蝶が瞬くとき

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  07. 支配者  

 その日は十三番隊のほとんどの隊員が現世の任務に出払っていて、隊舎には一護を含めて数人の死神しかいなかった。
 その一護は事務処理に追われて朝からずっと筆を握っていた。
「これで、終わりっと」
 ぱらりと処理の済んだ書類を脇に重ねる。ようやく一段落した一護は固まった体をうんと延ばしその動作のまま後ろに寝転んだ。
 普段は人の声で賑やかな隊舎も今は木々のさわさわという音しかしない。
 静寂が辺りを包み込んでいた。
 ひとつ、息をつく。流魂街ではただただ生き残るためだけに日々を消化していた。そのころと比べるとなんと穏やかなことだろう。
 あの頃の自分を一護はあまり好きではない。生き残るためとはいえ随分ひどいことをしてきた。妹達も最初はあまりにも変わってしまった姉に戸惑っていたものだ。
 それでも妹達は一護の手を離さなかった。刺々しく周りを威圧して寄せ付けなかった一護も徐々に昔の一護に戻っていった。
 すべて、すべて妹達や斬月のお陰だ。そしてこうして十三番隊にいられるのも海燕や多くの人間のお陰なのだ。
 その人達の役に立てるのなら流魂街で培った経験もあながち無駄ではないと思えてくる。
「猫のようだね」
 突然の声に一護は固まった。
 斬月も一護のまどろむような時間を邪魔しないように息をひそめていたのか気配を察知するのが遅れてしまったらしい。一護は慌てて起き上がった。
 その狼狽えた動作に声の主からクスクスと笑う気配を感じる。
 一護がおそるおそる来訪者に視線を向けると、そこには白い羽織を纏った男がいた。
「!、お見苦しいところを、お見せしました」
 一護は一気に青ざめた。最悪だ。なんでよりによってこんなところを見られるんだと内心頭を抱えた。
 そんな一護をよそに白い羽織の来訪者は気分を害した様子は一切無く一護に声をかけてきた。
「浮竹はいるかな」
「え、はい、いえ、浮竹隊長は、今四番隊のほうに行ってます」
 どこの隊長だろう。一護はまだすべての隊長を知らない。入隊式のときに十三隊すべての隊長、副隊長が一同にそろっていたが一護はまったく覚えていなかった。
 生きていた頃から朝礼や集会が苦手だった名残か、入隊式でもまったく集中できず瞼が落ちるたびに隣の冬獅郎に小突かれていた。
 目の前の隊長が振り返ってくれれば何番隊か分かるのだが。
「では帰ってくるまで待たせてもらってもいいかな」
「あ、はい。ではこちらにどうぞ。すぐにお茶をお持ちします」
 隊長を案内すると一護はお茶を入れるため別室へ行った。
 その一護の後ろ姿を眺めてその隊長はまたうっすらと笑みを浮かべたが、一護がそれを見ることはなかった。




「失礼します」
 一護が茶を携えて再びその隊長のいる部屋を訪ねると、茶色い髪の隊長は庭を眺めているところだった。羽織からわずかに五の文字が見える。
「浮竹隊長はあと半刻ほどで戻るそうです」
「そう、ではそれまで君が話し相手になってくれないか」
「えっ」
 しまった。思わず嫌そうな声を出してしまった。
 茶を入れる際に他の隊員に隊長格の来訪を伝えたのだが皆逃げた。万が一不興を買うようなことになるのを恐れた為だ。
 黒崎なら新人だからちょっとくらい失礼をしても大丈夫、これも試練だと思って頑張ってくれ。そう爽やかに言ってくれた先輩の死神を一護はしばらく忘れないだろう。
 一護の声に五番隊長はすこし困ったような顔をする。
「嫌かな」
「‥‥‥いえ。俺で良ければお相手を務めさせて頂きます」
 逃げた奴ら覚えてろ。一護は復讐を誓った。
 とりあえず半刻だ。半刻我慢すればいい頑張れ俺。
「ありがとう。ちなみに僕の名は藍染だよ」
 五番隊長は穏やかな笑みを一護に向けた。
 知らないことがばれていたのか、一護がそんな顔をすると藍染はやさしく笑いかけた。
「背中に視線を感じたからね。君は新人だろう。知らなくて当然だ」
「‥‥‥すいません」
 いきなり失礼をはたらいてしまった。一護は気まずい思いをしながらも藍染に茶を差し出す。
「ところで君の名前はなんというのかな」
「黒崎一護です」
「黒崎君か。雛森君と仲がいいね。時々一緒にいるところを見かけるんだ」
 そういえば雛森は五番隊だったと一護は思い出す。素敵な上司だと何度も言う雛森は、この男が好きなのだろうかと一護は思った。
「はい。仲良くさせてもらってます」
 隊長はとても尊敬できる立派な方だとよく聞かされていた。
(でもなんかこの人って、)
『油断するなよ。食えん男だ』
(分かってる。気の許せない人だ)
 斬月の忠告に内心で頷いた。この藍染という五番隊長に一護の警戒心がうずく。
 一護は初対面の人間にはたいてい警戒するがそれとはまた違う。この藍染に対してはたとえどれほど言葉を交わしても決して気を抜いてはいけない何かを感じるのだ。
 このての勘は信用していい。流魂街にいた頃からそうだった。
「そう畏まらなくていいよ。楽にして」
 この笑みに騙されてはいけない。心とは裏腹に一護ははい、と承知した。




 藍染はわずかにだが目を見張った。
 この黒崎一護はどうやら自分を警戒しているようだ。表面上はそうとは感じさせずに会話をしているが気を許していないのが分かる。
 たいていの人間は自分に対して警戒心を抱くことは無い。そうなるように振る舞っているからだ。
 己の本性を知るのは同じ隊長格の死神くらいで、五番隊にいる部下ですら知らないだろう。それを新人の死神に見破られるとは。
 藍染はまるでおもしろい玩具を見つけたように微笑んだ。その笑みを見て一護がわずかに目を細める。
 ますます警戒しているな。藍染は内心ほくそ笑んだ。
「黒崎君はもう仕事には慣れたかい?」
「‥‥‥はい」
 気を抜かないよう、一護は慎重に言葉を選んで返事をした。
「でも事務作業よりは現世の任務のほうが得意そうだね」
「そ、それは、まあそうですけど」
 先ほど寝転んでいたことを揶揄されたのだ。一護がうろたえる。
「もうすこしこちらに来て話さないかい」
 藍染の誘いに一護の警戒が一層深くなる。手招きする藍染の手が、どこか深淵へと誘う魔の手のように感じられてならなかった。
 一方の藍染は楽しくてたまらない。一護の強ばった表情に、もっと虐めてやりたくなる。
「ほら、ここからだと庭がとても綺麗に見えるんだ」
 やさしく言葉を紡いだ。だが一護にとっては余計に不気味でならないのだろう。なかなかこちらに来ようとしない。
 だが藍染は隊は違うとはいえ隊長だ。新人の死神である一護が否と言える筈が無い。しぶしぶというふうに一護が藍染の傍までよった。
「雨乾堂はいいね。五番隊よりもこちらのほうが僕は好きなんだ」
「俺は他の隊のことはよく知りませんけど、ここは好きです」
 声が固い。
 さて、どうしてやろうかと藍染の思考がゆったりと回転した。
「そんなに緊張しないで。取って食いはしないよ」
 そう言って一護の肩に手を置く。するとビクリと大げさなほどに一護の体が揺れた。
 なるほど、触れられるのが苦手らしい。一護は必至に嫌悪感を隠そうとしているがそれを見て藍染はますます笑みを深くした。
「警戒しているね」
 今までとは明らかに違う、そんな声音だった。驚いて一護は藍染を見た。
 眼鏡の奥にある温和そうな目が今は不敵に輝いている。恐怖心を呼び起こすそれに、本能が逃げろと言ったのか、一護は咄嗟に身を引いた。だがその腕を藍染が掴んで逆に引き寄せた。
「どうして分かったんだい? 付き合いの長い人間ならともかく君のように初対面で見破った人間は今までにはいないよ」
「なんの、ことですか」
 この期に及んで一護は分からないというふうを装った。
 だが藍染は逃がさない。
「僕は怒ってなんかいないよ。むしろとても嬉しいんだ。こんなに気分が良いのは何百年ぶりだろうか」
「は、なせ、」
「いいや離さない。せっかくこんな面白いものを見つけたんだ。逃がしはしないよ」
「俺は、ものじゃ、ないっ」
 一護は敬語を忘れて叫んだ。手を振りほどこうとするが藍染は穏やかな外見に反して一護の腕をもの凄い力で掴んで離さない。
「細い腕だね、女の子のようだ」
 一護がわずかだが息を呑む。それに藍染が目ざとく気付くと一護の顔を覗き込んだ。
「‥‥‥驚いた。君は女の子なのか」
 一護は声も出ない。
 得体の知れない不安と恐怖がじわじわと胸を浸食していく。
「君は本当に僕を飽きさせないね。ますます気に入ったよ。そうだ、五番隊に来ないかい?」
「っ、誰がっ!」
 行くか、と一護は今日初めて藍染を睨みつけた。
 だがその一護のするどい眼差しでさえも藍染をさらに引きつける。一護の視線を藍染は心地良さそうに受けとめた。
「もう決めたよ。言ったろう、逃がしはしないと」
 本当は一目見たときから気になっていた。猫のように身をくつろがせて天井を見上げる一護は儚かった。だが今目の前にいる一護はどうだ。あの儚さが嘘のようにこちらを睨みつけてくる。
 面白い。手に入れたい。
 藍染がさらに一護を引き寄せようとしたそのとき、知った霊圧が近づいてきた。思わず眉を寄せる。
「もう半刻経ったか。もう少しこうしていたいけれど、仕方が無いね」
 そこでようやく藍染が一護の腕を離してやった。痛々しい赤い痕がついている。
 それを撫でようと藍染が手を伸ばすがその手は空を切った。
「俺は、五番隊には行かない。あんたのものにもならない」
 一護のはっきりとした物言いに藍染は満足そうに微笑んだ。
「いいよ、今はね。逃がしてあげよう」
 そう簡単に手に入ってしまっては面白くない。それに抵抗する様も見てみたかった。
 気に入った人間の抗う様は、必死に逃れようとする様は、どれも藍染を楽しませてくれた。一護もそうやって、自分を楽しませてくれなくては。
「でも必ず手に入れる。それまではせいぜい足掻くといい」
 蕩けるような笑みでそう言った。だがそんな笑みとは裏腹にぞっとするような目だった。一護は思わず掴まれていた腕を握るが、負けじと藍染を睨み続けていた。





「わりーな一護。お前一人に相手させちまってよ」
 ようやく解放されて一護は緊張を解いた。海燕に話しかけられてやっと体から力が抜ける。
「なんか、すっげー疲れました。」
 死神にも色々いるがあのような男に会うのは初めてだった。
 まるで、存在を支配しようとするような人間には。
 今思いだしても冷や汗が出る。
「おい、顔色わりいぞ」
 一護の様子に海燕が心配する。だがそれにすぐさま首を振って一護は無理に笑ってみせた。
「大丈夫です。あの、海燕さん」
「なんだ」
「俺、‥‥‥‥やっぱり何でも無いです」
 海燕はまたか、と息をはく。一護の悪い癖だ。自分一人ですべて解決しようとする。
「何でも無いって顔か! 言えよ、お前はもっと他人に頼ってもいいんだぞ」
 そうして一護の頭をやさしく撫でた。
 海燕の手は一護を安心させる。あの男に腕を掴まれたときは言いようの無い恐怖しか感じなかったが、この人の手はただただ心地良さしかもたらさない。
「‥‥‥俺、俺を、他の隊にはやらないでください」
 言ってから俯いた。頭を撫でる海燕の手が止まる。
 だが次の瞬間にはぐしゃぐしゃに頭を撫で回された。
「何回言やあ分かるんだ。お前は十三番隊の隊員だ。どこにもやらねえよっ!」
 それで、その言葉で十分だった。一護にあれほどまとわりついていた不安が一気に消し飛ぶ。
 どうしてこの人は、こんなにも。
「‥‥‥‥はい」

 俺を嬉しくさせるのだろう。


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