蝶が瞬くとき

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  13. 運命に巻き込まれた者達の悲劇性について  

「夜一サン」
 浦原が揉み手をしそうなほどの愛想の良さで夜一に近づいてきた。顔にはにこにこと嘘くさい笑みが広がっている。
「‥‥‥なんじゃ」
 夜一は嫌な予感がした。この古くからの馴染みがこうも下手に出てくるときは決まってよからぬことを考えているに違いない。普段からもよからぬことばかり考えているが今の浦原は不気味の一言に尽きる。
「いやあ、ねえー。ちょおっと頼みがあるんですけど。うふふふふふ」
 不気味を通り越して気持ち悪い。夜一は遠慮なく顔に嫌悪の表情をのせた。ついでに数歩下がる。
「聞くだけなら聞いてやる。言ったらとっとと帰るがよい」
 言葉とともにしっしっと手を振った。その犬にやるような仕草に浦原は不機嫌になるようなことはせず、むしろ余計に笑みを深めて夜一との距離を縮めた。
「アタシ、運命を感じちゃったんです」
「‥‥‥はあ?」
 まさかついに自分の頭まで実験に使ってしまったのだろうか。それとも誤って変な薬を飲んだとか。いや、浦原の奇人変人っぷりが数段上がっただけかもしれない。
「全部声にでてますよ、失礼な。アタシはいたって正常です」
「そういうことにしておいてやる。それで、言いたいことはそれだけか」
 ならとっとと失せろ。
 またもやしっしっと手を振るとその手を浦原ががしっと掴んだ。
「げえっ。離さぬかっ、気持ち悪いっ」
 だが浦原は離さない。夜一の手を両手で掴みなおすと先ほどとはうってかわって真剣な顔になった。
 夜一の最初に感じた嫌な予感が一層増した。
「いや、待て、やはり聞くのは辞め」
「妹さんをアタシにください」
 嫌な予感は的中した。





 最近の局長は変だ。
「ぶっちゃけ気持ち悪い」
「何か言いましたか、阿近」
「いいえ」
 思わず口に出してしまった阿近に、しかし浦原は気にした様子は無い。いつもなら地獄耳、もとい耳聡さで以て聞き逃さない。そして嫌みの二つや三つは言ってくる。だが浦原はもう阿近に背を向けていた。
 おかしい。いつもおかしいが最近は特におかしい。今も鼻歌を唄いながらなにやらグチャグチャと解剖をしている。
 周りの局員も引き気味だ。局長を見る目はまるで新種の動物を発見したかのように驚きと恐怖におののいていた。
 このままでは息苦しくてやっていられない。阿近は思いきって聞くことにした。
「なにか、良いことでもありましたか」
「なんですって?」
 研究室に緊張が走る。いつのまにか皆手を止めてこちらを注視していた。
「いえ、機嫌が、よろしいようなので」
 今や研究室には浦原のグチャグチャという気持ち悪い音しか響いていなかった。それが逆に恐ろしい。
 カタン。
 浦原がメスを置く。周りはごくりと息を呑んだ。

「アタシ、運命を感じちゃったんです」

 局長が壊れた。
 この日は技術開発局員の心が全員一致するという快挙を成し遂げたがそんなことは今はどうでもいい。周りはもうあんぐりと口を開けて呆けていた。
 そんな周囲には気にも留めず、浦原は両手を組んでうっとりとしている。組んだ両手から何かの肉塊がぼたりと落ちるが気にしていない。頭上にある照明が浦原を照らして不気味さを助長させていた。
 いち早く阿近が意識を回復したがこれ以上は聞いてはいけない、そんな気がしてならなかったので研究室から出ようとした。
「あらどこに行くんです」
 聞きたくない。聞きたくないぞ。阿近は聞こえないふりをして研究室から出ようとした。
「あれは先週のことでした」
 浦原は勝手に話しはじめた。阿近は扉の手前でがくりと項垂れるここで逃げたら後で色々と言われるんだろうな。
 阿近は仕方なく覚悟を決めた。ちなみに同じ研究室にいる局員も逃げることはできなかった。





「本当に貰っていいのか?」
「かまわぬ。小さすぎて儂にはもう着れん」
 四楓院家の屋敷の一室で一護と夜一は着物を広げていた。部屋にはもう着物や帯が溢れんばかりになっている。
 そのどれもが子供用の小さく可愛らしい着物だった。夜一が一護の妹二人にくれるという。最初はあまりの高級品に一護は断ったが、このままでは箪笥の肥やしだというので、申し訳なくもありがたく頂戴することとなったのだ。
「これを着てあの二人も少しはおとなしくなるといいんだけど」
 間違いなく最高級品の着物を持ち上げて一護は妹二人を思い浮かべる。数日前に川に遊びに行って、二人仲良く川に落ちたときは肝を冷やしたものだ。
 だがこれだけ高級なものを着ていたら気を使って少しはおとなしくなるかもしれない。そんな一護に夜一はからかうように笑った。
「そういう一護はおとなしい子供だったのかのう」
「やんちゃ、だったかな」
 すぐ泥だらけになっていた気がする。その度に服を洗濯しなければならない母は大変だっただろう。妹二人と暮らしていると母の苦労がよく分かった。
「一護」
 夜一がたまらず声をかけた。
 一護はときどき遠くを見つめて儚く笑う。そうするとどこかへ行ってしまいそうで、そしてもう二度と戻ってこないような気がして夜一は不安になるのだ。
「おぬしにも貰ってほしい着物があるのじゃ」
「俺に?」
 夜一はまだ開けられていなかった包みを開けた。
 赤地に白の牡丹。金糸で微細な刺繍も施されている。一護は声も出せずにその着物に見入っていた。
「美しいであろ」
「うん。‥‥‥‥でもこれ、本当に貰っていいのか?」
 これで一体何軒くらい屋敷が建つのだろう。白哉の首に巻いている長ったらしい名前の襟巻きもひとつで何軒も屋敷が建つとルキアから聞いたことがある。
「この着物は対になっておるのじゃ。儂が持っておる白地に赤の牡丹の着物とな。二人でそれを着て、でぇととやらをしようではないか」
 でぇとって、どこからそんな言葉を仕入れてくるんだ。一護はぽかんとしたが嬉しくない筈が無い。笑顔で頷いた。
「では善は急げじゃ。今すぐ着替えて出かけよう」
「ええっ」
 いくらなんでも急ぎ過ぎだ。だがそんな一護をよそに夜一は侍女を呼ぶと自分と一護をあっという間に着替えさせた。




 白は夜一の褐色の肌によく似合っていた。すごく綺麗だ。一護が自然にそう言うと夜一はまるで幼い少女のように照れて喜んだ。
 それから互いに互いを褒め合って二人並んで歩く。一護と夜一の顔はまったく似ていないというのに、揃いの着物と手を繋いで歩く仲の良い様に、通りがかる人間は二人を姉妹だと勘違いしたほどだ。
「あら、夜一サンじゃないですか」
 だがそこに割り込んでくる者がいた。
 飄々とした調子の声がかかる。夜一はその声の主を嫌というほど知ってたので思わず嫌そうな顔をしつつも振り返らずに歩調を速めた。
「一護、振り返ってはならぬぞ」
「知り合いじゃないのか?」
「知らぬ」
 夜一が声を潜めるので一護も自然とそうなる。二人でぼそぼそと話しながらその場を離れようとした。
「無視しないでくださいよ。アタシ傷ついちゃう」
 だが男は一護達に早足で追いついて横に並んでくる始末だ。
 夜一は舌を打つ。このまま相手をしなければどこまでもついてきそうだった。一護を抱えて瞬歩で撒いてしまいたかったがあいにく今は着物でそれもできない。仕方なく足を止めて、一言言ってやった。
「失せろ」
「ヒドいっ、心が痛いっ!」
 男がよよよ、と大げさな仕草で崩れ落ちる。
 一護は状況がまったく呑み込めないでいた。夜一の知り合いらしいことは分かるが、仲が悪いのだろうか。
「ところでそちらのお嬢さんは誰です」
「見るな。汚れる」
 夜一は男の前に立ちはだかって視線を遮った。だが男はしつこく夜一をかいくぐって一護を見ようとする。それに焦れて夜一はつい言ってしまった。
「儂の妹じゃっ。無礼な真似は許さぬっ!」
「妹? そんなのいましたっけ」
 男、浦原喜助は疑問に思った。夜一との付き合いは随分と長くなるが妹の存在など聞いたことが無い。
 そして一護は絶句していた。突然妹と言われてもどうしていいのか分からない。
「おぬしに見せるのは勿体無くて今まで隠しておったのじゃ」
 のう? 夜一が目で話に合わせろと言っている。一護はそれになんとか頷くと浦原に挨拶をした。
「くろ、じゃない。四楓院、一護です。初めまして」
 一護はルキアの立ち居振る舞いを必死になって思い出していた。途中舌を噛みそうなその口調に、夜一がすかさずフォローに入る。
「一護に夜一。どちらも一が付いているであろう?」
「えぇえええ??」
 ものすごく怪しんでいる。隠していたとはいっても四楓院家の姫ならば噂の一つや二つあってもおかしくはない。だが浦原はそんな噂は一度たりとも聞いたことは無かった。
「あ、あの。俺、じゃない、私は、病がちで、ずっと屋敷に引き込んでいたんです」
「おぬしが知らぬのも当然じゃ」
 一護が咄嗟に思いついた嘘でなんとかこの場をやり過ごそうとした。
 だが一護の心の中では私という単語に恥ずかしさのあまりのたうち回っていた。そのせいで一護の顔は今や真っ赤になっている。その赤くなった一護の頬に夜一は手を当てた。
「少し熱っぽいのう。病が良くなったとはいえ無理はよくない。もう屋敷に戻らねば」
「はい、ね、姉様」
 ルキアの兄様を真似てみた。だが言った後でそのあまりの恥ずかしさに更に顔が熱くなる。そして一護に姉様と呼ばれた夜一は感極まったように一護の手を両手で包み込んだ。
「あのー、アタシ邪魔ですか」
 浦原はすっかり蚊帳の外だった。
「まだおったのか。早う去ね」
「挨拶くらいはさせてくださいよ」
 浦原が一護の空いた手をとった。
 触れられたことによって一護は顔を歪めそうになるがそれを必死に抑える。それに夜一が浦原の手を引き剥がそうとしたが間に合わなかった。
「浦原喜助と申します。どうぞお見知りおきを」
 あ、と思う間もなく浦原が一護の手の甲に口を押し当てた。
 次の瞬間、
「何しやがるっ!!」
 一護の拳が見事に決まった。浦原なら容易く避けられただろうが、相手は深窓の令嬢だと思い込み油断をしていた。予想もしていなかった衝撃に浦原はどさりと後ろに倒れ込む。そこにつかさず夜一が蹴りを入れた。
「よくやった、一護」
「おう」
 姉妹は固く拳を握り合うと浦原を置いて去って行った。





「あの抉るような拳。素晴らしかった」
 ここは技術開発局の研究室。だが室度はすこぶる低かった。
 一人、浦原はうっとりと話を終えた。
 今や局員達の浦原への眼差しは珍獣を見るそれだ。見たことが無い、こんな生き物。
「それにあの射抜くような目。今思い出してもぞくぞくする」
 そして不気味に笑いはじめた。
 早くこの異空間から脱したい。阿近はどうにかここから脱出しようととりあえず適当なことを言った。
「つまり、惚れてしまったんですね」
「そうなんですっ! それなのに夜一サンときたら、」

『貴様のような変人に一護はやれんっ、死ねっ!!』

 変人という単語に局員が内心激しく同意した。実際に頷けば殺されそうなので、あくまで内心で。
「死ねだなんてヒドいと思いません?」
 どうやら変人という単語は無視したようだ。
「でもアタシは諦めませんよ。なんたって運命なんですから。待っていて、一護サン‥‥‥!」
 そして再びうっとりと自分の世界に入っていった。
 今だ。
 阿近たち局員は出口から一斉に脱出した。


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