蝶が瞬くとき
04. 気安く触れるな
救援要請だった。
尸魂界への門に足を一歩踏み入れたとき、伝令神機がけたたましい音を立てた。
「‥‥‥‥‥」
これがただの電話だったなら一護は無視していただろう。けれど他の死神の命が懸かっているのだ。無視できる筈がなく、今日は早く帰れると思っていた一護は溜息を押し殺すとすぐさま踵を返した。
「はあっ、はあっ、はあっ、」
汗が顎の先から滴り落ちる。
救援に辿り着いたのは一護ひとりだった。見たこともないほどのおびただしい虚の群れに、もう何体斬ったのか一護自身分からない。
肝心の死神が見つからなかったが、今すぐ動くことはできなかった。
斬魄刀を杖に一護は息を整える。体は疲れきっていたが、頭の中では随分と虚を斬ったから、追加給金が加算されているのではないかとしたたかに考えていた。
ざり。
土の鳴る音に、考えるよりも早く体が動いていた。
「うおっアブね!」
後ろに気配を感じて斬魄刀を振った。
だがその切っ先にいたのは虚ではない。一護と同じ死神だった。
「巨大虚が相当数いるって連絡受けたんだけどな、全部お前がやったのか」
顔に69なんて刺青を入れた柄の悪そうな死神だった。
気が高ぶっていて霊圧を読み間違えてしまった。一護はすまなさそうに斬魄刀を下ろす。
「救援を呼んだ死神を見つけたよ。大丈夫、まだ生きてる」
もう一人死神が姿を現した。その死覇装には白い羽織。
「あっ」
慌てて一護は頭を下げた。
何番隊の隊長だろう。この柄の悪そうな死神は副隊長に違いない。
「かまわないよ、頭を上げて。君は怪我しなかったかい?」
その隊長は優しい口調で一護に話しかけた。一護はおずおずと頭を上げる。
すると目の前にいた柄の悪そうな副隊長がはっとした顔をして一護に手を伸ばしてきた。突然のことに一護は後じさり、警戒するような視線を向けた。
「逃げんな、頬に怪我してるぞ」
言われて頬に手をあてると確かに血が出ている。だがたいした怪我ではないので手で拭っておくだけにした。
「‥‥‥どうも」
「修兵、治してあげなさい」
羽織に九と書かれた隊長が優しく言う。修兵と呼ばれた副隊長がひとつ頷いて再び一護に手を伸ばしてきた。
だがその手が頬へと触れる前に、一護はまたもや後退して避ける。
「いえ、たいした怪我じゃないんで」
一護はそれを辞退した。本当にたいした怪我ではないのだ。
だが九番隊長は首を振った。
「遠慮しないで。それに顔に傷が残ったらどうするんだい、女の子なのに」
その言葉に修兵だけでなく一護も驚いて目を見開いた。
修兵はもっと驚いて隊長と一護の顔を交互に見やって、唖然としたように指を差してきた。
「女、か?」
一護は、嫌々頷いた。
緊急の連絡を受けて現場へ行くとオレンジ色の髪の死神が戦っていた。
変わった斬魄刀だと思った。柄も鍔も無い。身の丈ほどの大きさがある斬魄刀をオレンジ色の死神は重さなど感じさせずに軽々と振るっていた。
強いな。
素直にそう感嘆した。手を貸すまでもなかった。最後の巨大虚が斬り伏せられる。
話しかけようと修兵は近くまで行った。
「うおっ、アブね!」
振り向きざま斬魄刀を向けられた。まるで敵を見るかのように睨みつけてくるぎらぎらとした茶色の目に修兵の背筋がぞくりした。
派手な奴だと思った。外見も、その雰囲気も。だが嫌いではない、なぜか一目で気に入った。
男相手に気に入ったなんて変かもしれないが、自分には断じてそんな趣味は無いと修兵は後になって否定した。
そして東仙の一言に驚愕した。
「女、か?」
こくりと頷く。まじでか、と声にならない声が出た。
たしかに女だと言われるとそう見えてくるから不思議だ。男には無い繊細さがある、気がした。
「んじゃ、治すぞ」
顔に手を伸ばすとオレンジ色の死神は眉を寄せた。かまわず傷口に手を当てて鬼道で癒す。
そうしている間も眉は寄せっぱなしだった。傷が痛いのではなく触られるのが苦痛だという感じに、せっかく治してやっているのにと修兵は内心でむかむかする。
「悪いな、すこし我慢しろよ」
これが男だったら治すどころか引っ叩いてる。だが女にそんなことができる筈もなく、苛々を抑えて優しく言うと、すこしだが眉の皺をゆるめていった。
そしてもういいだろうと手を離す。
オレンジ色の死神は傷を確認すると修兵に頭を下げた。
「ありがとうございます」
ちゃんと礼が言えることに感心した。
自分の若い頃と同じで、人に頭を下げるのが嫌いなタイプかと思っていたからだ。
「お前やるなあ、一人で倒しちまうなんてよ」
「はあ、どうも」
気軽に話しかけたがぶっきらぼうに返されてしまった。ほんとに女かと改めて疑ってしまう。
どうやら東仙のほうもある程度の治療が終わったらしい。修兵は負傷した死神をすかさず支えてやった。
「俺が担ぎます」
負傷した死神を担いでようやく尸魂界に帰ることとなった。
「よ、一護」
「海燕さんっ」
海燕の登場に、オレンジ色の死神の所属と名前が割れた。
一護と呼ばれた死神のオレンジ色の頭を海燕が撫でる。それを見て修兵に本日二度目の驚愕が襲った。
おまえ、なんだよその顔!
海燕に頭を撫でられて安心しきった顔をしていた。自分が触ったらすっげえ嫌そうな顔したくせにと、修兵はぎりりと無意識に奥歯を噛み締めていた。
「修兵、拗ねない」
「なっ!」
拗ねてない、断じて俺は拗ねていないぞ。
それなのに東仙は笑っている。
「東仙隊長達とご一緒だったんですか」
海燕は一護の頭に手を乗せたままそう尋ねてきた。
修兵の視線は自然とその手にいく。そうするのが自分だったら、と考えずにはいられない。
「助太刀するまでもなかったよ。あっという間にその子が倒してしまってね」
「お、やるなあ、一人で倒しちまったのか」
「いや、その、海燕さんが稽古つけてくれたお陰です」
笑ってるし!
なんなんだてめーその照れくさそうな笑いはよ! 俺が同じようなこと言ってもどうもだけだったくせに。
「修兵」
「拗ねてません」
拗ねてはいませんよ。ただちょっとムカつくだけです。
東仙は自分の心の声が聴こえているのかと疑ってしまう。感覚の鋭い人だからそういうのもあり得るのかと修兵は思ったが、この時の自分は相当目つきがやばかったらしい。
すると睨まれていると感じた一護が不機嫌そうに睨み返してきた。
「それじゃあ俺達はこれで失礼します」
海燕がそう言って一護を伴って帰ろうとした。修兵は思わず一護に向かって声を放つ。
「一護!」
一護が振り返る。
少し緊張して、そして修兵は言った。
「今度俺が稽古つけてやる」
返事は、
「‥‥‥‥いらない、です」
ついに東仙が声を上げて笑い出した。
修兵はというとショックなのかなんなのかしばらく動けなかった。
そして一護と海燕の二人の姿が見えなくなったところでやっと我に帰った。訳の分からない敗北感がこみ上げてくる。
「あの、ガキ‥‥‥!」
これはもう意地だ。
絶対俺に懐かせてやる。
覚悟しとけよ、一護。