大丈夫か」
一護が戻ってきた。冷やしたおしぼりをイヅルの額にのせる。
だがイヅルはまともに一護の顔が見れないでいた。
「具合が悪いならそう言ってくれよ。まあ、俺も人のこと言えたもんじゃないけど」
一護の声から本気で自分を心配してくれているのが分かる。そしてその気遣いが胸を苛んだ。不埒な思いを抱いてしまった自分をイヅルは内心で激しく罵った。
「ごめんね。それと、ありがとう」
一護が首を振る。
本当にいい子だ。それなのに修兵ときたら。
「黒崎君、ちょっと耳を貸して」
ぼそぼそとイヅルがなにやら吹き込んだ。それを聞いた瞬間。
「てめえっ!!」
「ぐおっ!」
一護の肘が修兵の鳩尾にきまった。
「じゃあ桃さんは俺の家に泊めるから」
一護が雛森を背負って、潰れてしまった恋次をイヅルと修兵が両脇から支えていた。
「俺も泊まりたい」
「吉良さん具合はもういいのか」
無視された。寝た振りをして盗み聞きをしていたのが一護にとっては許せないらしい。
「いいけど、あの、雛森君を泊めるの?」
一護がぱちぱちと瞬きをした。そしてああ、と納得したような顔をする。
「俺、女だよ」
「えっ!」
「なんだよ吉良、気付いてなかったのか」
ぶんぶんとイヅルは首を横に振った。だがそういうことなら自分が一護に対して可愛いと思ったのは正常だといえる。良かった、そんな趣味が無くて、とりあえずほっとした。
「吉良さん、耳貸して」
イヅルが訝しんでいると一護がなにやら言ってぱっと離れた。
「じゃあな」
イヅルがぽかんとその場に立ち尽くす。一護の言葉に、はっと目を見開いて、そのまま固まってしまった。
「なんて言われたんだ」
修兵がうらめしそうに睨んでくる。内緒話なんて親密な行為をしてもらったことがないので、嫉妬まじりの視線でイヅルを睨んでいた。だがいつもなら怯むイヅルも、今はそれに気分が良くなりにやりと笑って見返した。
「きっと、の続きです」
「なにっ、教えろ!」
「帰りましょうか」
絶対に教えてやらない。
イヅルは修兵一人に恋次をまかせると、軽い足取りで先にすたすたと歩き出してしまった。
「きっと、出会った瞬間から手遅れだったんだ」
一護の言葉を心の中で繰り返す。
自分との出会いも手遅れであるといいと、そう願いながら。