蝶が瞬くとき

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  11. 偽りは太陽に焼かれて  

 帰りたい。すっげー帰りたい。なんで俺こんなところにいるんだよ。
 一護は初めて訪れる部屋で途方に暮れていた。逃げ道は無いか。一護がちろりと周りを確認するが出口という出口のすべてに人がいる。蹴散らすか。腰を浮かそうとしたとき。
「どうかなさいましたか」
「‥‥‥べつに」
「左様ですか。御当主がお帰りになるまで今しばらくお待ち下さい」
 このじじい。
 一護は内心で悪態をついた。さきほどからこちらが何かする前にとぼけたふりをして一護の邪魔をしてくれる。けれど油断はできない。武器など持っていないことから鬼道に秀でていると思っていい。やり合うとなると周りに被害が出る。さすがに友人の家を壊すわけにはいかない。
 一護が今いるところは家というよりは城だった。連れてこられたときは現世にいるころにテレビで見た殿様の住む城を思い出したほどだ。
 この部屋に連れてこられて一刻は経つ。手厚いもてなしを受けてはいるが軽視されているのが一護には分かった。目が、この流魂街の出身ふぜいが、と言っているのがばればれだった。
 こんなところに住んでいてあの友人は平気なのだろうかと心配になる。あの猫っかぶりもこの屋敷の環境のせいなのかもしれない。
 それにしても立派な部屋だ。雨乾堂もそうだがここはまた別物だ。踏み込む人間を選んでいる。一護にはそんな気がしてどうにも居心地が悪かった。
「まだ帰ってこないんすか」
「しばしお待ちを」
 それはさっき聞いた。一護はだんだん苛々してきた。人を無理矢理連れてきておいてこんなに待たせるとは何様だ。貴族様だろうがなんだろうが自分には関係ない。
「そもそも俺何の用で呼ばれたんですか」
「御当主が直々にお話しになられます」
「その御当主様はいつ帰ってくるんだよ」
「じきに」
「だからいつだよっ。そこの壺割るぞっ!」
 高級そうな壺だ。いや、高級にちがいない。だがそんなもん知るかとばかりに一護は激昂した。
「どうぞ」
 さらりと流された。
 もういい。このじじいに何を言っても無駄だ。文句は当主とルキアに言おうと、一護は頭の中で嫌味の言葉を考えはじめた。
 それからさらに一刻。
 ようやくこの屋敷の主が帰ってきた。
 ルキアから義兄の話は何度か聞いたことがある。六番隊の隊長だということも知っている。その朽木隊長が自分に用があるらしい。朽木家の使いの人間が一護のもとにやってきて否応無しに屋敷まで連れてこられたのだ。
 家に連れてくるってことはルキアに関することなのだろうと一護はあたりをつける。だが一体なんだ。心当たりが無い。
 ふと一護のいる部屋に誰かの霊圧が近づいてくるのを感じた。そしてすらりと開けられた襖の向こうに立つ人物と目が合った。
(なんか、こいつとは、)
 護廷から戻ってそのまま来たのだろう、隊長の証である羽織を着たままだ。冷たい眼差しで一護を値踏みするように眺めてきた。
(合わねえ)
 睨み返しながら一護は直感した。この部屋と一緒だ。接する人間を選んでいる。それが無意識であろうがなかろうが自分と合わないということに変わりはない。
「当主の朽木白哉だ」
 声を発した瞬間、部屋の中の緊張が高まる。
「黒崎一護です」
 待たせやがってと心の中で罵った。
 白哉が一護を無言で観察する。なに見てんだコラ、と言ってやりたかったが血が繋がらないとはいえルキアの兄貴だ、言わないでおく。
「先日あれに見合いを勧めた」
「‥‥‥‥はあ?」
 何の話だ。つい間抜けな声が出てしまい、斜め向かいにいた老齢の側仕えに嫌な顔をされた。それよりも一護はカチンときた。
「あれって、ルキアのことだろ。ちゃんと名前で言えよ」
「兄には関係ない」
「じゃあ、その関係ない俺に何の用でしょうかね」
 てめえ何様だ。その澄ました顔がさらにムカつく。
 普段ならここで胸ぐらくらいは掴んでいる。だが一護が耐えているのは隊長だからではなくルキアの家族だからだ。
 一護のそんな我慢も知らずに白哉はさらに話を続けた。
「だが見合いはできんと言う」
「あっそ」
 なんだか自分とは関係の無い話だ。なんで呼ばれたのかがいよいよ分からなくなってきた。
「なんでも好いた男がおり、将来を誓い合った仲だとあれは言った」
 だからあれって言うな。一護がそう反論しようとしたがそれはできなかった。
 ルキアと、将来を誓い合った男。
 ‥‥‥‥恋次か? いや違うなあいつらはそんな感じじゃない。どっちかっていうと兄妹だ。じゃあ誰だ。
 ‥‥‥‥なんだなんだ、ものすごく嫌な予感がするんだけど。なんか、これと似た展開の話を漫画かなにかで読んだことがある。いやまさかな。
 そう願いを込めて白哉を見た。
「相手の名は黒崎一護。貴様だ」

 ルキアーーーーーーー!!!

 お前、今日会ってから一度も目を合わそうとしなかったのはこのせいかっ。掃除代わってやるとか書類持ってってやるとか妙に優しかったのはこのせいなんだなっ。
 誤解だ、弁解しようとした一護を白哉が遮った。
「あれは養子とはいえこの朽木家の人間だ。将来は朽木に見合った家の者と縁を組むのが習わし。貴様とは釣り合わん」
 誤解だ。
 と言うのはやめにする。
「だから、あれって言うのはやめろっつってんだろがっ!!!」
 ガンっと拳を床に叩き付けた。へこんだが知るかそんなもん。
 一護の霊圧が一気に高まり周りの人間が緊張し構えをとる。だがそんなものにかまっていられない。
「ルキアが誰と結婚しようがルキアの勝手だろうが。いくら兄貴でもルキア抜きでこんな話するんじゃねえよ」
 怒りで叩き付けた拳が震える。痛みなど感じなかった。
「ルキアはルキアだ。この家じゃねえ」
 睨みつける。だが白哉はその視線をたやすく受け流すと貴族らしい佇まいで無表情に一護に告げた。
「貴様らとは事情が違うのだ。貴族の婚姻に感情などいらぬ」
 嘘だ。
「嘘だね」
「何?」
 こいつは嘘を言っている。一護の直感がそう告げていた。
 白哉の声がどこか痛みを堪えているように感じたのは自分の気のせいだろうか。なぜか、白哉の言っていることは本心ではないと感じたのだ。
「あんたはルキアが大事か」
「何を言っている」
「ルキアの幸せが同じ貴族の好きでもない奴との結婚だっていうのは間違いだ」
 そして真正面から白哉の目を射た。
「あんたは、それを分かってる筈だ」
 白哉の目がわずかに見開かれた。
「分かってるんだからルキアを悲しませんな。兄貴だろ」
 そこで一護はようやく霊圧を落ち着けた。言いたいことは言ってやった。どこかすっきりとした気持ちで一護はさて帰るかと腰を上げる。
 白哉がいまだ一護から視線を話さずに問いかけた。
「貴様、何を知っている」
「はあ? 何も知らねえよ。俺もう帰るからな」
 何時間も正座を続けていたので足が痛い。しびれていなくてよかった。今さら礼儀も何もないので、思いきり腰を伸ばしてやった。
 そして帰ろうと出口に向かうがそこにいた人間に邪魔をされた。今度こそ蹴散らそうかと一護が思ったところ。
「よい。帰してやれ」
「しかしっ、」
 従者が反論しようとしたが白哉がそれを視線で黙らせた。
「黒崎一護」
「なんだよ」
 まだ何かあるのかと一護はぶっきらぼうに返事をした。
「ルキアの相手は本当に兄なのか」
 いつの間にか兄に戻っている。貴様とか言いやがったくせに。白哉の中でなにか変化があったのだろうが一護には関係ない。
「ルキアがそう言ってるんならそうだ」
 猫っ被りでも態度が尊大でもルキアは大事な友人だ。その友人がついた嘘に乗ってやろうと思った。
 そして一護は今度こそ部屋を出て行った。




 帰りたい。すっげー帰りたい。なんで俺こんなところにいるんだよ。
 一護は初めて訪れる部屋で途方に暮れていた。
「飲まぬのか」
 目の前の茶に視線を移す。飲む気にはなれなかったがせっかく入れてもらったので仕方なくいただくことにする。一口飲んで気を落ち着かせた。
「帰りたいんすけど」
「もうすこしゆっくりしていけばよいだろう」
「帰せっつってんだよ」
 つい敬語を忘れて柄が悪くなる。屋敷では目の前の男は当主として自分と会っていたので敬語はそれほど気にはしなかった。だがここは隊長室だ。そして目の前の男は六番隊長である。
「女子がそのような言葉遣いをするものではない」

 ブッ!

 思わず茶を吹き出してしまった。
 白哉を凝視する。
「なにをしている」
 そう不機嫌そうに言いながらも白哉が手拭で一護の口元をふいてやった。一護は驚きでされるがままだ。  案外まめな男だな、とぼんやり思う。
「じゃなくてっ。なんで俺が、お、お、」
「女子だとルキアから聞いた」
 ルキア、そう名前で呼んだ。
 一護が意外そうに白哉を見る。一護がなにかを言う前に白哉は手拭で一護の口を押さえつけて話せないようにした。
「見合いは取りやめだ」
 ほんとか、と目で問うた。
「お前に言われたからではない」
 無表情だが微かに照れているのがわかる。一護が声も出さずにくすくすと笑っていると再び白哉の顔が不機嫌に戻った。手拭を離すと背を向けた。
「もう帰るがよい」
「言われなくても帰りますよ」
 一護が立ち上がって扉に手をかけたときだった。
「一護」
「へ」
「今度はルキアの話を聞かせてくれ。」
 振り返ると相変わらず背を向けたままだったが、初めて会ったときに感じた冷たさはもう無かった。
「ああ、今度な」
 合わないと思った。だがそうでもないかもしれない。なぜなら呼ばれた名には親しみが込められていたからだ。
 今度は自分も名を呼ぼう。
 それが近づく最初の手段。

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