蝶が瞬くとき

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  08. 心に知らぬ想いがあった  

 前方に馴染みの顔を見つける。会うのは久しぶりだ。話したいことがいっぱいあって、一護は自然に声を掛けた。
「冬獅郎!」
 嬉しさに駆け寄った。
「なんか、会うの久しぶりだな。元気だったか」
「ああ」
 冬獅郎はそっけなく返事を返す。だが言葉が少ないのはいつものことなので一護はかまわず話を続けた。
「俺が十三番隊に行ってからは会ってなかったよな」
「そうだな」
 ここでようやく一護も冬獅郎の様子がおかしいことに気が付いた。冬獅郎は言葉は少ないが話をするときは必ず目を合わせてくれていた。だが今日は会ってから一度も目が合っていない。
「なんかあったのか。変だぞお前」
「別に、関係ないだろ」
 なんだ。自分は冬獅郎に対してなにかしたのか。一護は記憶をめぐらすが思い当たる節は無い。
 それもそうだ。十三番隊に移動を命じられたときから一度も会っていなかったのだから。最後に言葉を交わしたときも冬獅郎の気に障るようなことは何も無かった筈だ。
 それとも、
「俺、お前に何かしたか?」
 知らないうちに何かしてしまったのかもしれない。それで冬獅郎は怒っているのだ。
 だが冬獅郎は何も答えてはくれなかった。
「任務があるから」
 冷たいともとれる声でそう言って、去って行ってしまった。
 一護はただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。





 一護が十三番隊に移動になった翌日、冬獅郎は一護に会いに行った。
 十番隊では同僚に恵まれなかった一護が心配だったのだ。十三番隊でも何もなければ良いのだが。
 いた。オレンジの髪が見える。
「いち、」
 だが名前を呼ぶことはできなかった。
 隣にいる男が一護の頭を撫でている光景に、冬獅郎の喉は凍ってしまったからだ。
 頭を撫でられて一護は照れくさそうだが嫌がってはいない。その光景に冬獅郎の眉が自然と寄る。腹の底から沸き上がるえも言われぬ黒い感情に、体中が支配されていった。
 一護に会いに来たのに、冬獅郎は結局一言も声をかけずに踵を返した。
 ひどく、腹が立ったのだ。
 一護に触れた男に。
 それを許した一護に。
 自分はああもたやすく一護に触れることなどできない。一護が触れられることに苦痛を感じることを知っているからだ。女ならともかく男は特にそうだった。
 霊術院では最も仲の良かった冬獅郎でさえ憚れる行為を、昨日移動したばかりの隊の男が簡単にしている。
 なぜ嫌がらない。
 そんな男の手など振り払ってしまえ。
 理不尽な怒りだということは分かっている。だが自分はひどく一護に裏切られた気がしたのだ。
 その日から一護の姿はたびたび見かけたが冬獅郎は声をかけることはしなかった。会えば一護にひどい言葉を投げつけてしまいそうだった。
 そして今日一護のほうから声をかけてきてくれたのに、自分はそれを拒絶した。分かっていたことだが、心が辛いと、遅い感情が押し寄せてくる。
『俺、お前に何かしたか?』
 ああ、したよ。あの男に、たやすく触れさせたっ!。
 そう罵ってしまいそうなところを必死に抑えた。
 去り際に見えた一護の呆然とした顔。思い出すだけで胸の中心が疼いてくる。
 気分が悪い。自分に、吐き気がした。
「日番谷君」
「‥‥‥‥無視? じゃあシロちゃん」
「‥‥‥‥やっぱり日番谷君。‥‥‥やっぱりシロちゃ」
「なんか用か」
 自分の幼馴染みは少しもシリアスな雰囲気には浸らせてくれないらしい。いつの間にか隣に並んでいた幼馴染を仕方なく相手にしてやることにした。
「一護くんと何かあったの?」
 雛森は自分の知らぬ間に一護と仲良くなったようだ。どうしてもっと早く紹介してくれなかったのかと怒られた。自分自身いまは一護と話しづらいのに、他人に紹介できる筈がない。
「何もねえよ」
「嘘。一護くん哀しそうな顔してたもの。声かけようとしたけどあっという間にいなくなっちゃって。‥‥‥喧嘩したの?」
 何も言えない。自分が勝手に怒っているだけなのだから。
 一護は悪くない。だが納得することもできなかった。
 そんな冬獅郎を見て雛森がため息をつく。
「一護くん取られても知らないから」
「はあ?」
 意外な言葉に冬獅郎が反応する。雛森がそんな幼馴染を見てにやりと笑った。
「この間、同期の阿散井君と一緒に修練場にいたよ。九番隊の檜佐木副隊長と仲良さそうに話してるのも見たなー」
 そしてまた意味ありげに笑う。
「いいの?」
「何がだよ。俺は、別に一護をそんなふうに見てるわけじゃない」
 だったら何をそんなに怒っている。頭の奥でそんな声がした。
 どこまでもしらを切る冬獅郎に雛森は呆れ返った。生意気で素直じゃなくて、そうやって本音を隠してもばればれなのに。
「もう知らないっ。後で後悔しても遅いんだからね。失恋して泣いても胸なんて貸してあげないんだから!」
 そう捨て台詞を残して雛森は行ってしまった。
「誰が泣くか」
 何も知らないのに勝手なこと言いやがって。馬鹿桃。
 そしてまた一護の顔が思い浮かんで胸が疼いた。
「‥‥‥馬鹿は俺か」





「寂しかったのではないか?」
「寂しい? ああ確かにずっと会ってなかったけど」
 それで怒っていたのだろうか。突然十三番隊に移動することになって、冬獅郎は随分と心配していた。
 忙しかったこともあるが十三番隊での生活が楽しくて冬獅郎のことを蔑ろにしていたのかもしれない。会おうと思えば会えた筈だ。
「それだけでは無いと思うがな。恋次のときと同じ感じがする」
「何でそこで恋次が出てくるんだよ」
 ルキアが呆れたようにため息をついた。
「おぬしは他人の心の機微には鋭いというのに。その冬獅郎という男は」
「一護っ!」
「そう、一護に‥‥‥うん?」
 声のした方向を見ると銀髪の死神がいた。ルキアと視線が合う。ルキアがそれで承知したというように一護の肩をたたくと二人きりにする為離れていった。
 だが二人とも何を話していいのか分からずしばらく無言が続いた。居たたまれない空気が辺りを包み込み、何か言わなくてはと思うのに、今の冬獅郎は何を言っても傷つかせる言葉しか言えない気がして口ごもった。
 そして、ようやく冬獅郎が意を決したように口を開いた。
「俺は、お前に腹を立てていたんだ」
 やっぱり。一護の顔が歪む。
 その傷ついた表情に萎えてしまいそうな勇気を振り絞り、冬獅郎は言葉を続けた。
「でもお前は何も悪くない。俺が勝手に、嫉妬していただけで」
 嫉妬。以前に恋次がそう言っていた。
 でも誰に、と一護はまだ分からないでいた
「お前に簡単に触れられる奴に嫉妬していた。でもそんなことよりも、それを許すお前に、俺は」
 そうだ。
 どうして俺ではいけないんだ。
 何が、劣っている?
 だがこんなことは言ってはいけない。一護を困らせるだけだ。
 冬獅郎はそれ以上は何も言わずに押し黙った。何を言えばいいのか分からない。また胸の中心が疼いてきて冬獅郎は思わず掻きむしりたくなったがそれは叶わなかった。
 手を、握られていた。いや握られているというよりも指先に軽く触れているくらいのものだったが。
 驚いて一護を見る。一護のほうから触れてくるのは稀だったからだ。
「ごめん」
 ただそれだけを言って一護は黙ってしまった。そして触れた指を戯れのように軽く振るった。
 俺は何をしてるんだ。一護に謝らせてどうする。今度は冬獅郎が一護の指を握った。
「‥‥‥謝るのは俺のほうだ。‥‥‥ごめんな、一護」
 一護がゆるく首を振るう。それから一護は十三番隊に移ってからの話をしてくれた。
 あの人は、海燕さんっていうんだ。そんな言葉から始まって。


 ガキじゃない、初めて一護と出会ったときにそう言った。だけどそれは間違いだ。
 俺は、こんなにもガキだった。


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