蝶が瞬くとき

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  09. さすれば笑みと交換で  

「僕のことはおじさまって呼んでおくれ」


 今日は給料日だった。それも現世での任務が多かったからか先月よりもずっと金額が上がっていた。
「顔がにやけておるぞ」
 思わずにやけた顔をルキアに見られてしまった。
「仕方ないだろ、こんな金額見たことないんだから」
 妹達に何か買って帰ってやろう。一護は仕事を終え、その日はいつもの帰り道とは違い街へと通じる道に入っていった。




 一護は困っていた。
 街に来たのはいいがこうもなんでも揃っていると逆に何を買っていいのか迷ってしまう。
(おもちゃ‥‥‥夏梨はサッカー好きだけどサッカーボールなんて売ってるわけないしな。ぬいぐるみ‥‥‥遊子なら自分で作っちまうか)
『菓子はどうだ?』
(この間買って帰ったら怒られただろ。無駄遣いするなって)
 黒崎家の財政係である遊子は金銭には厳しい。菓子など自分たちで作れるのだからと買ってきたときには説教をされた。それからは貰い物の菓子しか家に持って帰っていない。
 妹達を連れてきたほうが良かっただろうか。だがそのとき視界に映った一軒の店に一護は吸い寄せられた。
 呉服屋だ。近寄って覗いてみると一反の値段もそれほど高くない。どうやら庶民向けの店らしい。
 決めた。着物にしよう。現世と違ってこちらの世界は着物だ。おいそれと買えるものではない。だが今着ているものは随分古い。それに遊び盛りだ、すぐに汚してしまう。新しいものを買ってもいいだろうと一護はさっそく着物を手に取った。
「君には子供っぽくないかい?」
「うわっ」
「ああごめんね。驚かすつもりはなかったんだけど」
 すぐ隣に人が立っていた。笠で顔は見えなかったが低い声と背の高さから男だとすぐに分かる。
 派手な羽織。一護はこの男に見覚えがあった。
「やあ。また会ったね」
 男は親しげに声をかけてきた。やはり会ったことがある。
「‥‥‥この間の、おっさん?」
「おっさん‥‥‥‥」
 どうやらショックだったらしい。おっさんは絶句した。





 一護と男の出会いはほんの数日前。雨だった。
 雨には色々と因縁があった。生きていたころ、あの日も雨だった。
 死んで尸魂界に来て、気付けば流魂街にひとり突っ立っていたときも雨が降っていた。そして流魂界で初めて人を傷つけてしまったときも雨だった。
 雨と一護は切っても切れぬもので、雨の日は嫌でもそれらの日々を思い出す。特にあの日の記憶は鮮烈だ。それでもどういう心境なのか一護自身にも分からないが、雨の日は無性に外に出たくなることがあった。
 その日、白地に紺の蛇の目傘をさして外に出た。
 ぱらぱらと小降りの雨だ。今の季節は秋だから秋雨っていうんだっけ、そんなことぼんやり考えながらあてもなく歩き続けていた。
 途中、一護は傘をくるくると回した。すると水滴が周りに飛んでゆく、その様に一護はなんだか分からないが笑みがこぼれた。
『子供のようだな』
(いいだろ。なんか楽しいんだ)
 幼い頃はこうして遊んでいた気がする。傘から水滴が落ちる様を何時間も眺めていたこともあった。
 そんな自分に母は仕方ないといった顔で一緒にいてくれた。それを思い出してまた傘をくるくると回した。
 くるくる。
 くるくる。
『一護』
(なに)
『もう家に戻ろう』
(もうすこし)
 斬月のどこか心配するような声に一護は気付かぬふりをした。
 辺りには雨の降る音しか響いていなかった。現世ではコンクリートのせいなのか、もっと五月蝿かったような気がする。こういうのを、しとしとと言うのだろう。感動にもならない事実を知って、一護はぼんやり考えていると派手な色彩が視界に飛び込んできた。
 雨のせいで薄暗いなかそれはとても目立っていた。目を凝らす。
 人だ。どうやら傘がなく木の下で雨宿りをしているようだった。
 派手な色彩はその人が羽織っている着物だった。色鮮やかなそれをしかし着ているのはどうやら男らしい。
 じっと視線を注いでいると目が合った。  
 にっこり。
 そんな擬音がつきそうなほどの笑顔だった。しかも手まで振られている。それに対して一護は小さく頭を下げて返した。
 そのまま通り過ぎようと思ったが気が変わった。男のほうに駆け寄った。
『一護?』
 男のほうもまさか寄ってくるとは思わなかったのか少々驚いた顔をしていた。
 目の前まで行くと、一護は傘を差し出した。
「ん」
「ええ?」
「だから、使えよ」
 中々受け取ろうとしないので一護はさらに傘を前に押し出した。
「まいったな。そんなつもりで手を振ったんじゃないんだよ」
「分かってる」
「君はどうするのさ」
「走って帰るからいい」
 困ったなあ。そう言って男は頭を掻いた。
 このままでは埒があかない。一護は男の前に傘を置くと一目散に走り出した。
「ちょっとっ!」
 振り向きもせずに一護は家に向かって走り続けた。男が更になにか叫んでいたがかまわない。
 しばらく走ってから一護は歩調をゆるめた。
『お前が見知らぬ男に近づくとは珍しい』
(親父と同じくらいかな)
『なに?』
(‥‥‥‥親孝行、できなかったから)





「いやーあのときはありがとね。ほんと助かったよ」
「はあ」
 なんだかやたらとテンションの高い男だ。一護はどう返していいのか分からない。
「風邪ひいたりしなかったかい?」
「いや、大丈夫」
「そう。でも駄目だよ、女の子なんだから体を冷やしたりしちゃあ」
 驚いた。女だと気付いていたなんて。あの日の一護は濃い鼠色の着流しを着ていた。まさか女だとは分からない筈だ。
「雨で体の線が出ていたからね。それに君はとっても可愛いよ。間違うわけないだろう」
 どうやら随分と軟派な男らしい。そうでなければ素面でこんな台詞を吐ける筈がない。それに見ると結構な色男だ。
 斬月をだらしなくしたらこんな感じだろうかと一護は思った。
『一緒にするな』
(悪い)
「それにしてもこの着物は君には似合わないと思うけど」
「いや、これは俺じゃなくて妹達の」
「妹がいるの。じゃあいいお姉ちゃんなんだね」
 そんなふうに褒められるのは初めてだ。一護は照れくさくなった。
 それから互いに自己紹介をしあった。男は京楽春水というらしい。どこかで聞いたような気がしなくもないが一護には思い出せない。京楽は一護の妹達の着物選びまで付き合ってくれた。
「駄目だってっ!」
 だが会計のときに揉めた。京楽が着物の代金を支払うと申し出たからだ。
 一護は当然その申し出を断った。そこまでしてもらう義理はない。
「傘を貸してくれたお礼だよ」
「割に合わない」
「合うさ。お陰で僕は風邪をひかずに済んだ。君みたいな可愛い子とも知り合えたしね」
 最後の台詞は片目を瞑るおまけつきだ。
 馴れてるな。一護は敵わない気がした。
「‥‥‥‥分かったよ」
「良かった。ありがとう」
「礼を言うのはこっちだろ。ありがとな」
 結局受け取ってしまった。なんだか悪い気もするが受け取らなければ延々と続きそうだったのだ。
 京楽は満足そうに頷いている。
「それじゃあ今度は僕に付き合ってくれるかな」
「付き合うって、どこに」
「着けば分かるよ」
 まさかいかがわしい所ではないよな、一護はすこしどころかかなり不安になった。





 着いたところは同じく呉服屋だった。
 だが先ほどの店とは雲泥の差だ。外観から高級な品しか扱わない店だとわかる。一護は当然うろたえた。
 こんな店、入ったことがない。今も昔も庶民の一護にはこんな店には縁がなかった。だがそんな一護の動揺をよそに京楽は馴れた様子で店に入っていった。
「まじかよ」
「どうしたの。入っておいで」
 おそるおそる店に入る。店内は広い空間にいくつもの棚が置かれ、その中には反物がずらりと並べられていた。物色している客もみな一様に高級な着物を着ており一目で貴族とわかる。
 店員が京楽に気付いて愛想の良い笑みで寄ってきた。
「頼んだものはできてるかな」
「はい。ただ今お持ちします」
 帰りたい。自分がひどく場違いなところにいる気がしてならない。実際そうなのだが。
 そわそわとしている一護を京楽はおかしそうに眺めていた。
 そして店の奥から店員が手に何やら持って出てくると、それを壁に丁寧に掛けた。
「一護ちゃん」
「誰が一護ちゃん、だ、」
 その呼び方に抗議しようと振り返った一護は目の前のものに言葉を失った。
 壁に着物がかけられている。それのなんと美しいことか。
 白地に赤紫の銀杏が規則的に散っている。ただそれだけの模様だったが素人の一護でも思わずうなるような一品だった。
「綺麗だろう?」
「ああ。俺着物のこととかよく分かんねえけどこれはすごいって思う」
「着てみるかい」
「まさかっ。見てるだけでいい」
「それは困ったな。これは一護ちゃんの為につくったんだから着てもらわなくちゃ」
「は‥‥‥?」
 なんだと。今この男はなんて言ったのだと一護は耳を疑った。
 店員は心得たとばかりに着物を壁からはずす。
「ついでにお化粧もしちゃおっか」
「おいっ、」
 だがどこから現れたのか二人の女性店員が一護の両脇を掴んで別室に引きずっていった。さすがの一護も女相手に暴れることはできなかった。


「やっぱり、思ったとおりだ。髪の色と良く合うね」
 京楽が一護を手放しに褒める。だが一護は不機嫌そうに眉をしかめるだけだ。
 色んなところをいじくられた。なんだか改造されたような気分だった。髪もいつもは手を加えていないのを今は前髪を横に流して髪飾りでとめられている。
「鏡の前に立ってみて。ほらほら、そんな顔しないで。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
 このおっさん蹴ってやろうか。絶対に似合ってない。だが一護の思いに反して店にいる客は一護の艶やかな姿に釘付けになっている。貴族の娘だと言われても十分に通じる姿だった。
 そして鏡に映った自分の姿を見て一護は絶句した。
「‥‥‥‥嘘、だろ」
 鏡に映っていたのは自分ではない。
 母だった。
 悲しそうな、母の顔。
 鏡に映った顔を一護の指がなぞった。
「一護ちゃん?」
「かあさん‥‥‥‥」
 なんでそんな悲しそうな顔をしてるんだ。
 母の顔がさらに悲しみに歪む。今にも泣き出しそうだった。
「一護ちゃん。出ようか」
「っ、」
 京楽の声にはっと我に返る。
 京楽は一護の死覇装が入った包みを受け取ると足早に店を出た。





 しばらく無言で歩いた。
 気まずい。
 一護は京楽をちらりと見た。
「ごめんね」
「‥‥‥なにが」
「悲しい思いをさせちゃったね」
 違う。悲しかったのは母さんだ。
 一護は俯く。何があったのか京楽は聞かなかった。それでも一護を京楽がやさしい眼差しで見やる。
「一護ちゃんと会った次の日にあの着物を頼んだんだよ」
 一護と京楽の視線が合う。するとあの日のように京楽がにっこりと笑った。
「目が合った瞬間に似合うだろうなあって思ったんだ。まさか傘まで貸してくれるとは思わなかったけど」
「別に、ただの気まぐれだ」
「そうだとしても僕は嬉しかった。だからその着物一式は受け取ってね」
「はっ!?」
 自分の聞き間違いでなければ今これを受け取れと言ったのか。
 一護は自分の体を見下ろした。細工の凝った髪飾りから漆塗りの下駄まで一体総額いくらするんだ。きっと自分が今日貰った給料の軽く何倍もするのだろう。
 受け取れる筈がない。
 だが一護がそう言う前に京楽が遮った。
「受け取れないなんて言わないで。一護ちゃんの為につくらせたんだ。一護ちゃんがいらないって言うんならそれは捨てるしかないなあ」
 はあっと溜息をついて大げさに肩を下げる。
 わざとらしい。一護は京楽をぎりりと睨んだ。
「でも、妹達の着物の代金まで払ってもらった。それで割に合ったんだろう?」
「それは傘のお礼。これは君に出会えたお礼」
 くさい。だが一護の顔は真っ赤だった。
『くれると言っているのだ。貰っておけばいい』
(斬月まで)
「それを着てまた僕と会ってほしいな。僕の為だと思って受け取ってよ」
 ね?京楽が首を傾げて一護を覗き込む。
 ああ、傘なんて、孝行心なんて差し出すんじゃなかったと一護は後悔した。身に纏う着物が重く感じられて仕方ない。
「悪いって思うんなら僕の言うこと一つ聞いてくれる?」
 言ってみろ、一護は目だけで促した。
 すると京楽は両手を広げてこう言った。
「僕のことはおじさまって呼んでおくれ」
 微笑とともに、そう言った。

 それから京楽が八番隊の隊長だと知るまで一護がそう呼んだのかは定かではない。


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